札模様  第八章

  七月  ――めぐりあひて――


   

 月初めの土曜日、午後一時の練習の定時に日吉の練習場 にミツオが顔を出すと、敷島がドアの前に佇んでいた。
 「よおっ、ミツオ。久しぶりだな。まだ、誰も来てない ぜ。鍵も開いてないぜ。」
 「しょうがないな。現役は何をやっているんだ。」
 「ミツオ、俺たちだって五年めとはいえ一応現役だろ。 しばらく来ないうちに引退したのかよ。」
 「いや、そういうわけじゃないけど。まあ、気分は半分 くらいOBじゃないか。鍵を借りに行ってくるわ。」
 ミツオが、課外活動棟の受付で学生証と引き換えに鍵を 借りて戻ってきても、いまだに敷島しかいない。
 「試験前だから来ないのかな。」
 「そうかもしんないな。それにしても日吉のやつくらい 時間どおりに来いよな。」
 二人でブツブツ言いながら、鍵を開けて部屋の中に入る。 和室の畳も結構いたみ出している。練習でよく使う場所の 手を置く位置や、膝の位置などは畳の目が随分擦れている。
 「ミツオは、結局どこに決まったんだよ。」
 「外資系の保険会社に内々定。」
 「第一志望じゃないんだ?」
 「かるたの札を作っている会社に行って、最終面接まで いったんだけど、かるたの話じゃもうだめなんだよ。ゲー ム機の時代なんだよ。まあ、他のやつより手間取っちゃっ たよ。そういう敷島はどうしたんだ。」
 「まあ、理系は研究室で決まっちゃうからな。リストラ 云々で話題の自動車産業さ。大学院にも行きたかったんだ けど、留年してるしな。成績も良くないし。勉強好きって わけでもないし。」
 ミツオたちの同期の連中は、みんな四年間で卒業してい った。石田 基は四国で働いているし、西寺 守は商社マン だ。春日あかねは、父親のコネで入った会社の経理部にい る。東京にいるので、ミツオともしばしば会える。山根志 保は、信用金庫に勤めているという。どうもイメージがわ かない。みんな働いて稼いでいるんだなと思うと、ミツオ も多少の焦りは感じるが、敷島という相棒がいるおかげで 心強い。
 「勤め始めるとなかなかかるたも取れなくなるようだけ ど、山根は小倉忌に出たらしいぜ。」
 「千葉有明会か。彼女には居心地のいい会なのかもしれ ないな。」
 「去年の夏のA級優勝がうそのようだな。」
 「ああ。今年もそういう季節だな。古賀はどうする気な んだろう。」
 「三月は悲惨だったな。西寺は合宿研修が始まっていて、 石田もすでに四国に行っちまってたからな。山根も出てく れなかったから、Bチームは四人で取ったんだもんな。」
 「第一ブロック三位と第二ブロック四位で陥落決定戦で 当たるとは思わなかったよな。」
 「星を調整しても二チーム残せないんだから、情けない よな。」
 「こんちわー。」
 三月の職域の話で盛り上がっていると、二年生の前田順 一が入って来た。去年の冬に入ってきた貴重な二年生だ。
 「遅くなってすいません。」
 「あと誰か来るのかい。」
 「さっき、北にあったんでもうじき来ますよ。」
 北というのは、今年の唯一の新入生だ。北 大地という名 前のとおり北海道生まれの男である。下の句がるたの経験 者である。実は、北海道では三人一組で源平戦を行う下の 句がるたが主流である。このかるたは板でできており、変 体仮名で書かれた板札を利用する。そして、上の句は詠ま ずに下の句を詠んで札を取り合うのである。「紙の札は、取 った気がしないんです。」というのが彼の口癖だ。
 「ちわー。」
 現会長の古賀が入って来た。
 「よっ。久しぶり。」
 「お二人とも、本当に久しぶりですね。就職は決まった んですか。」
 「ああ。ばっちりだぜ。古賀は熊野たちがどうなったか 知らないか。」
 「鈴木さんは決まったって聞きました。八角さんは大学 院目指して勉強中です。それより熊野さんの行き場所知っ てます。」
 「知らないから聞いているんじゃないか。」
 「もったいぶらないで早く教えろよ。」
 「実は、うちです。」
 「えっ。」
 「うちの職員ですよ。高橋さんの後輩ですよ。」
 「へえ、かるたを続けやすい環境を選んだわけだ。」
 「まあ、そうなんでしょうね。」
 四年生の進路の話題の最中に北が来た。
 「こんにちは。遅れてすいません。」
 五人集まって、練習開始だ。一時集合の予定が一時半開 始というのは、時間にルーズな感じを否めない。決してほ められたものではない。三年生以下が留年者と藤沢キャン パスのメンバーを入れても五人しかいないというのでは、 ミツオが入学する前の状況に戻りつつあるかのようだった。 ミツオは自分が卒業するまでにもう少し新規入会者を確保 しなければならないと思っていた。
 一回めが終わる頃に熊野が来た。ミツオは北を相手に取 っていた。北の突き手と押さえ手は、板がるた時代の名残 なのか一風変わっている。しかしながら、下の句がるたと 上の句がるたの違いはあるが、出札を取るという行為にお いては経験者なので楽しみでもある。敷島は前田と取り終 わっていた。まだまだ、新人には負けない。
 「…しのぶれど…」
 古賀の詠みで、北が札を押さえる。
 「あちゃー。また、やっちゃった。」
 北は「たま」の札を押さえていた。「たま」の下の句は「し のぶることのよわりもぞする」である。どうやら、下の句 がるたの癖が抜けないようだ。このお手つきのあとは、ミ ツオが連取してあっさり終わった。
 「まあ、下の句時代の癖は、はやく忘れて、払い手なん かに慣れることだな。あの取ったあとも畳をバンバン叩く のはやめたほうがいいんでないかい。」
 「あの畳叩くの前からの癖なんですよ。景気づけなんで すけど。どうも紙の札は取った気がしなくて、ついやっち ゃうんです。気をつけます。それから先輩、『いいんでない かい』は、どちらかというと『ええんでないかい』ですよ。 それにイントネーションが違います。変に真似しないでく ださい。」
 「下手に方言の真似して悪かったな。まあ、仲間を増や して頑張れよ。」
 「はい。」
 敷島は、熊野に話しかけている。
 「やあ、お前とも久しぶりだなあ。就職先聞いたよ。よ かったじゃないか。高橋先輩もいるし。」
 「ええ、ありがとうございます。先輩もお決まりになっ たそうでおめでとうございます。職場のチームで職域に出 て来てくださいね。」
 「そうだ。職域と言えば…。古賀、チーム編成考えてい るか。」
 「敷島先輩、そうなんです。人数の確保が問題なんです よね。一応、A級チームは、古賀、佐多、敷島、熊野、八 角のつもりです。B級チームは、確実なところでは、前田 と北で、鈴木さんも頼めばOKだと思います。」
 「三人で出させるのは酷だよな。」
 「藤沢の子は試合に出るのは嫌だって言ってるそうです し、頼みは渡部さんですね。」
 「それでも四人か。五人いたって三つ勝てるかわからな いのに最初から一つ落として戦うっていうのは不利だよ な。」
 「熊野と古賀で、ちゃんと人数の確保しておけよ。」
 「四年生になっても俺ですか。下は少ないし、先輩が卒 業せずにまだいるんだもんな。しかたないか。」
 職域のメンバー不足がひどければ、一チームに絞って片 方は出場辞退を考えなければならない状態だった。
 二回めの練習は六人になるというので、敷島が休んで、 ミツオが詠みになった。かるたは偶数だと練習効率があま り良くない。古賀対熊野は、古賀のタバ勝ちだった。しか し、最近の古賀は「腰が痛い」と言って、腰を自分でボン ボンと叩きながらかるたを取っている。痛いなどと言って いるわりには無茶苦茶はやく取るのは相変わらずである。 前田と北は、いい勝負だった。北のほうが反応もはやく札 もたくさん取るのだが、お手つきが多く、遅くとも確実に 手を出す前田に二枚送られるシーンも結構目立った。今の ところ良い練習相手になっているようだった。結局、二枚 差で前田が勝った。
 「ああ、危うく九十九枚詠まされるところだった。久し ぶりに詠むと結構つらいね。」
 突然、ふすまがガラッと開いた。
 「よっ!」
 皆の視線が集まる。小柄で、頭にバンダナを巻いた口髭 を伸ばした男が立っている。
 「あれっ。大仙さんじゃないですか。いやあ、珍しい。 本当にお久しぶりです。いつ帰って来たんですか。」
 ミツオが慌てて挨拶する。
 今のかるた会のメンバーで大仙を知る者は、ミツオと敷 島だけになってしまった。大仙は、現在五年生のミツオた ちが一年生の時の五年生なのだから当然である。しかも、 ハワイで仕事すると言って、OB会などにも顔を出したこ とがないのだからなおさらである。
 「まあ、仕事で向こうとこっちを行き来して、たまに帰 ってくるけど、一年の大半は向こうだね。先週から二週間 ばかりこっちにいることになってるんだ。」
 「立ってないで、どうぞ座ってください。」
 敷島が座布団をすすめる。
 「おっと、紹介したいやつがいるんだ。デビッド、カモ ン。」
 背の高い紅毛碧眼の男が入ってきた。日本に来るといか にも外国人という感じがするタイプだ。
 「プリーズ、シットダウン。」
 敷島は律義に英語で座布団をすすめる。
 「サンキュー。」
 デビッドと呼ばれた男は、座布団の上にきちんと正座し た。西洋系の外国人にしては珍しい。
 「現役の連中は、俺のことも知らんだろうから、自己紹 介しとくわ。大仙です。敷島や佐多が一年の時の五年生だ ったと言えばわかりやすいかな。卒業してから、ハワイで 仕事してます。今日はこいつの付き添い。じゃあ、デビッ ド。挨拶。」
 相変わらず、ぶっきらぼうな物言いである。
 「はじめまして。わたしは、デビット・スミスと言いま す。ハワイのグラデュエットスクールで、アンソロポロジ イを勉強しています。今度、ここの大学のインターナショ ナルセンターの日本語科の中・上級クラスで日本語を勉強 します。日本文化についても勉強します。よろしくお願い します。」
 イントネーションが違ったり、話し方がゆっくりであっ たりはするが、日本語できちんと話しをする。さすがに日 本文化を勉強するために来ただけのことはある。
 「それから、みなさんにお願いがあります。かるたゲー ムを教えてください。それから、人探しを手伝ってくださ い。お願いします。」
 「何、人探しったって、かるた会の関係者のことだから さ、知恵貸してほしいんだよ。手短かに説明すると、やつ の家にもう何年も前にホームステイした日本人が、百人一 首を一組記念にプレゼントしていったらしいんだ。そいつ の日本の連絡先がわからなくなっちまったけど、せっかく 日本に来たから探して逢いたいって話さ。」
 「名前とか、手がかりはあるんですか。」
 「たまたま、仕事の関係で、こいつんとこ行ったら、日 本人だったら、このカードゲーム知ってるだろうって札を 見せられてよ。まさかハワイで百人一首にお目にかかると は俺も思わなかったよ。アイアム黒帯プレーヤーだって言 ったら、今の由来を聞かされてさ。これも何かの縁だと思 ってさ。力になってやるって約束したんだ。」
 「その札が手がかりですか。」
 「そうなんだ。その箱には、きたない筆記体でサインが してあってさ。モンタロ・オイカリって読めるんだよ。知 ってるか。」
 「モンタロ・オイカリって、千葉有明会の大碇紋太郎さ んのことじゃないですか。へえ、あの人ハワイにまで行っ てかるたの普及してるんだ。」
 「知っていますか。ぜひ、逢いたいです。逢わせてくだ さい。」
 「スミスさん。わかりました。今晩、電話であなたに大 碇さんのテレホンナンバーをお知らせします。」
 「オー、サンキュー。どもありがとございます。」
 「大仙さん、連絡先は全日本かるた協会の名簿に載って いるから、家に帰ればわかりますよ。スミスさんの連絡先 をあとで教えてください。」
 「なんだ。えらい簡単な人探しだったな。拍子抜けした ぜ。デビッド。俺のお陰だぞ。」
 「ミスター・ダイセン、ユーアーグレイト。サンキュー ベリマッチ。」
 大仙は調子がいい。
 「しかし、その大碇ってのは、なかなか大した奴じゃな いか。外国行ってちゃんとかるたの普及の布石を打ってく るんだからな。よっぽど好きなんだな。まあ、そんなこた あいいや。あとは、お前たちで競技かるたをきちんと教え てやってくれ。平仮名は知ってるし、基礎的な日本語は勉 強してたから、札を教えるのにはそんな苦労しなかったよ。 とにかく熱心だから、手のかからない生徒だよ。古典の言 い回しはちょっと無理だったけど、決まり字とルールは覚 えたはずだから。」
 「大仙さんこそ、外国人相手にそこまで教えるなんて、 すごいですよ。大碇さんに負けないくらいの海外普及です よ。現役の時のレクリエーション班から考えると嘘のよう ですよ。でも、先輩がそんなに教えちゃったなら、ここで 教えることなんてないじゃないですか。」
 「そんなわきゃないだろが。払いとかは知らないし、本 格的なゲームは未経験なんだからさ。俺じゃ、ゲームの機 微とかは経験不足で説明できないしよ。こいつには、日本 にいる一年で、なんとか初段くらい取らせて黒帯プレーヤ ーを名乗らせてやりたいんだよ。」
 「かるたには黒帯なんてありませんよ。また、いいかげ んなこと言って。」
 「敷島なあ、お前のやっていた柔道でも初段で黒帯だろ。 やつらにとってすごくわかりやすい表現なんだよ。まあ、 よろしくたのむよ。」
 突然の申し出に面喰った面々ではあったが、二人の珍客 に対して、次々と自己紹介していった。人数が少ないから 覚えやすかったことだろうが、それはOBにも現役にも寂 しいことだったのかもしれない。

  *

 かるた会が国際化の一歩を踏み出していた頃、一方では 悲しい知らせが入ってきた。
 JR信濃町駅を降りると、すぐ前にその病院はあった。 ミツオは、春日あかねとともに瀬崎の見舞いのためにこの 病院に来ていた。
 「昨晩、瀬崎さんのお母さんから電話がかかってきた時 はびっくりしたわ。」
 「まさかな。昨年の夏合宿で、仕事で疲れて微熱が下が らないなんていってたけど、すでに病気が出ていたんだ な。」
 「あと一月だなんて…。」
 「若いから、進行も早いのかな。」
 「泣くなよ。本人にはちょっと肝臓の病気ってことにな っているんだろ。病人は、見舞客の反応から察しちゃうん だから。」
 「悪性のリンパ腫だなんて…。要するに血液の癌なんで しょ。」
 「まあ、わざわざお母さんが、見舞ってくださいって電 話くれたんだ。先輩を励まそうよ。メソメソしてるうちは、 病室に入らないからな。」
 「うん。」
 昨年九月の入院以来、二回ほど見舞いに行ったが、退院 して自宅に戻っていた時期もあり、瀬崎がそんな重い病気 だったとは二人とも気付かなかった。ミツオは見舞いが不 得手だった。何を話題にしていいのか見当がつかないのだ。 あかねの様子も落ち着いてきたので、病室に入る。眠っ ているようだ。前に見舞ったときに比べると、薬のせいな のだろうか随分と顔がはれているようだ。
 ベッドの脇の椅子に腰掛けてじっとしていたら、瀬崎が 目を覚ました。
 「ああ、ミツオにあかねちゃんか。」
 「どうですか。」
 「見てのとおりさ。ちょっと具合が悪くなっちゃったよ うだ。最近は変わったことはあるかい。」
 「大仙さんが、久々に顔を出して、外国人を一人練習さ せてやってくれって置いていきましたよ。」
 「いいなあ、かるたの国際化か。そんなとこかい。」
 「そうですね。先輩、はやく元気になってくださいね。」
 「ああ、また、あかねちゃんとかるたが取りたいな。」
 「お加減がすぐれないようでしたら、おいとましますか ら、あまりお話しにならないほうが…。」
 「せっかく来てくれたのに申し訳ない。薬のせいもある かもしれないけど、眠いんだ。」
 「それじゃ、ぼくらはこれで。お大事に。」
 「お大事に。」
 「ああ、また来てくれよ。」
 「はい。」
 あかねは今にも泣き出しそうだった。瀬崎も眠そうだっ たので、ミツオは挨拶をして病室を出た。
 ふたりは無言のまま、駅に向かって歩いていた。
 「瀬崎さん、あんなに具合悪そうなのに見舞客に気を遣 ってたな。」
 「……………。」
 「ああ気を遣われると見舞いに行けなくなるよな。」
 あかねの頬を涙がつたう。
 「瀬崎さんらしいっていえばらしいけど…。」
 「………。」
 「なぜ、よりによって瀬崎さんなんだろう。」
 「…。」
 ミツオは、あかねの肩を抱きよせて歩いていた。
 夏の強い紫外線が、二人の肌を刺していた。二人には駅 までの道のりが、来る時以上に長く感じられた。

  *

 大仙はハワイに戻っていったが、デビッド・スミスは練 習に通うようになった。大碇とも逢えて、千葉有明会の練 習にも顔を出したらしい。
 札を覚えていた強みで、すぐに払いと実戦の練習に入る ことができた。背が高くリーチがあるので、敵陣にも楽に 手が届く。何よりセンスがいい。細かく説明せずとも他人 のフォームを見て、自分で真似しながら工夫している。あ まり手を加えないでも、徐々にフォームができあがってい った。また、英語圏の人間なので、日本人が判別しずらい 音などにも敏感なようである。上達に最も大切な要素であ る熱心さは、他の初心者と比べても群を抜いていた。前田 や北に追いつくのも時間の問題だろう。しかし、大学はも うじき春学期の試験期間に入ってしまう。試験期間になる と練習は休みだった。
 「スミスさん、私たちはこれから試験期間に入るので、 練習をお休みします。」
 外国人と話す時は、不思議なものでゆっくりと丁寧な口 調で話をする。時には、意識するあまり、日本語までおか しくなってしまうこともある。
 「古賀さん、わかりました。でも、わたし、練習しては やく強くなりたいです。」
 「八月に合宿があります。来れば、集中して練習できて 強くなれます。」
 「ガッシュク?」
 「うーん、トレーニングキャンプ。」
 「OK。トレーニングキャンプにわたし行きます。ほか に練習ないですか。」
 「スケジュールが決まったら、お知らせします。」
 「サンキュー。ありがとございます。」
 横から、ミツオが口を挟んだ。
 「古賀、ここの練習だけじゃ少ないんじゃないか。」
 「まあ、そうですね。夏休みは合宿まで、そんなにやり ませんから。」
 「千葉にでも、行くようにすすめるか。大碇さんの縁で 来たようなもんだからな。」
 「そうですね。先輩、言ってくださいよ。」
 「アー、デビッド。うちの練習が無い時は、ミスター・ オオイカリのところで練習させてもらったらどうですか。」
 「はい、いいですね。この前ミスター・オオイカリに逢 いました。うれしかったでした。練習に来なさい言われま した。行きました。いろいろな人いました。」
 「ヤングアンドオールド、いろいろだったでしょう。」
 「はい。おじいさんやおばあさんが元気にプレイしてい るのに驚きました。」
 「山根志保という人は来ていませんでしたか。」
 「はい。ミス・ヤマネ来ていました。英語で話してくれ ました。とても親切でした。」
 「彼女は、むかし、ここのメンバーだったのです。」
 「そうですか。ここの人たちと同じように教えてくれま した。」
 「ほかの人は違いますか。」
 「わたし外人だから、おじいさんやおばあさんは、あま り話しかけてくれません。日本語で話しかけても、あいさ つくらいしかしてくれません。」
 「ミスター・オオイカリは、ちゃんと教えてくれるでし ょう。」
 「はい。英語で教えてくれます。」
 「現代の若者の日本文化を知るには、わたしたちと付き 合うのがいいでしょう。でも、古い日本文化を知るには、 お年寄りと話すのが一番です。千葉の練習に行って、おじ いさんやおばあさんと仲良しになって、コミュニケートし てください。何回か行って、日本語で話しかけていけば、 きっとフレンドリーになれます。」
 「ミツオさん、ありがとうございます。あなたの言うと おりです。わたし日本文化学ぶために来ました。いろいろ お話を聞きたいです。おじいさん、おばあさんと仲良くな ります。」
 「ミスター・オオイカリとミス・ヤマネによろしく伝え てください。」
 「OK。」
 かるたを覚えるのにあまりに熱心なので、デビッド・ス ミスにとっての学ぶべき日本文化は競技かるたなのかと錯 覚しそうになるが、やはりそれだけではないようだ。ミツ オはこれからも、かるたのことばかり熱心にならないよう に日本文化全般についていろいろと話をするように注意し なければと感じていた。
 練習も終わり、片付けを始めていると、
 「よかった。みんないたか。」
と、敷島が息を切らして、入ってきた。
 「もう、終わりだよ。残念だったな。取れなくて。」
 「いや。ハァ…。いや。そうじゃなくて。ハァ…。高橋 さんから電話があって、今日、瀬崎さんが亡くなったって。」
 「えっ。」
 「えっー。そんな。急じゃないか。」
 「容態が急変したそうだ。」
 「この前、見舞いに行ったばかりなのに…。」
 「通夜は、明後日午後六時から自宅で、告別式はその翌 日の午後十一時からだそうだ。お別れに来てほしいって。 できれば手伝いもお願いしたいって。」
 「そうだな。みんなで手伝おう。」
 「はい。」
 「はい。でも、礼服ないんですけど。」
 「喪章を買ってつけていけば、地味な服装ならいいよ。」
 「わたしもお手伝いします。」
 「デビッドは、瀬崎さんのこと知らないだろう。気持ち はありがたいけど、いいんだよ。」
 「ここにお世話になったのも何かの縁ですから。」
 「難しい表現を知ってるんだな。そう思うんだったら、 弔問に来てくれればいいんじゃないかな。」
 「チョウモン?」
 「お悔やみを言いに来てくれるだけでいいです。」
 「オクヤミ?」
 「悲しい気持ちを言い表すことかな。あとでディクショ ナリーで調べてくださいね。」
 「他への連絡はどうするって言ってた?」
 「高橋さんがかるた会の関係には連絡まわしてくれてい るって。現役へは頼むって言われて、まだ、間に合うと思 って慌てて来たんだよ。」
 「取りあえず、黙祷しませんか。」
 現役の会長らしく、古賀が提案する。
 「ああ、そうだな。」
 「黙祷!」
 一同、神妙な面持ちで黙祷する。
 「なおれ。」
 人の生命は、寿命という「さだめ」があるとはいえ、あ まりにはやい別れに、運命の理不尽さを思うが、事実はく つがえすことができない。ミツオは無常というものを初め て実感として感じていた。

  *

 瀬崎の通夜には、大勢の弔問客が訪れた。かるた会関係 では、大学の関係者や、他大学の関係者はもとより、瀬崎 がたまに練習に行っていた一般会からも来ていた。全日本 かるた協会からも弔問があった。そして、瀬崎が生前よく 練習に出かけていった静岡県の高校の卒業生で、わざわざ 駆けつけてくれたものもいた。
 「お清めですから、どうぞ二階へ。」
 手伝いのミツオたちが、案内をしている。山内や早水、 佐藤珠子など、ミツオが一年生の時のレギュラー陣が一同 に集まるのは久しぶりだ。石田も四国から飛んできてくれ たし、西寺も職場から抜けてきてくれた。西寺は、また戻 って仕事しなければならないという。忙しいらしい。
 弔問客の波も途絶えると、手伝いのミツオたちも二階に 上がって、昔話に花が咲く。故人の思い出を語ること自体 が供養なのだ。
 「瀬崎さんのすぐ下の代が、ぼくらだから大変だったで しょうね。西寺も、かるたは強かったけど、入って来たこ ろは多少ひねていたし、いいも悪いも個性的な後輩たちの 面倒をみていたわけですからね。」
 「あなたがたが一年の時は、私が会長だったのよ。とに かく入った人たちをやめさせないようにしなくちゃって、 瀬崎くんと話していたんだから。本当、面倒だったと思う けどよく面倒みていたわよね。」
 「あいつが会長の時が、最近じゃ、一番大所帯になった んだからな。たよりなさそうだったけど、細々とした雑用 をこなしながら、よくまとめていたよな。OBの俺たちの わがままもよく聞いてくれたよ。」
 「高橋さんは、瀬崎さんとよく一緒に静岡の高校の練習 をサーキットしていましたよね。」
 「彼に運転してもらうだろ。結構、運転に相当神経遣っ ているようなんだよ。だから、到着した後の試合は、タバ 負けを食らうんだよ。その次の練習をパスして昼寝してい た時もあったよ。練習しにわざわざ出かけているのにさ。 なんか悪くてさ。でも、嫌がらずに引き受けてくれるんだ よな。」
 「とにかく気を遣うんですよね。あれだけ気を遣ってい たから、瀬崎さんが会長の時に一番の大所帯になったんじ ゃないですか。やめた人もいるにはいたけど、残った人数 のほうが多いし。」
 「古賀、よく聞いておけよ。」
 「はい。」
 「大学のかるた会って、競技かるたで強くなるためだけ の集団じゃないんだ。かるたというキイワードで集まった コミュニティなんだ。いわゆるサークルなんだよ。そこに は、かるたで強くなるという以外の目的や要素がいろいろ ある。瀬崎さんは、そういうところに気を遣っていたんだ よ。」
 「そうですね。充分肝に銘じておきます。秋には、また 募集かけて少し人数をなんとかしたいと思います。渡部先 輩も来てくださいね。」
 「なんとか三年になれたからね。卒業までに、せめてB 級で入賞できるくらいになれるようにがんばってみようか しら。」
 「お願いしますよ。」
 「陽子ちゃん、私でもA級に上がれたんだから大丈夫よ。 頑張って。」
 「珠子先輩は、練習熱心だったから…。取りあえず、練 習からか。」
 「そうね。」
 遅れて、山根志保が二階に上がって来た。
 「こんばんは。」
 「やあ、久しぶり。」
 「おねえちゃん。………。」
 珠子の隣に座るといきなり泣き出した。志保は珠子の二 つ違いの姪である。
 「あたしって、瀬崎さんに迷惑かけていたのかしら。」
 「そうねえ、あなたがうちの会をやめた時は、随分と気 を揉んでいたようよ。」
 「移籍したから、さぞかし怒っていたでしょうね。」
 「いいえ、移籍を聞いたときには、かるたをやめないで いてくれてよかったって言ってたわ。かるた会が嫌で、か るたまで嫌われてしまうことほど辛いことはないって。か るたを続けていれば、接点が残っているじゃない。きっと しこりはいずれなくなるはずだって言ってたわ。」
 「……………。」
 山根は、ただただすすり泣いている。
 「珠子先輩、瀬崎さんとよく話していたんですね。」
 「そうね。何かあると相談の電話がよくかかってきたわ。 この子の脱退と移籍の時は、さすがに私も気になったけど、 この子自身が決めたことだから何も言わなかったわ。自分 の決めたことには自分で責任を持ちなさいと言っただけ。」
 「そうだったんですか。」
 「……っ。あの、こういう機会だから、……。今まで、 いろいろと勝手やってごめんなさい。迷惑かけて、心配か けてごめんなさい。あたしの勝手を許してください。」
 突然、志保がみんなの前で謝り出した。
 「いいよ。気にしてないよ。有明会に行ってからのほう が強くなったんじゃない。」
 「大学を卒業して、一般会に移籍する人もいるだろう。 それがちょっと早かっただけじゃないか。」
 「あたし…。移籍してからは、移籍した以上、今までよ り強くなったって実績を残さないとみんなに馬鹿にされる と思ってがむしゃらにがんばっただけなの。動機が不純な のよ。」
 「動機なんかどうでもいいじゃないか。結果、志保ちゃ んは強くなったんだから。たとえ弱くなったとしても、だ れも馬鹿になんかしやしないさ。会は違っても、同じ会で かるたを始めて、同じ大学を卒業した仲間じゃないか。」
 ミツオや敷島、石田が、フォローする。ただ、あかねは ひとり憮然としていた。
 山根志保という人間は、よきにつけあしきにつけ存在感 があるのである。瀬崎の話題も自然に自分に引き寄せてし まっていた。
 「あれっ。あの子、瀬崎くんにそっくり。」
 珠子のそばを二〜三歳の男の子が通った。
 「本当だ。」
 「良く似ているね。」
 「どこの子だろう。」
 「瀬崎のお姉さんの子供だよ。」
 「それにしても似てるよ。」
 「何言ってるんだよ。叔父と甥が似ていても不思議はな いさ。」
 山内が脇で至極もっともなことを言っているが、一同は、 その子供に、瀬崎の面影を見て彼を偲んでいるだけなのだ。
 時間も遅くなり、弔問客もほとんど帰り、残るは親族と ミツオたちだけになった。デビッド・スミスも残っていた。 日本の文化・習慣を知るにはこういう生の体験のほうが効 果的だろう。
 「それでは、ぼくたちはこれでおいとまします。また、 明日伺いますので。」
 「本当にどうもありがとうございました。」
 長居も失礼である。ミツオたちは、挨拶もそこそこに引 き上げた。

 翌日は告別式だった。日中にも関わらず多くの参列者が 別れに訪れた。仏式ではあったが、お焼香ではなく献花で 別れを告げる形だった。青白くはあったが、安らかそうな 顔を目にすると自然に涙が浮かんで来る。
 「今までありがとうございました。さようなら。」
 ミツオは心の中で別れを告げた。祖父母の葬儀の時とは、 また違う感情で満たされていた。悲しいことは悲しいのだ が、長い年月を生きてきた祖父母と比べると、まだまだこ れからという時にこの世から生命を奪っていった病魔に怒 りさえ感じるのだ。
 死は万人に対して平等に訪れる。ただし、いつ、どのよ うに来るかは人それぞれである。死ぬまでの間、いかに生 きるか。その生き方こそが問題なのだ。
 「佐多さん、いつか高橋さんとうちに来て泰彦とかるた 取っていたでしょう。泰彦は、かるた会の人たちのことを 話すとき、本当に楽しそうだったんですよ。かるたをやっ ているといろいろな人と出会えて親しくなれるんだって。 あの時も皆さん帰ったあとで、皆さんのことを楽しそうに 紹介してくれるんですよ。私なんか聞いてもわからないの に、あの人のかるたはこうなんだとかああなんだとか。短 い人生でしたけど、楽しめるものに出会えたことはよかっ たと思います。本当にありがとうございました。」
 母親の一言で、今まで知らなかった瀬崎の一面も見えて くる。
 「かるたって、人の生涯とさえ関わってしまうんだ。」
 ミツオはふと思う。
 「ぼくにとってのかるたって一体なんなんだろう。」
 「かるたを続けていくってことが、その謎解きなんだろ うな。」
 自問自答する。
 「人の一生ってやつも、何故自分が生を受けて生きてい るのかっていう問いへの答え探しなんだよな。」
 同世代の身近な人物の死は、ミツオの心に波紋を投げか けるのだった。

  *

 春学期末試験は、四年生のミツオには科目数も少ない。 四年生といっても五年めのミツオにとっては試験の緊張感 も薄れがちである。最後の一科目も早く回答を書き上げて、 別の考え事をしていた。

 「ミツオ、高橋さんから、近江神宮に高校選手権見に行 こうって誘われたんだけど一緒に行かないか。」
 昨晩、敷島から電話がかかってきた。
 「えっ、突然な話じゃない。いったいなんで。」
 「瀬崎さんが、高校選手権を結構気に入っててさ。本戦 も二度見に行ってるらしいけど、東京都の予選はもとより、 わざわざ静岡の県予選まで見にいったこともあるくらいだ ったんだって。」
 「そういえば、この時期になると優勝はどこだろうって、 よく話題にしてましたね。」
 「それでさ、今年の試合を見て、墓前に報告しようと思 ってさ。高橋ツアーに乗っかったわけだ。」
 「高橋さんは、新婚の奥さんほっといていいのかな。」
 「なんでもたまたま奥さんは実家に戻っているらしい よ。」
 「金はないけど大丈夫かな。」
 「運転免許は持ってるよな。」
 「うん。」
 「車は高橋さんが調達してくれるって。高橋さんは免許 がないから、運転は俺とミツオが交替でする。ガス代、高 速代は高橋さん持ち。飯代は自前が基本だが、飲み代は持 ってくれるって。宿泊代は安いところに泊るって言ってた。 これでどうだい。」
 「運転手が二人ほしいってことか。」
 「俺は、研究室の作業に月曜には戻らなければならない いんで日曜は夜走らなきゃならないからな。」
 「出発は、金曜日の朝だよな。」
 「ああ、ちょっときついことはきついんだけどね。まあ、 運転手が二人いれば大丈夫だろう。」
 「明日まで考えさせてくれない。」
 「なんだ。すぐ決まらないのか。じゃあ、また明日電話 するよ。」

 この返事を今晩しなければならないのだ。高橋さんにし ても、瀬崎さんにしても自分の母校が出ているわけでもな いのに何故よく行ってたんだろう。敷島も妙なことを思い 付くやつだ。どうも自分が高校を中退したせいか、高校野 球を始めとし、高校の名を背負って競技するのを見るのは あまり好きではない。そんなミツオに対して、あかねは、「自 分ができなかったことをやっているのを見るとうらやまし くなっちゃうんでしょ。」と指摘する。確かにそうかもしれ ない。敷島からの電話のあと、あかねに相談したら、ミツ オが行くなら日曜の日中に帰るけど、一緒に行ってもいい という。しかも金曜日に休暇まで取ってもいいと言う。あ かねと一緒に出かけたいとは思うのだが…。
 「決めた。偶然性に賭けよう。試験時間終了前に、目の 前の女子学生が答案を提出して退出したら行かない。試験 時間一杯まで座っていたら行こう。」
 なんとも主体性のない決め方である。それだけ迷ってい たとも言える。試験終了まではあと十五分。どちらの目が 出るであろうか。時計と女子学生の背中とを視線が往復す る。時間は、刻々と流れていく。十五分が過ぎた。試験終 了。目の前には依然として背中があった。
 「よし、近江に行こう。」
 ミツオは決断した。

  *

 高校選手権は、「かるたの甲子園」とも呼ばれている大会 である。団体戦の老舗である職域・学生大会のA級で高校 生のチームが優勝できなくなって久しいが、その分、高校 日本一を決めるこの大会への思い入れは強い。社会人のチ ームや大学のチームに伍して戦うのも面白いが、限られた 三年間で、同年代の高校生同士が同じ土俵で競い合うとい うのは、また、格別なものがある。毎年、新しいドラマが 生まれている。土曜日は団体戦、日曜日は個人戦が行われ る。個人戦では、過去に高校一年から三年まで三連覇した 強者もいた。三年めの決勝戦は、一枚対一枚の運命戦。「あ きの」と「あきか」がそれぞれの持ち札だった。近江神宮 の祭神天智天皇の御製が出てゲームセット。団体戦でも死 闘を繰り返してきた福井県対静岡県の戦いは福井県に凱歌 があがった。冷や汗の三連覇だった。一方、団体戦では、 静岡県勢の独壇場である。富嶽高の十連覇は、不滅の金字 塔と言えよう。富嶽高が王座をおりても、その後も静岡県 勢が王座を襲った。島根県勢が長かった静岡の天下に終止 符を打ったが、すぐに王座に返り咲くのは静岡県勢の底力 であろう。近江神宮での予選を勝ち抜くよりも、県予選を 勝ち抜くほうが難しいという噂もあながち嘘とは言えない。 こう考えると高橋や瀬崎が、県予選まで見に行く気持ちも わからないではない。
 ミツオたちは、金曜日に京都で一泊して、この日は開会 式から見に来ていた。
 「へえ、入場行進からあるんですね。甲子園なみに本格 的じゃないですか。」
 「始球式みたいなのもあると面白いんだけど。」
 「行進するだけで緊張してそうな子もいるのね。」
 「昔の学校の朝礼と一緒で、話が長引くと具合が悪くな って、倒れる子も出てくるんだよ。朝とはいえ、日差しは きついし、暑いからな。」
 「日頃、かるたで鍛えているのに情けない。」
 「わたしも、朝礼でよく貧血起こしてたわ。そんなこと 言ったら可哀想よ。」
 見学者は日陰でのんびりと無責任な会話をしている。
 高校選手権は、参加校の増加に従って予選と決勝のやり 方も変わってきたが、現在は一ブロックを四校で組んでリ ーグ戦形式で予選を行っている。この三試合の成績で各ブ ロック一位が決勝に進出できる。八ブロックあるので、八 校で決勝トーナメントを行うことになる。準決勝で負けた チームは三位決定戦に回る。したがって、入賞するチーム は、六試合を戦わなければならない。五人のレギュラーに 加え、補欠選手も三人認められているので、六試合を戦う には層の厚いチームが有利である。用兵の妙も試合を見る 上でのポイントである。不動の五人のみで六試合を戦うチ ームもあれば、ローテーションを組んで、うまく休ませな がら六試合を戦うチームもある。決勝戦用の秘密兵器と称 して、決勝戦だけ起用して相手の主将潰しを成功させた用 兵もあった。その時々の彼我の戦力を分析した結果である。 こういうところに注意しながら見るのが団体戦観戦の醍醐 味なのである。しかし、こうした楽しみ方をするには、あ る程度の情報を持っていないと楽しめない。その高校のO Bでもなければ、日頃から有力校の関係者と親しくなる必 要がある。高橋や瀬崎が、よく出かけていた理由には、顔 つなぎという側面もあったのだろう。
 卒業生も結構応援に来ているので、知った顔をよく見か ける。
 「よその大学のメンバーの出身校なんて知らなかったけ ど、高校時代から取ってた人って結構いるのね。」
 「高校の関係者だけで知った顔なんかいないと思ってい たけど、そんなことなかったね。知り合いのオンパレード じゃない。」
 「取っている生徒より熱くなるOBもいるんだよ。」
 自分のチームの生徒が勝つたびにガッツポーズをする先 生もいれば、帰ってきた生徒に檄を飛ばして、逆に泣かし てしまうOBもいる。控室の様子も様々である。
 「今年は、随分掛け声が静かですね。」
 高橋が、知り合いの先生に話しかけている。
 「実は、昨日監督者会議がありましてね。掛け声も気合 も自粛となったんですよ。」
 「まあ、度を越しちゃいけないとは思いますけど、寂し いですね。」
 「いろいろな考え方の人がいますから、仕方ないでしょ う。でも、毎年の話し合いと経験から今にいいガイドライ ンができるんじゃないでしょうか。」
 「そうですね。」
 どうやら、前日に行われる監督者会議にも、駆け引きや ドラマがあるようである。試合は前日からすでに始まって いたのだ。
 予選も二試合が終わった。選手は汗を拭き拭き控室に戻 ってくる。百人一首は冬のものだという先入観があるせい か、夏の暑い最中に汗をダラダラと流しながら、かるたを 取る姿は滑稽にも思える。しかし、夏に行われるからこそ の盛り上がりもあるのである。選手は夏の大会のための準 備・調整を行っているのだ。高校選手権には夏がよく似合 う。
 「昼飯でも食いに行こうか?」
 高橋が声をかける。
 「いいですね。そうしましょう。車出しましょうか。」
 「敷島、車、車って、少しは歩こうぜ。琵琶湖の風にあ たりながら歩こうよ。」
 「ミツオもこう言ってるし、みんなで歩いていくか。」
 適当な店をさがしながら、琵琶湖のほうまで歩くことに なった。試合を見ているだけだと身体がうずくのか、ミツ オは、スナップを利かせた払いの手振りをしながら歩いて いる。近江神宮の境内の中だけでも結構歩くが、参道には 木が繁っているので、日差しを避けて歩ける。しかし、境 内を出ると、強い日差しにさらされてしまう。
 「こんなんだったら、車のほうがよかったかな。」
 「いまさら言っても、もう遅い。」
 「そうですね。言い出しっぺが店をさがしますよ。」
 「いいぞ、多少歩いたって。空腹は最高の調味料だって 言うじゃないか。」
 「じゃあ、ここ真っ直ぐいきましょう。あそこの広い通 りに行けば、何かありそうですよ。」
 ミツオが先頭をどんどん歩いていく。残りの三人は遅れ がちだ。
 「あっ、あっちになんかありそうですね。」
 一人先に広い通りに出て、後ろを向いて大きな声で報告 してくる。
 「一人で先に行くなよ。」
 高橋が注意する。しかし、その時、ミツオは通りを渡り かけていた。
 BANG!
 「きゃあ!」
 あかねの叫び声があがる。三人の目の前で、ミツオが車 にはねられたのだ。はねた車の運転手が降りてくる。はね たほうもびっくりしている。ミツオはぐったりしている。
 「この人が飛び出してきたんですからね…。」
 こういう時には、周りの視線にたまらず、自己弁護をし てしまうものなのだろうか。
 「一一九番ですか。交通事故です。救急車お願いします。」  高橋が携帯電話から連絡を取っている。あかねは取り乱 しながらも、ミツオのそばに寄り添っている。
 「ミツオくん、しっかりして。ミツオくん…。」
 「だめだ、ゆすったりしちゃだめだ。救急車が来るから、 それまで待つんだ。」
 敷島が脇で注意する。高橋は、続けて一一〇番もしてい る。
 「一一〇番しましたから、現場検証までお待ちいただけ ますか。」
 高橋は落ち着いて、運転手に話しかけている。
 「敷島、病院が決まったら携帯に電話くれ。すぐ行くか ら。それから、ミツオの両親に電話してくれ。たぶん、春 日が番号知っているだろうから。二人で救急車に同乗して ついていってくれ。俺は、警察のほうの話を片づけるから。」
 サイレンの音がする。先に救急車が到着した。ミツオは 担架に乗せられて車内に収容された。敷島が、名前やら住 所やら、救急隊員の質問に答えている。すぐに警察も到着 した。
 ミツオを乗せた救急車は、サイレンの音とともに事故現 場を離れていった。

  *

 ミツオは集中治療室にいた。
 意識が戻らない。骨折も何個所かあるようだ。
 ミツオの両親が到着した。
 「私が誘ったばかりにこんなことになって。申し訳ござ いません。」
 高橋が両親に謝る。
 「そこで、運転していた方にも謝られました。うちの子 が飛び出したんでしょう。別にあなたのせいじゃありませ んよ。」
 「でも、ここに来なければ事故に遭うこともなかったで しょうから。」
 「あなたもしつこい人だね。どこにいたって事故に遭う 時は遭うんですよ。ここで事故にあったのは、めぐりあわ せにすぎません。それより、すぐに救急車や私どもへの連 絡を手配してくださってありがとうございます。こちらこ そお礼を申し上げなきゃいけません。」
 「そんなとんでもない。」
 「あなたが、春日あかねさんですね。はじめまして。う ちの子が親しくしていただいているそうでありがとうござ います。」
 「はじめまして。こんなことになってしまって…。佐多 くんの看病させていただけますか。」
 「お仕事いいんですか。あまり無理しないでください。 看病は私たちもいるんですから。」
 「はじめまして。敷島と申します。」
 「ああ、敷島くんか、ミツオから話は聞いてましたよ。 噂どおりの巨漢ですね。」
 ミツオの両親は、いたって冷静であった。
 「大丈夫です。うちの子は、こんな事故じゃ、くたばり はしません。もうじき腹減ったって、目を覚ましますよ。 動かせるようになったら、私どものほうの病院に転院させ ますから。」
 しかし、両親の予測に反して、意識が戻らないまま三日 が経過してしまった。
 高橋と敷島は当初の予定どおり月曜の晩に帰っていった が、あかねは会社を休んで残っていた。
 「ミツオくん。ミツオくん。目を開いて。返事をして。」
 涙が頬をつたう。
 「また、一緒にかるたをしましょうよ。」
 意識のないミツオに語り掛ける。しばらくすると疲れも 出てきたのだろうか、あかねも眠りに落ちていた。

 「おーい。おーい。誰もいないのか。」
 「ここにいるよ。」
 「お前はだれだ。」
 「佐多三男ですけど。」
 「なんだ、ミツオか。」
 声の主が実体化した。
 「瀬崎さんじゃないですか。あれっ、先日お亡くなりに なったんじゃないですか。」
 「ああ、そうだったかもしれない。」
 「そうですよ。」
 「覚えてないな。」
 「やだな。健忘症ですか。」
 「どうだ。久しぶりにかるたでも取るか。」
 「いいですね。」
 「それじゃ、あの家で取ろう。」
 またもや、急に視界が開けて家があらわれた。
 「ミツオくん。ミツオくん。」
 「あれっ。あかねちゃんの声だ。瀬崎さん。あかねちゃ んが向こうにいるようなんで呼んできます。」
 「そうか。気をつけて行って来いよ。迷いやすい所だか らな。」
 「おーい。あかねちゃーん。」
 「ミツオくーん。」
 ミツオは声のするほうにまっすぐに進むのだった。

 「あかねちゃん?」
 ミツオの呼ぶ声で、あかねは飛び起きた。居眠りしてい たらしい。
 「ミツオくん?」
 「ああ。」
 「ミツオくん、意識が戻ったのね。ずっと、三日も意識 がなかったんだから。」
 あかねは、ボロボロと泣き出す。
 「泣くなよ。俺って、どうしてたのかな。高校選手権で 昼飯食いに出て。」
 「車にはねられたのよ。」
 「そうだったっけ。」
 「覚えてないのね。」
 「そうか、道理で身体のあちこちが痛いんだ。」
 「数箇所骨折しているのよ。手術して固定してあるの よ。」
 「えっ、本当?。」
 「ご両親呼んで来るね。」
 「えー、来てるの?」
 両親が病室に入ってきた。続いて医者も来た。
 「よかった。」
 「いや、意識が回復してよかった。また、脳の検査をし ましょう。骨折のほうは若いから、徐々によくなっていき ますし。とにかく意識が戻ってなによりです。」
 ミツオは、だんだん事情が飲み込めてきた。嫌な恐怖体 験は、脳のほうで勝手に記憶を消去してくれるらしい。車 にはねられたのは覚えていないが、この身体が物語ってい る。ということは、さっきの夢のような世界はなんだった のだろう。あの時、あかねの声が聞こえなかったら、ひょ っとするとそのまま…。

 ミツオにとって大学五年めの夏、最後の夏休みは、楽し いものになるはずだった。ところが、アクシデントが起こ った。しょっぱなの躓きによるビハインドは取り戻すこと ができなかった。
 最悪の夏休みの始まりだった。


  Copyright:Hitoshi Takano

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