札模様  第二章

  十二月  ――内弁慶にさよならを――


   

 「百人一首」とか「歌留多」と聞くと、たいていの人は、 正月の風物詩だと思うだろう。その季節性のゆえに伝統芸 能的とらえられ方をされがちである。ところが、大学のか るた会には、シーズンオフはない。一年中が、かるたであ る。もちろん、正月から三月にかけては、各地各会で大会 が比較的数多く催される。しかし、実際には、一年をとお して大会が各地で開催されているのである。師走と呼ばれ る十二月も例外ではない。杜の都仙台で行われる大会に参 加するため、東北新幹線「やまびこ」号の車内には、いく つかの大学のかるた会員が乗車していた。

 「仙台、初めてなのよね。青葉城とか広瀬川って歌に歌 われていて、イメージがふくらみむわよね。夏の七夕も見 てみたいな。あかねちゃんは、行ったことある?」
 「仙台にある国立大学に受験に行ったわよ。『ミチノク ノユキフカシ、サイキイノル』って電報が来たけど…」
 あかねの思いもかけない回答に、志保は話題を変えるこ とにした。
 「石田と敷島は、一昨日から出かけて、岩手まで足を伸 ばして中尊寺とか見てからこっち来るんだって。大学の授 業もさぼって、いい気なもんよね。」
 「私だって、時間とお金があれば、いろいろと見て来た いところがあるの。芭蕉の『奥の細道』のあとを訪れてみ たいわ。白河の関、松島、立石寺…。石田くんたちは、セ ンスがいいわ。一の関のあたりは、歴史の宝庫よ。奥州藤 原氏のゆかりのお寺は、中尊寺だけでないのよ。毛越寺、 無量光院もそう。金色堂だけに気をとられていたら、もっ たいないわ。それにね、衣川の古戦場のあとにたたずんで みるのもいいわね。義経堂から、見渡すのも素敵ね。源九 郎判官義経や剛勇無双の武蔵坊弁慶の終焉の地なの。前九 年の役のとき、逃げる安倍貞任に向かって、八幡太郎義家 が、『衣のたてはほころびにけり』って声をかけるの。こ れって短歌の下の句でしょ。貞任は『としをへし糸の乱れ の苦しさに』ってすかさず上の句をつけて返すの。義家っ て人も風流で、おみごとって感心して、その場は逃がして あげちゃうの。なんかおおらかな感じがするわ。義家と前 九年の役っていえばね、納豆の歴史はここに始まるってい う説があるの知ってる?」
 さすがに古典大好き少女である。あかねにこういう話を させるととどまるところを知らない。この手の話につき合 えるのは、かるた会の中ではミツオくらいのものだ。話題 を変えるつもりが薮蛇だった。珠子が助け舟を出す。
 「納豆の話はねばっこくなっていけないわ。それにして も、一年生みんなで、初めての遠征に行こうなんて言って たけど、ミツオくんは残念だったわね。お祖母さんのご不 幸だなんて。」
 すかさず、志保が変えた話題にのってくる。
 「そうよね、ミツオは八月の学生選手権でD級で優勝し てから、うちの練習でも先輩たちに勝つようになったもの ね。その後、大会に出てない分、勢いがたまっていると思 うんだけど。優勝したときは強かったよね。守の後輩の高 校生をバッタバッタと凪ぎ倒しっていう感じだったものね。 あたしなんか、あっさり負けちゃって。でも、あたしに勝 ったあの子は、結局決勝いったんだよね。ついてないわ。」
 「そういう相手に勝てるようにならないと上の級には上 がれないものなんだよ。ついてないなんていうようじゃ、 まだまだ、駄目だね。」と、西寺 守。彼の発言には、厳 しい響きがある。
 「みんな昇級目指してがんばろうよな。俺もB級デビュ ー戦だし、仙台までは、西寺の後輩たちも来ないし。」
 瀬崎がその場の雰囲気を繕う。彼は、先月の大会で二度 めのC級三位を取ったので、B級で出ることにしたのだっ た。
 「あたし、高校生より小学生とのほうが取りにくい。ム キになって取っていて、大人気ないように思われるんじゃ ないかって思っちゃうし、主張にしてもなんかカンが狂っ ちゃうの。」
 「そんなことを考えているから、駄目なんだよ。試合の 場で、札を挟んで対峙したら、年齢差なんて関係ないんだ から。倒すべき相手が目の前にいるだけなんだ。山根さん も、甘い考えを捨てないと下の級から抜けれないよ。」
 「まあまあ、守くん。志保はこれから経験積むんだから。」
 「いいのよ、おねえちゃん。守の言うとおりなんだから。 でも、体のできあがってない小学生のうちから、これだけ 膝や腰に負担のかかる競技をやらせるのって疑問だわ。競 技線のスペースとかある程度、成人の体格を前提にしてい るでしょ。それを小学生は小さいから、ずいぶんと不自然 な姿勢で取りにくるでしょ。大きくなってから、変な癖が ついちゃったりするんじゃないかしら。」
   「その説は、一理ある。体がある程度できあがってから、 始めたほうがいいとは思う。しかし、ちいさい頃から始め ると、競技に対しての感性が養われていくような気がする んだ。実際、幼少時から始めたみんながみんな一流選手に なるというわけではないけど、子供の時分から続けている 一流選手には、そうでない選手にはない何か独特の感性が そなわっているような気がしてならないんだ。」
 「普及を考えると、小学生はターゲットなんでしょうね。 そこには親が一枚かんでくるし、札も売れることになるん でしょうね。」
 突然、あかねが口をはさんでくる。夢見る少女かと思え ば、視点がずれているにしろ、やけに現実的な発想をした りする。かるた会員同士でこういう議論をすることも、一 種のトレーニングなのだ。

 「およっ。みなさんお揃いで。」
 話に熱中しているところに突然声をかけられた。ライバ ル早大の一年生の立浪だった。
 「大勢で遠征なんていいですね。うちなんか、新幹線組 は一年生三人だけ。先輩たちは車で昨日出発したんですよ。 今日は松島見物だって。試合前にいい気なもんですよね。」
 「ほかの大学の人たちには会わなかった?」
 「ええっと、東大の藍沢さんたちと、基督教大学の大川 さんたちが、あっちの車両にいましたよ。」
 少なくとも、四大学が同じ列車に乗っているわけだ。
 「立浪くんは、列車をチェックして歩いているわけね。」
 「いや、そういうわけではないんですけど、ゲームに負 けて、ジュースを買いに行かされたり、よその車両を見に 行かされたりしているもんですから。」
 連中も車中は手持ち無沙汰なのだろう。こうして、仙台 までの時間は、またたく間に過ぎていくのだった。


 一夜明けると、大会当日である。天気は快晴。思ってい たより寒くない。泊まっていたユースホステルからタクシ ーに分乗し、試合会場の市民センターに向かう。遅れない ように早めに出たので、会場は、まだ準備の真最中だった。
 「あれ、あそこに山内さんがいる。」
 「えっ、卒論が忙しいから行けるわけないじゃないかっ て言ってなかったっけ?」
 「よっ、お早いお着きで。」
 肩を叩かれ、瀬崎が振り向く。
 「えーっ、伊、伊、伊能さん。研究が忙しくて来れない って言って、昨日は、駅まで見送りに来てくれたじゃない ですか。」
 「いや、帰って実験をなんとか終わらして、山内に声か けて、夜中に車でこっちに連れてきてもらったんだ。」
 「山内さん、卒論書かなきゃいけないのに、とっても迷 惑だったんじゃないですか?」
 思わず、瀬崎は大先輩にもの申してしまう。
 「いいんだよ。あいつも卒論に煮詰まってしまって、気 分転換したいって言ってたんだから。」
 どうやら、二人で口裏合わせて、突然やって来て、後輩 たちを驚かそうという魂胆だったようだ。そうでなければ、 わざわざ見送りに来たりしないだろう。それにしても、芸 が細かい。

 そうこうしていると、会場の準備も整い、参加者も集ま って来た。石田と敷島も合流してきた。金色堂を見た感動 をみんなに話している。あの金の光からは、何かパワーが 湧き出ているような気がするなどと言っている。二人の話 からは、黄金の象徴する力に素直に畏れ入ってしまう感覚 が、理屈でなく伝わって来た。
 「一年生、ちょっとこっちへ集まれ。」伊能から召集が かかる。
 「みんなに紹介しておく。うちの卒業生で、現在の所属 は他会だが、大学四年の時にクインになった大先輩の吉山 さんだ。今年のクイン戦の挑戦者でもある。失礼のないよ うに。」
 「吉山です。試合で対戦できるように、早く強くなって ください。」
 「よろしくお願いします。」
 えも言えぬ圧力というか、迫力を感じる人だった。かる たの強さというものを身体全体から発散しているようだっ た。

 仙台の大会は、さすがに地元の参加者が多い。特に、D 級、C級には、地元の高校や大学から多数参加してくる。 D級は六十四人の参加だという。主催者の関係者を人数調 整のために上の級に出場させたりした結果である。他の級 も主催者側の選手の辞退などの調整があり、各級三十二人 以内におさまった。さらに、会場の広さの都合もあり、D 級はD一組とD二組に分けることになった。同じ学校や同 じ会は半々にするが、それ以外は無作為に分け、優勝者も 入賞者も双方の組ごとに出すのである。
 志保とあかねはD一組、石田と敷島はD二組に分けられ た。
 第一試合はD級とB級のみで、他は休みになった。
 B級デビュー戦の瀬崎は、地元の昇級候補と目される女 子高生と対戦である。相手は小熊にかるたを取らせたらさ もありなんというスピード・アンド・パワーで、瀬崎を圧 倒する。瀬崎はなすすべもなく大差で負けた。噂は伊達で はなかった。A級に駆け上がる選手の強さというものは、 こういう他を寄せつけないような強さなのだろう。
 志保は、地元の大学生と対戦している。相手の重厚な取 りをかいくぐって、志保のすばしっこい軽快な払いが決ま る。余裕の勝利である。石田と敷島とあかねは、地元の女 子高生と対戦である。なぜか、みんな似たような定位置で、 右は三段に並べるが、左は中・下段の二段しか並べない。 取りも一緒で、とにかく札押しで、バサッ、バサッと払う。 たまに一段だけを払うときれいな払いと感じてしまうくら い、二段払い、三段払いがしょっちゅうである。自陣も敵 陣もそんな感じで払われるので、並べ直すのが大変である。 こちらが正確に札から払ったあとも、委細かまわず自分の 感じで、バサッと二段払いをされると本当にイヤになって くる。こちらが出札から取っているのに、札押しの相手が 主張してくることもある。それが嫌で、押さえ手で押さえ ていると、遅れてきた相手の手がぶつかって痛い思いをす る。その上、下手な押さえ手は、あるとわかってからが速 い相手の札押しに取られてしまって、失敗する。これに嫌 気をささないでなんとか頑張らねばならない。
 あかねは、相当に嫌気をさしながらも、二枚の僅差で勝 った。
   「もうこんなデリカシーのないかるたとは取りたくな い。」
 ふくれっ面で文句を言っている。
 「一度に押さえられる面積で俺に勝てるわけがない。」 石田は、身長一九五センチに見合った手の大きさを誇示 する。何度も手をぶつけられたがびくともしないので、し まいには相手のほうがぶつかっていくのをやめてしまった。 十枚差の体格による勝利。
   「手がデカすぎて、自陣押さえるのに敵陣までさわって おいて、よく言うよ。俺なんか、見る札、見る札が出まく るんだ。それに不思議と決まり字前に払っても、お手つき にならなかったんだ。二十五枚当てれば名人にでも勝てる ぜ。」
 十八枚の大差で勝った敷島は、体重百八キロの自慢の巨 腹をふるわせながら豪語する。
 第二試合はD級は休みだった。先輩の買ってきてくれた 弁当を食べる。勝っている時は、何を食べてもおいしく感 じるものだ。休みの間は、邪魔にならぬようにA級の試合 を見るように伊能からの指示だったが、守ったのは、志保 と石田だけ。あかねは、相当に消耗したらしく控え室でヘ タっていたし、敷島は窮屈な姿勢で試合を見ても疲れるだ けだからと、控え室でゴロ寝。瀬崎は、あかねに付き添っ ていた。
 A級では、山内が大先輩の吉山を引いて、なんと二十七 枚差で負けていた。
 「山内くん、母校の恥よ。」と、吉山の厳しい一言。
 さすがに夜通しの運転はきつかったのだろう。免許を持 っていないため、運転を山内にお任せだった伊能は、地元 会出身の元名人と対戦している。取りでもめても無駄な言 葉はなく、すぐに決着をつける試合態度、お手つきをして もされても表情ひとつ変えないポーカーフェイス、自分た ちの試合と異なる緊張感など志保と石田は、感心しつつ観 戦していた。結局、取りつ取られつの接戦を制したのは元 名人だった。しかし、伊能も最後まで互角に戦っていた。 志保も石田も、大学にこういう先輩がいていろいろと教え てくれることを日頃は当たり前のように感じていたが、も っと有り難く思わなければならないのではないかと感じた のだった。
 佐藤珠子は、地元の市役所の選手と対戦している。この 市役所は職域・学生大会という団体戦にも出てくるので、 前にも対戦したことがある人だった。あかねが対戦したD 級の女子高生が、かるたを続けて、センスアップしてA級 になるとこんな感じになるのだろうか。珠子が上段中央に 一枚ずつ離して置いてある札を、突いて来ずに数枚まとめ て払ってくるところなどに、昔を感じさせるものがある。 珠子も、この手の相手は好きにはなれなかった。しかし、 そんな好き嫌いで勝てなくなるようでは、まだまだ、駆け 出しのA級選手でしかない。珠子は、負け試合の中から自 らのスピード・アンド・パワーの不足を感じるのだった。 西寺は、なんと時の名人と対戦。名人は翌月に防衛戦を 控えているだけに、この大会は名人戦に向けての絶好の調 整の場でもある。名人は強かった。あっと言う間に差が開 く。しかし、差が開いて守りモードに入ってからの西寺は 粘り強い。一対十から、八枚守ったところで相手陣が出て ゲームセット。
 「名人はこっちの右下段をトップスピードで抜くつもり だったんじゃなかいな。ここをその気でどれだけ取れるか って、力の一つのバロメータだと思うんだ。それにこだわ ったから、こっちは左下段とか守れたんだと思う。そうで なきゃ、左取られてもっと早く終わっていたよ。守りに入 ったら、右は抜かれない自信がますます強くなったけど、 肝のところで敵陣を取りに行けるようにならないと…。守 りで勝てるほどA級は甘くないよ。でも、時の名人と試合 で取れるなんて、A級冥利につきるね。」
 試合後、西寺は、分析を交えてこう語っていた。
 第三試合からは、全クラスが揃って試合できるようにな った。人数が多少少なかったB級は三回戦、他は二回戦で ある。今度も、地元女子高生との対戦が多い。石田と敷島 は、全然苦にせず余裕の勝利である。ところが、志保はあ かねから聞かされていた愚痴を自分もいうことになってし まった。志保も、あかね同様、デリカシーのない払いに嫌 気がさすタイプだった。何と一枚対一枚をかろうじて相手 のお手つきで拾う。
 「もう、あの手の相手とは二度と取りたくない!」
 志保の心の中の叫びである。
 あかねは、今度は地元の女子大生と当たった。さすがに 大学生は、個性的なかるたを取るだろうと思ったら、さっ きの女子高生と同じかるたである。系列で高校から大学ま で進学できるらしいが、かるたまで系列進学しなくてもい いと思う。しかし、それがここの指導方法なのだ。限られ た時間の中で、ある成果をだそうと思えば、ある程度類型 化したり画一化したほうが、効率がいい。かるた競技のお もしろさを知るようになれば、自己の工夫や、個性は自然 に出てくるものだ。いつまでも、人に言われた通りにしか できないようでは一流選手にはなれない。あかねも、腹を 据えて、自分の個性をかるたにぶつける。一試合取った慣 れなのか、先ほどより嫌な気がしない。それでも、三枚差 と辛勝であった。対戦終了後、相手から、「次も頑張って くださいね。」と声をかけられたのが、とても嬉しかった。
 あかねが手洗いから、戻ってくると西寺が声をかける。  「春日さん、自分がお手つきしたことを相手に教える必 要はないし、相手が取った出札を相手に渡してやる必要も ないんだよ。相手に取られたと思っても自陣にさげちゃえ ばいいんだから。相手だって自信のないことだってあるん だから。取ったと思ったら、敵が札を下げても送ってくる し、相手がお手つきしたと思ったら札を送ってくるか、『触 りましたか』って聞いてくるよ。その時に、触ってるのに 触ってないなんて嘘をつくのは信義にもとることだから駄 目だけど、相手が気づかない時は、『気づかない相手が悪 いんだから、言わない私が悪いんじゃない』ってくらいの 割り切りがなきゃ駄目だよ。」
 「相手がそうしてきたから、つい同じようにしてしまっ て…。でも、やっぱりそうよね。けど、お手つきしたの黙 っていると、試合の最後まで、心の中に引っかかってしま って…。」
 「言わないことで、その試合がおかしくなるようなら言 うというのも春日さんの信念だから、とやかく言わないけ ど、団体戦の時は、当然周りから非難されるよ。いや、今 は団体は関係ないね。自分の信念を大切にしたらいいよ。 試合前に余計なこと言って悪かったね。このことは忘れて 頑張ってね。」
 「いえ、アドバイスしてくれてどうもありがとう。自分 の心の弱さに勝つことも、この世界には必要だと思うから …。次もがんばるからね。」

 競技かるたのトーナメントでは、ベストエイトから入賞 である。準々決勝で負けた四人は四位となる。ベストフォ ーで準決勝が行われ、ここで負けた二人は三位となる。そ して決勝の結果、優勝と準優勝が決まる。
 さて、D一組もD二組も準々決勝である。ここまで残っ たら、入賞は確保したわけだ。賞状と賞品がもらえる。石 田と敷島は、初めての入賞ではしゃいでいる。入賞の勢い か、この準々決勝も楽勝である。もともとスポーツ部の出 身だけに体力がある。これも金色堂の光に接した黄金パワ ーだろうか。
 「あ、あたし、たった今、この人と対戦して勝ちました。」
 志保は、着席して対戦相手を見て狼狽している。
 「前の試合で対戦したのは、私の双子の姉です。よろし くお願いします。」
 本当に顔から身体つきから、そっくりである。かるたも そっくりで、定位置も取りも同じである。志保は、さっき の試合を思い出してうんざりしてしまっている。皮肉な組 み合わせではあったが、結果もほとんど一緒であった。一 枚対二枚から、最後は相手のお手つきでフィニッシュとい うパターンであった。
 あかねは、東京からの遠征組の早大の一本利明と対戦し ている。一本は、サウスポーである。相手の右を取りにい くと手がぶつかり、ブロックされてしまう。手があたると、 どうも遠慮がちになってしまうのがあかねの欠点である。 それでも、あかねが音に感じないでボーッとしている札を 相手があわてて遅いお手つきなどをしてくれるので、離さ れずにすむ。終盤は、力を振り絞って、敵の長め左下段の 外側の札を狙いにいく。相手は左下段を札押しで守ってい るから、その欠点を突こうというのである。うまい具合に 狙った札を取ることができて、四枚差で勝利をおさめた。
 「すごい。D級に出た全員がベストフォーに残るなんて 画期的なことですよ。」
 瀬崎がはしゃいでいる。しかも、どちらかというと練習 のほうがあまりかんばしくない石田と敷島ががんばってい るのである。
 「かるたってやつは、突然ブレイクするんだよな。」
 「かるたの強くなり方って、右上がり直線上に強くなる んじゃなくって、階段状に強くなるんだよな。横這い状態 でしばらくすると突然強くなって、また横這いって感じだ よな。」
 「うかうかしていると、お客さんにしていたあいつらに も負かされるかもしれませんね。」
 「それより、春日さんは立っているのがやっとのようで すよ。佐藤先輩が付き添っていますけど。あの身体じゃ、 やっぱりスタミナ不足ですよね。」
 応援団は勝手な話を続けているが、準決勝は暗記時間に 入っている。敷島は、またもや地元の女子高生と対戦であ る。相手の愛想笑いを受けて、にこにこしている。なにせ 太鼓腹の巨漢である。負かした相手からもずいぶん話題に されているようだ。彼の試合を同じ高校の仲間が囲うよう に見ている。
 石田は、立浪康一と対戦。お互いライバル大学には負け たくない。闘志剥き出しで、今にも火花が散りそうな雰囲 気だ。
 志保は、立浪の仲間の脇 直人と当たった。大人しい感 じで、志保の気合いを受け流すようだ。
 あかねは、自分が受験に失敗した地元大学の梶 勇とあ たっている。今度こそ「アオバモユル」ことができるだろ うか。
 敷島は、絶好調だった。ギャラリーの目をものともせず、 大山札を二枚も決まり字前に当てていた。ギャラリーの「ず っるーい」のささやき声も、自分の声援と思っているよう な厚かましさである。終始リードを奪い、六枚差で勝った。 石田は、立浪に苦戦している。手の大きさを活かした押さ え手も、立浪の払いのスピードについていってない上に、 手の大きさが仇になり、両陣ともに押さえてしまうミスも 出てしまっていた。粘りもさえず、八枚差の負けだった。
 志保は、気合い充分、今までの鬱憤を晴らすかのように 縦横無尽に取りまくる。十四枚差で快勝した。あかねは、 懸念のスタミナ不足なのか、手がでない。前半に大差をつ けられてから、なんとか守って粘るが、五枚差までがやっ とだった。試合終了とともに倒れ臥してしまった。か細い 身体ゆえ、見ているほうがつらいくらいだ。
 「志保ちゃんが勝ったのがわかったから、少しでも相手 に苦しんでもらおうって、がんばったの…。決勝がんばっ てね。」
 このあかねの一言は、志保に大きな力を与えた。
 D一組の決勝は山根志保対梶 勇、D二組の決勝は敷島 邦郎対立浪康一である。決勝は、凡戦に終わることが多い という。何試合も取り続けており、決してベストの状態で 臨めないからだという。一方が疲れきっているとワンサイ ドゲームにもなりやすい。D一組はそうなってしまった。 空手で鍛えた体力と気力で志保が、梶を圧倒していた。危 なげない十三枚差の勝利だった。もう一方の決勝も、ある 意味では世紀の凡戦といえるかもしれない。敷島が一回も リードをされず、追いつかれたと思ったら、四枚差で負け てしまうという前代未聞の結末だったからだ。敷島は、決 勝も絶好調で、目に入る札が出るという感じで、常に三〜 四枚差のリードを保っていた。終盤も一枚対三枚で、さき にリーチをかけた。しかし、魔がさしたか、自陣の大山札 を囲ったつもりが触ってしまった。この日はそれでもあた り続けてきたが、ハズレが出て二対二と、この試合初めて 追いつかれる。このあとすぐに「ながか」が詠まれるのだ が、敵陣の「なげ」を思わず払い、動揺したその手で送ら れて来たばかりの自陣の「ながら」に戻り、カラダブであ えなく試合終了とあいなったのである。勝負は、下駄を履 くまでわからないものだ。
 敷島は悔しがるが、あとのまつりである。後悔先に立た ずである。
 何はともあれ、無事に大会は終了した。山内の車は、賞 状・トロフィー・賞品輸送車になった。石田と敷島も、伊 能とともに乗せてもらうことになったが、他の連中は、新 幹線で帰らなければならない。疲れた身体で座れずに帰る のはきつい。特にあかねが心配だったが、自由席でも一人 くらいは座らせることができるだろう。会としては、まあ 良い結果が得られたので、強行軍もまた楽しであった。

 その頃、ミツオは、祖母よし子の葬儀を終えて、綱島の アパートに帰って来た。最近は、初七日の法要もその日の うちに行い、納骨まで済ましてしまうのだった。
 ミツオが、百人一首の札を見たのは祖父母のところでだ った。二人の兄と一緒に祖母から坊主めくりを教わったの だった。兄たちは自分と同じ名前の作者の札を見つけて嬉 しそうに眺めていた。ミツオは、自分と同じ名前の人の札 はなぜないのだと祖母に言っては困らせていた。祖父母は 百人一首が好きだったようだ。ミツオたち兄弟に一応源平 戦のかるた取りのルールを教えてくれた。結局は、やらず じまいだったが、それが今の自分につながっているのだ。 大学でかるた会に入った話をした時は、本当に嬉しそうな 顔をしてくれたのを思い出す。寂しさがふと心をよぎって いった。
 「TRRR…」
 そんな寂しさを散らすかのように電話が鳴る。
 「もしもし、佐多ですが。」
 「かるた会の伊能だけど、仙台の結果を教えようと思っ て。」
 伊能は、みんなの活躍を教えてくれた。ミツオには自分 のことのように嬉しい。しかし、自分も負けないように頑 張らねばとも思う。彼らは、仲間であり、友であるが、一 番身近なライバルなのだ。
 「わざわざ、ご連絡いただきましてありがとうございま した。」
 ミツオは伊能の心遣いにも感謝した。家族関係が希薄に なっているとはいっても、肉親の死は少なからずショック である。伊能の連絡には、そうした思いの中に沈んでいる かもしれない後輩への慰めと励ましの意味もあったからだ。
 「じゃまた、明後日の練習で。」
 「いえ、あのちょっと風邪気味で、練習は休もうかと…。」
 ミツオは練習を休む口実を適当に言ってみる。仙台での 活躍で盛り上がる練習に、今の気持ちのまま行っても周囲 に水をさしてしまうのではないかという思いがあったから だ。
 「なに、風邪? 風邪なんてかるたを取ればなおるもん だ。土曜日には納会があるんだから、それまでに風邪をな おしとかなきゃいけないだろ。じゃあ、火曜日にまたな。」
 相変わらず、訳のわからぬことを言う人だ。そういえば、 頭が痛いと言っても、腰が痛いと言っても、「かるたを取 ればなおる。」というのが、伊能さんの決まり文句だった っけ。ミツオはこみあげてくるおかしさを感じていた。い つしかミツオの気持ちは、日常に呼び戻されていた。

  *

 JRの原宿駅は、いつも若者でごったがえしている。そ の中でも竹下通りは特に混み合う。その竹下通りに面した 寿司屋の二階が、ミツオたちのかるた会の納会の場所だっ た。いつ頃から使われ始めたのは定かではないが、恒例と なっている。
 現役学生が日吉にあるキャンパスで通常の練習を終えて 件の寿司屋に到着すると、すでに来て待っているOBもい た。OBが多く来れば来るほど、現役の経済的負担が減る のである。また、こういう席で、現役はOBの顔と名前を 覚えていくのである。卒業すると競技かるたをやめてしま うケースも多いが、中には現役選手として取り続けている ものもいるし、吉山のようにA級のトップクラスの選手も いる。こうした様々なOBとの交流は、競技や実社会につ いて学ぶよい機会になっているのである。特に三年生は、 さしせまる就職活動について、いろいろと情報を仕入れる こともできる。
 さて、会が始まって、ビールで喉がしめったころになる と、現役の自己紹介と近況報告が始まる。入学年度の近い ところから順番に上にいくというのが伝統である。とりあ えず、一年生は初対面のOBには、名前と顔を覚えてもら わねばならないが、それぞれに大会での成績などのあたり さわりのないことを報告している。こういう時に変わった パフォーマンスをすると印象づけられるものなのだが…。
 二年生になると、会の役員の交替もあり、また、雰囲気 が違ってくる。
 「瀬崎泰彦です。僕の代は、結局一人なものですから、 佐藤さんから引き継ぎまして、新年から会長をやることに なりました。下の代が一応六人もいるので、いろいろと働 いてもらうつもりです。 頑張りますので、みなさんよろ しくお願いいたします。」
 「よしっ、頑張れよ。」
 励ましの声もかかる。今まで珠子と瀬崎がやってきたこ まごまとした会の運営に関する仕事がミツオたちの代に引 き継がれることになる。瀬崎と同様、彼らもまた、頑張ら ねばならないのである。
 「佐藤珠子です。やっと会長職から解放されてホッとし ています。早水先輩から会長を引き継いでから、会長とし てなんとか責を果たしたと思えることが三つあります。一 つは、一年生が六人も入って、みんな続けてくれているこ とです。二つめは、職域・学生 大会で春・夏ともにチー ムをA級に残留させることができたことです。もちろん私 も協力しますが、瀬崎新会長には、今年以上の成果を期待 しています。最後は、個人的なことですが、なんとかA級 にあがれたことです。かるたを始めたころの目標だったの で、とても嬉しかったです。でも、いまだに未勝利なので、 まずは一勝を目指してこれからも頑張りたいと思います。」
 珠子の代は、会員はいるにはいるのだがレクリエーショ ン班なので、実質ひとりで会の運営を切り盛りしてきたと いえるだろう。
 「市山です。三年めです。四月には三年生に進級する予 定です。かるたはほとんど取らなかったので、会のことは 佐藤にお任せ状態でした。けど、敷島には随分遊びを教え てやったよな。俺は来年から研究会入って学業にいそしむ から、遊びたかったらしっかり仲間をつくれよ。」
 「黒木です。突然ですが、大学をやめます。実は、家業 を手伝わなければならくなり、石川県の羽咋に帰ることに なりました。かるたは小学校以来六年間のブランクで再チ ャレンジしてみましたが、結局練習しないままでした。期 待していた先輩方、大変申し訳ございませんでした。まあ、 レクリエーション面では楽しく遊べましたし、いろんな仲 間と知り合えて充実した学生生活だったので、満足はして ます。いろいろお世話になりました。」
 「えっ。」
 「うそっ。」
 「知らなかったよ。」
 役者稼業専念のために柳田が中退したばかりだったので、 相次ぐ中退の報告に動揺が走った。アフターカルタ要員だ ったかもしれないが、貴重な会のメンバーとの別れは一抹 の寂しさを感じさせる。
 「四年生の山内銀之介です。就職は鹿児島のほうに決ま りました。向こうでもかるたを続けますが、その場合県協 の所属に移籍するつもりです。そうなると試合でみなさん と当たることもあると思いますので、お手やわらかに。」
 「早水 弘です。四月からは岡山勤務です。仕事は無茶 苦茶忙しいようですが、なんらかの形でかるたとは関わっ ていくつもりです。とりあえず、かるたが目一杯取れるの はあと三か月しかないので、遠征も含めて試合に出まくろ うと思っています。卒業までにA級で優勝するのが夢です。 伊能さん、重村さん、決勝であたったら譲ってください。 よろしくお願いします。」
 重村というのは、若いOBで常にA級優勝候補に名前が あがる一流選手である。大学の練習には来ないが、合宿や イベントには顔を見せる。早水は、自分が準決勝まで行っ て、他にお仲間二人に残ってもらい、当たり次第で戦わず して優勝するという虫のいいことを考えているのであった。
 「大仙です。好きなもんで一年余分に学生してます。ぎ りぎりで卒業単位が足りそうなんだけど、就職は決まって ません。もし、卒業できたら、知り合いが誘うんで、ハワ イにでも行って仕事の手伝いでもしてやろうかなとは思っ てるんだけどね。かるたは真面目にやらなかったけど、最 後の年に賞状もらえたのがいい思い出というとこです。」
 あとわずかで大学を去らねばならないものたちは、それ なりに思い出を抱えて出ていくのだろう。三か月などあっ と言う間に過ぎていくに違いない。ミツオは、上級生の話 を聞きながら、時間の大切さを感じていた。時間は無限に あるものではないのだ。大学時代という限られた時の枠の 中で、まず何をなすべきなのだろうか。競技かるたの世界 で生きるなら、目標を定めて効果的に練習すべきだろう。 いろいろな遊びをする時間も欲しい。恋と出会う機会に恵 まれたいとも思う。こうした学生生活を送るには、必要な 単位は取らねばならない。単位が取れなくて除籍になった ら、こうした時間利用の基盤となる学生という身分を失う ことになってしまうのだ。
 伊能を含むOBたちの挨拶が終わると、ミツオたち一年 生は、ビール瓶を持って、個別にOBのところに挨拶に行 く。OBを覚え、自分を覚えてもらうためだ。よく来てい るOBはともかく、初めてのOBには気をつかう。
 「ミツオ、ちょっとこっち来いよ。」
 高橋 雅が呼ぶ。
 「はい。なんでしょう。」
 「いつも大学で顔を見てるからっていって、そう邪険に しなさんな。俺だって一応OBなんだから。まあ、ついで やるから。」
 「いただきます。」
 高橋は、大学に勤めていて、よく練習に顔を出している ので、現役学生からはOBというより上級生に近いと感じ を持たれているため、こういう時も現役に後回しにされて しまう。
 「実はな、俺は毎年、仕事納めのあと十二月二十六日か ら二〜三泊で、西寺の母校まで勝手に強化練習に行ってい るんだ。去年は瀬崎、一昨年は早水と行った。今までは、 ユースホステルやビジネスホテルを取っていたんだけど、 今年からは西寺の実家に泊まれることになっている。瀬崎 も行くから車は出るし、どうだ、一緒に行かないか?」
 「そうですね。ぼくも実家に帰る通り道であることはあ るんですけど。」
 「なら、いいじゃないか。お前も少しは、よその会の練 習の雰囲気を味わってみろよ。いつも同じ相手とばかりじ ゃ、どこが早くてどこが遅いとか、癖がわかってしまって、 多少マンネリ化しないか。初顔合わせの相手と手探りで取 り進めていく練習というのも経験しておけよ。試合で役立 つし。それから、団体戦の雄と呼ばれる高校が、どんな環 境で練習しているか見てみたいと思わないか。」
 「あの、夏に試合で当たった連中との対戦もあります か?」
 「対戦は向こうの先生が組むから、なんとも言えないけ ど、中にはそういう対戦も組まれるだろうな。」
 「あまり再戦したくない気もしますけど…。行ってみよ うかな。」
 「よし、決定。おい、瀬崎、四人めが決まった。西寺、 宿泊ちょうどになったぞ。」
 「お一人様、宿泊追加ですね。これで満室です。」
 「でも、なんでぼくなんですか?」
 「女性は誘いにくいだろ。それに身長と体重の制限があ って…。」
   「はあ??」
 「いや、冗談だよ。」
 「ミツオは、秋学期の練習が始まってから、一年生相手 に負けていない。もちろん西寺は別格だけど。俺もここん ところミツオに負け続けているよな。佐藤さんにも連勝し ているだろ。今日も、久々に練習に来た山内さん早水さん に連勝。伊能さんにもこの前初勝利をあげていただろ。確 かにうちの中では強いよ。でも、その強さが、内弁慶じゃ ないって言いきれるかい。」
 瀬崎が、話に入ってきた。
 「どんな環境でも練習はできると思う。だから、うちの 中だけの練習でも強くなれる。でもね、井の中の蛙になる 恐れもあると思うんだ。ミツオが今、そうなっているって 言っているわけじゃないから気を悪くしないでくれ。伊能 さんも研究が忙しいから練習にあまり来れないし、ミツオ が勝ったのも徹夜明けで練習に来た時だったものな。西寺 もあの調子で、テニスサークルの合間に来て麻雀の面子が 揃う時間潰しに取る程度だろ。強い人と練習する機会が少 ないんだ。もっと大海を知る必要があると思う。それには いいきっかけになると思う。なんせ、西寺のところは層が 厚いからな。それに可愛い女の子もいるぞ。」
 「いや、いや、うちの練習は最高ですよ。自由だし、和 気藹々とした雰囲気だし、ぼくは大好きです。瀬崎会長、 来年は可愛い新入生をたくさん入れましょうね。」
 「どうせ、あたしは可愛くないですよー!」
 小耳に挟んだのか、突然志保が絡んでくる。
 「い、いや、決して君たちのことを言ってたんじゃない んだ。」
 「えっ、君たちって、私も『たち』の一人だったんです か。」
 あかねにも絡まれて、瀬崎はうろたえている。こうして、 なごやかな雰囲気の内に、かるた会の納会はお開きになっ ていく。そして、この晩もまた、OBを加えてパワーアッ プした徹マンの卓が囲まれるのだった。

     *

 静岡県富士市、製紙の町である。田子の浦のヘドロは製 紙産業によって生み出されたものだったが、ヘドロの話も 今は昔のことで、田子の浦港も今では静かなたたずまいを 見せている。
  田子の浦にうちいでて見れば白妙の
        富士の高嶺に雪はふりつつ
 百人一首にも採られているが、山部赤人のこの歌は、あ まりに有名である。
 富士山は見る角度によって様々な顔を見せる。しかし、 自分の生まれ育った町から見た角度が一番美しいと感じる そうである。西寺の出身高校からも、美しい富士山の姿を 見ることができる。知る人ぞ知る競技かるたの名門高校で ある。団体戦に強く、職域・学生大会や高校選手権などで 幾度となく優勝を飾っている。個人戦でも正月に行われる 大会では、B級以下の優勝者を毎週のように出している。 今は他校に転勤してしまったが、指導されていた教諭は、 個人戦も団体戦のためのものという意識で位置づけている ということを言っていた。「フォー・ザ・チーム」という 意識は、西寺の経験のように時として重荷にもなるかもし れないが、そう簡単に育てられるものではない。時間をか け、何世代にも渡って会の中に形成され、受け継がれてい くものなのである。
 終業式が終わっても、部活はぎりぎりまで行われている。 かるた部の練習は、朝の八時三十分から始まる。朝早く東 京を出発した一行は、さすがに眠い。特に運転手の瀬崎は、 運転で神経をすり減らしたせいもあるのか、ぐったりして いる。西寺は、昨日一足先に帰っているので、高校で落ち 合うことになっているが、まだ来ていない。高橋は、さっ そく先生に挨拶をしている。
 生活会館と呼ばれる練習場では、何人かの生徒がぼろぼ ろの札を並べて払いの練習をしている。あまりに古くなっ た札は、払いの練習専用の札にしているのだという。ミツ オは、練習しすぎて指紋が消えた生徒の伝説を聞かされて いたが、その払いの練習の熱心さを見て、さもありなんと 感じていた。自分が下宿でやっている払いの練習は、まだ まだ甘かった。
 「時間になったぞ。対戦はここに並べてあるから確認し て、着席して。今日は、東京からゲストが見えているから な。」
 「ミツオ。対戦カードの置いてあるのと同じ位置に座布 団を置いてくれているだろ。そこに座るんだ。」
 「は、はい。」
 急いで着席するミツオ。三十人からのメンバーが、サッ と行動する。その無駄のない行動にすでに圧倒されていた。
 「よろしくお願いします。」
 可愛い笑顔で、ニコッと挨拶される。
 「よ、よろしくお願いします。」
 さっそく夏の学生選手権D級決勝で対戦した相手だ。そ の時はあまり顔など見る余裕もなかったが、今、対面して みると丸顔で可愛いことに気づく。じっと顔を見つめてい ると、目があってしまい、あわてて札を混ぜる。決勝では、 相手の体力の消耗に助けられた感じだったが、あれから四 か月、どのくらい強くなっているのだろうか。ミツオは気 を引き締めなおした。
 広い会場、多い組数。試合と同じような環境である。組 数が多いから札を整理するインターバルも、試合の時と変 わらない感じだ。残り札の確認がきちんとできる。一組、 二組をあわただしく取っている大学の練習とは大違いであ る。無駄口もないし、主張も真剣だ。先生の目も光ってい る。ミツオは戸惑い、緊張していた。手が出ない。すっと 出る相手の手に自分の感じが消されている。しかも、一年 生の詠みがうまくない。H音は聞き取りにくいし、間がぶ れる。大山札の五字めと六字めの間をあけてしまったりす る。注意されながらの詠みだ。試合はというとどんどん差 が開く。遠征組は、みんな大差で劣勢である。まず、瀬崎 が二十枚差で討ち死に、ついでミツオが十七枚差でアウト、 高橋は自陣の上段に札を多く置いて、丹念に取ったり拾っ たりしながら粘りに粘って三枚差まで持っていく。負けは するものの、同じような大差からあそこまで格好にしてし まうのは大したものだと思う。他人に感心するよりも自分 が情けない。単に早起きのせいではなかろう。完全に響き 負けであった。
 二試合めがすぐに組まれる。西寺はまだ来ない。今度は、 初めての相手だった。一年の女子生徒だ。詠み手は変わっ たが、下手さはあまり変わらなかった。結果は、さっきと 似たようなもので、十五枚差の負け。とにかく払いが正確 である。ミツオが札を取りに行く微妙な間に、スッと手が 出てサッと出札を払っているのである。こちらの主張にも、 ニコッと微笑んで「どうぞ」と譲ってくれる余裕である。 この笑顔に惑わされてはならない、気合いと暗記を入れ直 してと自分に言い聞かせるのだが、事態はかわらない。そ のままズルズルと負けてしまった。いつの間にか西寺が来 て見ていた。いやなところを見られてしまった。瀬崎は、 さっきと同様二十枚差で負け、早々に別室で仮眠にいって しまっていた。高橋は、接戦の末に勝ったもののゼーゼー 言っている。
 瀬崎が眠っているので、近くに弁当を買いに行って昼の 休憩を取る。高校生たちは、持ってきた弁当を食べると、 宿題をするもの、源平をするもの、トランプをするものな ど好き勝手に時間を過ごしている。こういう光景は、高校 生らしくてホッとさせるものがある。しかし、中にはこん な時にも払いの練習をするものもいる。西寺が後輩たちと トランプに興じている姿は、母校のよき先輩なんだろうな と感じさせる。
 腹がくちくなると眠くなるが、眠ってしまってはかるた が取れない。瀬崎はいびきをかいて眠っているので、脇に 弁当を置いて放置しておくことにした。先生には理由をい って、彼をはずしてもらった。
 ミツオの今度の相手は、一年の男子生徒だった。払いは 豪快だが、ムラがあるタイプで、ミツオは五枚差で初勝利 をあげることができた。安堵のため息をひとつつくと、隣 では高橋がサウスポー相手に五枚差で勝っていた。一年生 相手に十八枚差で勝った西寺が、高橋の相手について説明 してくれた。
 「彼は、竹山っていって、本当は右ききなんだけど、か るたでクラッシュしてしまって、中指を骨折しちゃったん だ。でも、正月のシーズンに試合に出たいからって、目下 左手の取りを練習中なんだ。ちょっと払いは、粗いけどよ くあれだけ取れるだろ。」
 「えっ、本当? ぼくは駄目だ。練習しても左手じゃ取 れるようにならないよ。」
 大学生活よりも短い高校生活の中では、時間の密度はも っと濃いのかもしれない。しかし、これだけ高校で熱心に 取っていても、大学に入ってからも続ける人間が少ないの は、何故なのだろうか。続けていても、西寺などはさめて いる感じだ。
 四試合めになって、瀬崎は復活してきた。
 「いやー、すっかり眠ってしまってすみません。高橋さ ん、弁当いただきました。いくらですか?」
 「いいよ。運転してきてもらったんだから。それより、 休んだんだから、午前中みたいなことになるなよ。」
 「どうもギャルには弱いもんで、すいませんねえ。」
 掴みどころのない男である。実際、このあとの対戦相手 は男だったせいか、しっかりと勝っていた。西寺は、今年 のエースといわれる生徒の相手をしている。あの終盤の守 りの強い西寺が、一枚対三枚で固めて守っていながら、抜 かれて負けていた。高橋は、なんと先生と取っている。大 学時代に取って以来の再戦だという。四枚で勝って、雪辱 できたかななどと言っている。しかし、試合の団体戦での 負けは、練習での勝利では返せないものだ。試合の場は、 一期一会なのだ。
 ミツオは、瀬崎風に言えば再びギャルにあたり、二十枚 差で負けてしまった。相手はノーミス、ミツオは感じ負け しないように手を出した結果、お手つきを連発したためだ った。西寺に後で聞いたところ、一年生の中では一番感じ が速い相手だったそうだ。ただし、いつもは勝手にお手つ きをしてしまって崩れるそうだ。どうやら、今回は相手が お手つきする前にミツオがお手つきしてしまったらしい。 無理に早さで対抗しようとしないほうがよかったかもしれ ない。こんなに早くてお手つきがなかったら、たしかに無 茶苦茶強いだろう。こういう選手は、一流選手にも勝てる 可能性があるかわりに、弱い奴にも負ける可能性があると いうタイプである。団体戦での使い方が難しいというか計 算が難しい選手である。相手の主将にうまく当てたいとこ ろだろう。かるたにもいろいろな個性があるものだとつく づく感じる。ミツオは、ひょっとして自分が狭い世界の中 でしか練習していなかったのではないかと思い始めていた。
 練習が終わると、全員集合で輪になって座る。正面には、 先生とゲストが座る。ゲストは一言ずつ挨拶をいわなけれ ばならない。
 「高橋です。夏以来のお邪魔ですが、約束どおり仲間を 連れてきました。もうじき正月のシーズンですから、上の 級目指して頑張ってください。たとえ、大差で負けていて も、最後の一枚を取られるまでは、まだ負けていないので すから、あきらめないようにしましょう。」
 「瀬崎です。一年ぶりに寄せてもらいました。今日は、 不本意な体調ですいませんでした。明日は、もっとがんば ります。」
 「佐多です。夏の学生選手権で対戦した方は覚えていて くれてますでしょうか。今日、対戦したみなさんは、かる た歴はぼくと同期なんですよね。差をつけられちゃった感 じなので、追いつけるよう頑張ります。」
 「西寺です。詠み手は、自分がその詠みで取る立場にな って、聞きやすい詠みを心がけること。大会で負けたら、 他の試合を見ることも大切かもしれないけど、詠みも参考 にして研究すること。」
 さすがに西寺はOBだけあって、きびしい一言を言う。
 「それでは、今日の練習はこれで終わります。」
 「ありがとうございました。」
 練習の終わりはいつもこのように整然としているようで ある。こういうスタイルもけじめがついてよいものだとミ ツオは感じていた。帰り仕度を終えて練習場をあとにしよ うとすると、まだ、何人かが払いの練習をしている。電車 の時間待ちだと西寺は言うが、この熱心さはミツオにとっ て新鮮な感動だった。
 その晩、西寺の家では、夜遅くまで麻雀牌の音が響いて いた。高橋たちが四人という数を意識していた理由はこれ であった。

 翌日も、午前二試合、午後二試合が組まれていた。この 日のミツオは、二年生と取らせてもらっていた。雰囲気に 慣れたせいか、前日に比べると伸び伸びと取れた。一勝三 敗であったが、昨日のようなタバ負けはなかった。右手を 怪我しているにわかサウスポーの竹山とも取ることができ た。総じて言えることは、一枚一枚を大切に取っている感 じが伝わってくることと、払いの正確さを心がけているこ とである。しかし、余りにこだわるあまりに払い残しが目 立つ相手もあり、ミツオは貴重な一勝をあげることができ たのだ。瀬崎も昨日よりは回復したようだったが、本人が 言うとおりギャルに弱くヤローに強いというままの結果だ った。西寺は、何故か大学の練習の時より生き生きしてい るようだ。あの大学でのさめた感じは、ポーズなのだろう か。高橋も、大学で練習する時よりも純粋に競技に没頭し、 競技を楽しんでいるようだ。大学の中ではどうしてもOB 意識が出てしまうのだろう。ここでも結構な年齢差がある はずなのだが、それはあまり気にしていないらしい。本人 に言わせると、伸び盛りの選手がブレイクする力を蓄積し ている時に練習して、その力をわけてもらうのだそうだ。 いろいろなことを言うものだ。
 こうして、ミツオの他会練習初体験の二日間が終わった。 大学の中では強いと言ってもらえるが、よその練習に来た だけで緊張してしまったり、まだまだ未熟な自分を実感し た二日間であった。正月はC級で試合に出るのだが、C級 の層の厚さを垣間見た練習でもあった。
 仲間と別れ、実家に帰る年の瀬の列車の中、ミツオは一 人闘志をたぎらせていた。「やるぞ!」という強い思いが、 いつまでも彼の心を支配していたのだった。


  Copyright:Hitoshi Takano

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