全国職域学生かるた大会戦績

C.P.S.
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 全国職域学生かるた大会は、5人1チームの団体戦です。3人のみで出場しても3勝すれば、勝ち点をあげることは可能ですが、やはり5人揃えて出場したいものです。
(毎回の試合を終えて思うのは、最大登録人数8人で交代しながら出場できればもっといいなぁということです。参加回数が増えて順位があがってくるとだんだん欲がでてきますね。)
 5人揃えての出場と書きましたが、第91回大会より、参加ルールが変更になりますので、5人揃うことは大変重要なことになります。なぜならば、一番下のE級に参加する際に5人揃っていない場合は、上のD級に昇級しない限り、その次の大会の出場権がなくなることになったからです。1回休めば、また、E級にエントリーできますが、社会人である我々は、業務の都合上で出場できないケースもありうるので、5人しかいないということは非常に厳しいことなのです。また、第91回では、D級にいるので、3人でも4人でも出場できますが、少ない人数で下に落ちないということも大変なことです。第87回は、実質3人での出場でしたが、本当に5人のありがたさを身にしみました。逆に、D級残留のモチベーションと選手探しと選手育成については、今まで以上にあがることになりました。E級に落ちるということは1回休みの危険性を高めることにもなるからです。それを回避する努力をしなければなりません。

 こんなことを書いていましたが、残念ながら第91回の成績不振によりE級に落ちてしまいました。この文章も、時間経過とともに書き足し、書き足ししているわけで、文章のつなぎにも苦労しているのですが、実際「D級復帰目指してがんばります」などと言っているうちに、第100回大会からまた級分けや運営方法が変わりました。D級が一番下のクラスになったのです。さらに、エントリー数の増加対策として第103回大会でも運営方法が変更になりました。第106回大会では参加チーム数の上限が変わります。(変更の詳細は以下の本文記事をご覧ください。)

 第106回大会から参加チームの上限が変ると書いたものの、第106回大会は、2019年の夏の大会は実施しましたが2020年の春の大会はコロナ禍で実施できませんでした。 夏がD級、春がABC級とセットになっての第106回ですので、その後のコロナ禍の感染状況や予防対策で、関係者は実施に向けて努力したものの2020年の夏、2021年の春・夏、2022年の春と実施は見送られました。 そして、第7波の中ではありましたが、社会状況をふまえ、感染対策等々を充分に行うことで第107回大会を、また新しい方式で実施することになりました。 D級は64チームで、二日間にわけて、1日32チームで4ブロックで予選リーグ・順位決定戦を行う形になりました。E級は日を変えての開催で以前の個人対戦方式となりました。 運営関係者や会場をご用意いただいた関東第一高校には、ただただ感謝の一言です。わがチームも無事D級に出場しました。戦績は以下の記事をご覧ください。

 これからも、選手を増やすこと、そしてチーム力の向上目指して、一層がんばります。

「全国職域学生かるた大会」歴代A級優勝チーム一覧⇒ここを"CLICK!"

 ENGLISH 
第108回大会(2023年8月19日)D級出場(D級64チーム)
  D2ブロック : [予選] 第1回戦 2勝3敗、第2回戦 0勝5敗、第3回戦 3勝2敗 (勝点1、勝数5) 予選ブロック3位
  [順位決定戦]  : 2勝3敗
  最 終 結 果 : 勝点1、勝数7 ブロック順位 6位

☆短評☆  新加入メンバー1名を加えて登録者数は上限の8名でエントリーをし、当日は出場可能者が7名会場に集まった。 残念なのは、ワンポイント出場を期待していた七将がコロナ感染のため、急遽、出場不可というアクシデントに見舞われてしまったことだ。
 念願のエントリー8名総集合は今年も見送られてしまった。コロナ感染によるエントリー選手の交代は認められないルールで運営されていたので、代替選手を立てることができなかった。 当日は、過去の出場経験者が差し入れを持って応援に来てくれた。仕事の関係で、出場はかなわなかったが、選手層が厚くなったことは確かである。 実質3名で出場した経験を持つ身としては、リザーブの選手がいることの安心感は格別である。
 三将のT五段も、五将のE三段も、年齢の影響もあるが、四試合フル出場が厳しくなってきたので、リザーブ選手をどこで起用するかも大事な戦略となってきた。 こうした戦略を考えることができるようになったことが、本当に嬉しい。今年度4月から加入のA初段も、ジャージを用意し、出場する機会をうかがったが、今回は出番がなかった。 来年はしっかりと出場をお願いしたいと思う。
 試合に先立ち、100試合以上出場した選手への特別功労賞の授与式があった。我がチームからは、T五段が表彰を受けた。
 今回の布陣は、主将は不動のH六段で運営の仕事を掛け持ちしながらの出場、副将は昨年に続きT三段で多忙のH六段に代わる主将代行を務めた。 三将は特別功労賞を受けたT五段、T五段は今年度末に定年退職をするので、今回チームが昇級できなければ、このチームでの職域出場は最後となる。 (慶應義塾教職員チームのメンバーとしては、今回を含め、15大会で、52試合28勝24敗、勝率.538。D級で12回、E級で3回。主将4回、副将9回、三将2回。) 四将は三度目の出場のS三段、事前練習にも数回参加し調整を重ねていた。五将は四試合がきつくなってきたと申告しているE三段。 E三段はT五段のあとに加入してくれたことによって、職域学生大会出場への礎が築かれたチーム設立の功労者の一人である。 六将は昨年リザーブ選手として順位決定戦で勝利をあげたU初段、七将はコロナ感染で出場できなかったO初段。 八将は今年4月加入のA初段である。
 昨年の成績でD級出場の権利を持つチーム以外について、今回もエントリーには段位ポイントが利用された。 主将から五将の段位ポイントが「20」の我々はE級に回ることなく出場ができた。 来年は、三将の5ポイントがなくなるので、どう補充をはかるかも課題となる。
 さて、1回戦の相手は、青山学院大学チームである。主将と四将が勝利し、副将と五将が敗戦し、2勝2敗のタイでの最後の1組は、青学の主将とこちらの三将との接戦であった。 結局3枚差で青学が勝利し、我々は勝ち点を逃してしまったが、青学主将はプレッシャーを相当感じていたようで、勝利にホッとしたのか涙していたのが印象的だった。
 2回戦は、A級選手を2名擁する駒場高校Aチームである。我々は、五将の代わりに六将を起用するも、四将と六将が敗退。三将も相手の三将に5枚差で敗れる。 中盤までの大差を運命戦に持ち込んだ主将と、副将が運命戦となる。札合わせが成立し、同じ札を残して2勝を狙うが、敵陣がでてしまい、予想外の全敗を喫してしまった。 この試合での0勝が、最後の順位決定戦での苦戦を招くことになる。相手の三将は試合後に上段中央の札の取り方について、アドバイスを求めてきた。 こういう向上心のある選手がいることが、同チームの今回のブロック優勝につながる一端だったのではないだろうか。
 3回戦の相手は、高崎女子高。主将は六段を持つ教諭である。真ん中の3番席で六段の主将同士の対決となった。 主将決戦はH六段がまず13枚差で勝利し、次にT五段が相手の副将に7枚差で勝利する。五将が5枚差で敗戦するも、副将と四将は接戦である。 結局はどちらも運命戦となるが、副将が2-1から敵陣を抜いたので、たすきがけの札合わせが完成。「わす」「わた」の運命戦となったが、札合わせ効果で副将が勝利をおさめ、 3勝2敗で、この日初の勝ち点をあげることができた。
 順位決定戦は、予選ブロック3位だったので、もう片方の予選ブロック4位の筑波大学付属中・高チームと戦うことになった。 昨年に続いてT五段は、当初の予定通り、リザーブの六将に交代する。副将が15枚差で勝ったあと、主将が12枚差で勝利するも五将は相手チームの教諭に12枚差で敗戦。 以前職域学生大会で対戦したことを相手は覚えていた。どうやらE三段の学生時代のことらしい。
 ここで、勝ち点を取れば5位か6位が確定するが、隣で対戦している別ブロック3位の新潟大学が優位な展開で高崎女子高をリードしている。 そうすると、勝ち点2で新潟大学と並んだとしても、こちらの2回戦の0勝が尾を引き、5位は難しそうである。 そして、勝ち点を落とすと相手の筑波大付属中高と勝ち点1で並んでしまう。ただし、相手はブロック予選3試合で4勝どまり、こちらはすでに2勝をあげたので、 最悪でも勝ち点と勝数で並ぶことになる。そこで記録を確認すると、こちらの主将はすでに3勝が確定。相手主将は予選時に2敗しているので、主将成績で6位が確定していた。 とはいえ、チームとしては勝ち点をあげたい。四将は、頑張るものの8枚差で敗戦。2勝2敗のタイスコアで、六将のU初段の試合にかかる。 昨年の逆転劇をもう一度と願いつつ、僅差の終盤。自陣を守り粘るが力尽きて2枚差で敗戦。結果。勝点1、勝数7で、主将成績の比較をふまえ、ブロック6位となった。
 昨年と今年の経験をふまえ、8人の登録選手枠をフルに活用し、リザーブ選手の起用を事前から想定しておくことが大事であることを感じた。 今回出場できなかったメンバーも含めて、次回は登録の8人全員を起用できるような戦いをしていきたいと思う。


第107回大会(2022年8月20日)D級出場(D級64チーム)
  D4ブロック : [予選] 第1回戦 2勝3敗、第2回戦 3勝2敗、第3回戦 2勝3敗 (勝点1、勝数7) 予選ブロック3位
  [順位決定戦]  : 4勝1敗
  最 終 結 果 : 勝点2、勝数11 ブロック順位 5位

☆短評☆  新加入メンバー2名を加えて登録者数は上限の8名でエントリーをし、当日は出場可能者が6名会場に集まった。 経験者や初級者で出場資格を持つ選手は、他に4名いるので実は12名の所帯であることに気づいた。チームのスタート当初を考えると夢のようである。 特にリザーブの選手がいることの安心感は格別である。
 主将はH六段、副将は本年4月加入のT三段、三将は過去にチーム事情により主将・副将を何度も務めてきたT五段、四将は二度目の出場のS三段、五将は試合後すぐに羽田から出張にいかなければならないE三段、六将は昨年4月加入のU初段の布陣である。
 今回は、コロナ禍での中止状況などもあって運営方式が変ったこともあり、第106回の夏の大会の成績はいったんチャラとなり、エントリーの主将から五将の段位を基準に参加チームを決定した。 そういうわけで、段位ポイントが「20」の我々はE級に回ることなく出場ができた。チームにコロナ陽性者や濃厚接触者がいなかったことも、この時期の大会を考えると恵まれていたといえるだろう。
 さて、1回戦の相手は、名古屋大学Bチームである。コロナ関係の欠場者がいて、将順の繰り上げがあり、4人チームである。着席順3番目が不戦勝であったが、T三段が戦わずして勝利。 大学時代もコロナ禍で職域の出場がなく、今回初職域だったが、最初からラッキーである。H六段は副将に勝ったものの他の三人が勝てずに勝点を逃してしまう。
 2回戦は出場辞退チームがあったため、急遽繰り上げとなった会場校の関東第一高校Dチームと対戦。相手チームにとってはホームグランドである。 まずは副将が相手の七将に勝利し、次に三将が相手の副将を下す。四将が八将に敗れたが、すぐに主将が六将に勝って勝点を取る。五将は相手の主将と運命戦となるが、敵陣が出てチームは3勝どまりとなった。
 3回戦は、ソーバル株式会社で法政大学OB/OGからなる3人チームとの対戦で、相手はここまで不戦敗2のハンデをものともせず3人が2勝ずつで勝点2。 ここに勝たないと決勝進出の目はない。しかし、相手に見事、うちの主将・副将の席順(4番・3番)をよまれ、五将と三将、四将と副将、三将と主将の対戦となる。 若手2名が不戦勝で、年齢上位3人が試合に臨む。結果は、3人とも敗れ、予選ブロック3位が確定した。副将のT三段は、初出場ではやくも二つ目の不戦勝となった。 主将さえ相手と戦えていれば、勝点は高確率で手繰り寄せることができたであろうことを思えば、これも職域という団体戦のアヤであろう。 ちなみに、この対戦で、T五段は職域学生大会100試合を達成(30大会出場、47勝53敗)した。
 予選ブロック3位だったので、もう片方の予選ブロック4位のチームと順位決定戦を戦うことになった。 相手は、関東第一高校Cチームである。T五段は、腰と膝への負担が厳しく、リザーブの六将に交代する。副将が六将に早々に勝ち、四将がすぐに相手の主将に勝利し、勝点にリーチをかける。 疲労の色濃い五将は七将に敗れるものの、主将が三将に勝ち勝点を確保する。リザーブから出場のU初段は、数年ぶりのかるたにも関わらず、粘り強い取りをみせ、運命戦をむかえる。 みごとに自陣をつもり、4勝目をあげる。結果。勝点2、勝数11で、ブロック5位となった。
 ながらくチームの主力を務めてきた三将と五将は、さすがに体力の衰えは隠せず、リザーブ選手の活用が今後のチームの課題となることを明確にした。 8人の登録選手枠をフルに活用し、T五段とE三段をはじめとし、リザーブ選手をワンポイントや決勝要員にするなど余裕のある選手起用をできるようにする体制づくりが大切である。 今回出場できなかったメンバーも含めて、次回は登録の8人全員が試合会場に集合できるようにしていきたい。

第105回大会(2018年8月26日)D級出場(D級72チーム)
  D4ブロック : 第1回戦敗退(2勝3敗)、順位決定戦(2勝3敗)
  最 終 結 果 : 勝点0、勝数4 総合順位61位

☆短評☆  主将は今年加入の新戦力の六段の選手がつとめることとなり、前回の主将は副将にまわる。三将には今年加入の新戦力の二段の選手、以下四将は何度も出場しているD級選手、五将は昨年から練習を始めた選手ということで、久々の5人チームでの出場である。昨年の副将の三段の選手と過去に何度も出場いている初段の選手は、業務出張のため出場できなかった。
 とはいえ、フルにこの7人で出場できれば、それなりのチーム構成となる。欠員を抱えたまま戦う不利をいやというほど味わっているだけに、新チームへの期待は大きい。
 今回、D級への参加希望チームは104チームであったと聞く。このうち優先順位の要件に従って72チームが出場できることとなった。我々は昨年申し込んだが出場できなかったチームという要件により、出場優先順位が高く、出場にこぎつけることができた。
 さて、1回戦は、晃華学園チームとの対戦である。相手は昨年出場のメンバーが四人残っている。お揃いの山吹色のTシャツで5人が元気よく並んでいる。当方の五将はこの試合が、試合というもののデビュー戦であり、掛け声にぎやかな団体戦で特に掛け声に特徴のある女子校チームとの対戦で、きつく厳しい掛け声の洗礼を受けることになり、24枚差で敗退。しかし、札を取れたことは良い経験となったはずだ。主将は危なげなくリードを奪ったものの、三将・四将はリードを奪われ、この三組はだいたい13枚前後で終了。1勝3敗で勝ち点を失う。副将は相手の副将との対決となる。11枚差で勝利を収める。5人そろったとはいえ、やはり団体戦は一筋縄ではいかない。
 1回戦敗退のため、2回戦は抜け番となり、3回戦に順位決定戦が行われる。対戦相手は、職域チームの老舗「NEC」である。いわずとしれた日本電気である。相手も昨年まで出場していたベテランが抜けて5人ギリギリでの出場。1回戦は0-5で敗退しているが、対戦相手のチームが強かったので、その戦績はあてにはならない。掛け声もとくになく、Tシャツもまちまちという感じはこちらと同様であり、高校チームと対戦して相手の元気さにエネルギーを奪われるということはなさそうなので、少し安心をした。
 試合経過はというと、両チームともに主将対五将といういわゆる主将はずしの対戦となり、順当に1勝1敗。残り3つの組み合わせで2勝というのが勝ち点の条件である。とはいえ、こちらの四将の負けが早めに決まり、副将と三将の試合に勝利がかかる。副将はリードし、三将はリードされている。副将は三将の相手が残り3枚から残り5枚に増えているのを横目で見つつ、粘ってもらって二人で二勝と願っていたが、三将は粘りむなしく相手の軍門にくだる。そうこうするうちに副将も粘られ、5枚-10枚は、残り2枚からのお手つきもあり、3枚-4枚になる。副将は自陣の上段「あけ」を守り、2枚-4枚となるが、2枚-3枚、1枚-3枚、1枚-2枚と運命戦の可能性が高くなる。ここで審判がつき、相手は自陣右下段に「あさぼらけう」と「あきか」を固める。こちらの持ち札は「なにわが」。敵陣を攻めてのお手つきは避けたいと思い、運命戦覚悟で守りに入る。下の句から間をおいて上の句が読まれる。「な」でない「あ」だと自然に相手陣に手が出る。手を出しつつ、耳は「あさ」の音をとらえていた。相手の手をかいくぐって内側の「あさぼらけう」(あさ)を払えていたことには自分自身が驚いた。もし、この札を取られていた場合の運命戦は、自陣だったが、自陣だからと言って取れる保証はない。ここで敵陣を抜けたことは僥倖であった。
 チームは4勝6敗。全勝者2名、主将成績・副将成績は全勝ということで、勝ち点ゼロの12チームの中では、トップの成績ということになる。次回、D級の出場枠は96チームまで増えるが、出場権に貢献できるかどうかは、来年のエントリー数次第というところである。個人的な意見になるが、そろそろCチームは認めない方向に動いてもいいように思う。現実的に新規のCチームがD級に出場するのは困難になってきている。そして、いずれはBチームも現在ABC級からD急に降級した時点で出場できないように運営を変更してもよいかもしれない。この方法であれば、Bチームを維持したければ実力で落ちないようにすればいいのである。現在、高校選手権や大学選手権では代表1チームで2チーム以上出場することはない。そのことを考えれば、職域学生大会も各団体1チーム制にしてもおかしくはない。
 とはいえ、参加チームが少なかった時代にできた制度でもある。職域学生大会の歴史と個性を考えた場合、別に他の団体戦と同じようにすることはない。なにより、CチームやBチームが出場できないと困るのは、大学や高校・中高一貫校で選手の多い団体である。多くの学生・生徒に団体戦を経験させることは、教育の一環で課外活動をしている現場では貴重な機会としてとらえられているのである。一方、職域団体は、1チーム制にしても、現実的に2チームつくる余裕がないのであまり影響は受けないだろう。今後も参加申し込みチームが増えるのであれば、真剣にCチーム・Bチームの問題も考えなければならないだろう。
 もちろん、このブームがいつまでも続くとは限らない、次第に参加申し込みチームが減少することも考えられる。そのときには、また、運営方法を見直せばよいのだ。
 すこし、我がチームの話から脱線して余計なことを書いてしまった。話を我々のチームの話に戻そう。
 試合後に場所を移したミーティングで、次回はユニフォームを揃えようという話になった。やはり、チームとしての一体感を醸し出すには、お揃いのユニホームは大事なアイテムだ。チームとして形からはいることも大事なことだと出場メンバーの思いが一致したのだ。次回の出場は来年なのか再来年なのかわからないが、その時にむけて準備怠りないようにしていきたい。

第104回大会(2017年8月27日)不出場
☆コメント☆ 8月4日の申込締切日までに89チームの参加申込があり、72チームに絞るための優先順位確認が行われた。我々は前回62位であり、前回の49位までが今回の出場を勝ち取った。前回、勝ち点を上げられなかったことが響いたわけだが、来年は参加の優先順位が高くなる。また、来年には新戦力も期待されているので、毎年の出場権を確保できるチームを目指したい。

第103回大会(2016年8月28日)D級出場(D級72チーム)
  D4ブロック : 第1回戦敗退(2勝3敗)、順位決定戦(2勝3敗)
  最 終 結 果 : 勝点0、勝数4 総合順位62位

☆短評☆  エントリーチーム数の増加により、出場チーム数を54チームから72チームとして、C級6チームを決める方法は6ブロックのトーナメント戦とする新方式が採用された。
 72チームが6ブロックなので12チームで1ブロックが構成される。前回春開催のC級からの陥落6チームと前回夏開催のD級の成績により両方を足して上位24チームが1回戦不戦勝のシードチームとなる。6ブロックなので各ブロックに4チームが散らばる。
 第一回戦は48チームが、5人並んでの団体戦で第二回戦出場をかけて対戦する。勝ったチームは、第二回戦で必ずシードチームと対戦する。ここで勝てば、第三回戦(ブロック準決勝)進出となる。三回戦進出チームはそこで負けても三位決定戦があるので、最後まで戦うこととなる。一方、二回戦敗退チームはそこでジ・エンドとなる。
 実は、三回戦実施時には、裏メニューとして、一回戦敗退チーム同士の順位決定戦が行われている。したがって、一回戦敗退チームも二試合は団体戦を取れるわけである。一回しか取れないチームは、シードチームで二回戦敗退のチームである。ただし、シードチームは、一回戦は不戦勝で5戦全勝の勝ち点1が与えられており、総合順位決定の際には大きなアドバンテージを持つ。
 また、全勝賞の表彰基準が変更になった。ブロック3位以上のチームの全勝者のみが表彰されることとなった。
 総合順位は、ブロック1位チーム6チームで1〜6位が決まる。(勝ち点、勝ち数、全勝者数、主将成績、以下副将成績・三将成績…と比較して順位を決める。全てが同じ場合は抽選となる)
 続いて、2位チームが6チームで7位〜12位、3位チームで13位〜18位、4位チームが19位〜24位と総合順位が決まっていく。ここに入っているチームは、次回のシードチームの権利を持つ。ブロックの準決勝に進出することは極めて大きな意味を持つ。
 残る48チームは、シードで二回戦敗退チームを除き、すべて2試合を取っている。シードでの二回戦敗退チームも、不戦勝5と勝ち点1をバーチャルに持っているので、この2試合の成績で総合順位を決める。このあたりは、前回までの予選(2試合)の順位決定方法と大きな変化はない。ただ、このグループは、勝ち点1のグループと勝ち点0のグループしかないので、結構抽選が発生するようにも思える。
 さて、新方式の説明はこのくらいにして、われわれのチームについて書くこととしよう
 前回の102回大会では、101回大会の出場時に5人に一人欠けていたために、ペナルティーで出場できなかったわけだが、今回からの新方式ではこのペナルティーは撤去された。72チームを超えたエントリーで重要なのは既存のチームにとっては前回成績ということになる。次回の出場を確保するためには、勝ち点を取ることは必須である。 当然、そのための戦力を整えるべく、例年通り事前練習を行なった。結局、将順は、過去の実績により私、そして副将に職員名人戦で初の栄冠を得たS君、三将に3ヶ月の英国出張帰りのE君、四将にO君となった。五将には湘南藤沢中高教諭をエントリーしたが、当日公務で欠席となり、四人での戦いを余儀なくされた。
 一回戦は群馬県の東京農大二高であった。ここで勝てれば、次は慶應湘南藤沢中高との同門対決である。久々のチーム対戦で、並び順決定をチームで行なったが、セオリーから言えば不戦敗を相手の主将にあてることになる。主将がどこにくるかを読むわけだが、高校生チームの傾向と対策から、私の予想は見事に的中した。 こういうのをあてるのは心理的に試合に向けてよい効果をもたらすもので幸先がよい。声掛けの中心人物を早々に去らせたことの効果も大きいはずである。そんな順風の雰囲気の中、同門対決を目指すものの、まずは四将が20枚の束で崩れてしまった。 不戦敗とあわせて2敗となり後がない。このあたりでは、残る3人は全員が4枚程度の差でのビハインドであった。その中で、主将と副将は押され気味の展開となるが、三将が見事逆転を果たす。主将と副将も懸命の粘りを見せるが副将が敗戦し、同門対決は幻と消える。 逆転の三将は相手7枚でリーチをかける。主将もリードされながらも、相手のお手つきに救われ、逆転の風を感じる展開となってくる。残り1枚から三将は粘られるが2枚差で勝利。その間、主将はやっと逆転するが、相手2枚、こちら1枚から守られて運命戦となってしまう。 職域に運命戦はつきもので、敵陣「おほけ」(「お」決まり)、自陣「みせ」(「み」決まり)の持ち札であった。相手の札はずっと相手が持ち続けた札であり、こちらの札は終盤で送られてきた札である。こういう時は敵陣がでるような気がするが、抜ける気もしないので、自陣は絶対抜かれないという気持ちで守るしかなかった。 結果、自陣の「みせ」が読まれ、2勝目をあげる。しかし、チームとしては負けており、個人の勝利の嬉しさも半分であった。皮肉なものだとは思うが、すでに相手チームは勝ち点を確保していたため、主将・副将の相手の心理状態に影響を与えた可能性はある。 その影響がこちらに有利に働いたとしたら、それはそれで団体戦の「あや」であったのかもしれない。
 二回戦は、勝ち進めなかったためにわれわれのチームは一回休みとなった。われわれに勝利したチームとシードの慶應義塾湘南藤沢中高の対戦は、シードチームが4勝1敗と勝利した。
 三回戦は、順位決定戦でトーナメントの右半分の山の向こう半分の一回戦負けのチームと対戦することになる。再び、相手の主将の席を予想する。今回は後輩たちが記録してくれた一回戦の記録が参考になる。そして、私の予測は的中する。 この日は、勘もさえていた。なにより、こうしたデータを取って教えてくれる後輩たちに感謝である。さて、この試合は、主将が17枚差で位置抜けを果たし、吉報を待つ展開となったが、四将が×となり、三将が8枚差で勝利するも、副将が破れ、結局、勝ち点は上げられなかった。
 理論上、勝ち点ゼロのチームは、三回戦の順位決定戦出場の12チームのはずである。61位から72位の中では勝利数4、全勝2、主将2戦全勝は61位最右翼である。 ただ、もう一人の2戦全勝が三将だったので、競合相手に副将全勝のチームがあればその下の順位となる。三回戦終了後、抽選があった場合の執行は大会本部に一任して会場をあとにしたため、 副将成績の差で決まったのか抽選で決まったのかは確認していないが、最終の順位は62位であった。毎回書いているような気もするが、来年こそは5人で出場したいものである。
 と、その前に、エントリーチーム数が多い場合は、今回の成績が次回の出場権を得られる順位でなければならないのではあるが。。。
 それは、次回のエントリー受付の締め切りを見てみないとわからないことである。
 今回は、79チームがエントリーして7チームが出場できなかった。今回エントリーして出場できなかったチーム(Cチーム以下は条件が悪いので今年は3チーム)と新規参入チームの数次第なのだが、昨今の競技かるたブームを考えると極めて微妙な順位といえることは確かだろう。 しかし、5人揃わずに出たことでの優先順位下位設定よりは、前回順位で決められるほうがはるかによい制度であると思う。それは戦った結果なのであり、その結果には責任を持たねばならないからである。出場権を確保するにはよい順位を勝ち取らなければならないという極めてシンプルな理屈がそこにあり、それこそが勝負の世界なのだ。 そして、われわれはその勝負の世界の一員なのだから。

第101回大会(2014年8月24日)D級出場(D級54チーム)
  予選 : 勝点0、勝数3
  最終結果:予選落ち 総合順位は第43位

☆短評☆  新方式になって2年目。今回はD級エントリーは54チームで、申し込みチームは全部出場可能であった。
 今回も、事前練習で、将順決定戦として試合を行った。その結果、運命戦で敗れた私は 副将。主将は研究員。E君が三将。四将はS君。五将登録のO君は所用で欠席。湘南藤沢中高教諭は俳句甲子園の引率で欠。結局は4人で戦うこととなった。
 一回戦、主将がA級対戦で4枚負け、副将も4枚負け、三将が運命戦を落とす。四将は勝ったものの勝ち点を落とし、きびしいスタートであった。
 二回戦、主将、副将と勝利するが、前の運命戦で疲れたのか三将が×、四将は2枚差で好ゲームを落とす。
 勝ち点0の得点(勝ち数)3のチームは7チーム。勝ち数2以下のチームが9チームなので、予選順位は38位〜45位の間となるので予選落ちが決定した。全勝者数、将順成績などを比較した結果、最終の順位は43位であった。来年は5人で出場したいものである。

第100回大会(2013年8月25日)D級出場(D級54チーム)
  予選 : 勝点2、勝数6
  ブロックトーナメント 準決勝 :2勝3敗
  ブロックトーナメント三位決定戦:3勝2敗
  最終結果:第5ブロック3位 総合第15位

☆短評☆  第100回大会の記念大会を迎え、出場区分の修正と対戦方法の変更が行なわれた。従来のA 級・B級・C級(各8チーム)、D級(3ブロック24チーム)をA級(8チーム)、B級(2ブロッ ク16チーム)、C級(3ブロック24チーム)に再編し、ABC級は春に実施することとし、C級 昇級6チームを決めるD級を夏に行なうこととなった。
 夏と春がセットで第100回大会となり、3年ぶりではあったが、ともかく5人そろって、 第100回の記念大会に出場できて嬉しかった。私にとっては第34回大会でデビューし、26回 目の職域学生大会である。
 本日のD級エントリーは54チーム。総当りで行なわれる予選2試合を勝ち点2で終われば 上位24チームを6ブロックに分けて行なわれるブロック順位決定トーナメントへの出場は かたいところだろう。ただ、勝ち点1だと得点や全勝者数や将順の成績など厳しい展開が 待っていることになるだろう。
 今回は、事前練習で、将順決定戦として試合を行った。その結果、運命戦を制して私が 主将。新戦力の研究員が副将。いつもは五将のO君が三将。その三将に運命戦で敗れたE君 が四将。湘南藤沢中高からコンバートした先生を五将。こうした布陣となった。レギュ ラーメンバーのS君は今回は事情により欠場となった。
 一回戦、主将・副将・四将と勝ち、勝点1。幸先のよいスタートであった。二回戦、 副将、三将、四将と勝ち。勝点1を加え、勝点2。実は、正直、主将の私が主将対決で 敗れ、予選敗退を覚悟していた。しかし、控え場所に戻ると3勝の報告を聞き、一人が ダメなら他のメンバーがフォローするという団体戦の真髄をまさに感じた瞬間であった。 しかし、勝ち点は2でも、予選成績は17位。勝ち点2の6勝では、全勝2名でも主将 の勝ち星が1で、主将0勝のチームを上回るにとどまった。
 予選17位は、第5ブロックに分類され、予選5位のチームと予選8位のチームと 予選20位のチームとのトーナメント戦となる。
 準決勝は、5位の都庁VS20位の静岡雙葉。17位の我々と8位の横浜平沼高との 対戦である。わがチームはここで、2勝3敗と敗退。予選順位を逆転できなかったのは 残念である。
 3位決定戦は、都庁に5敗した静岡雙葉と我々であったが、第二回戦の功労者の三将 が、膝の負傷で棄権。戦わずして相手に1勝を献上する。五将が粘るも敗れるが、シー ソーゲームから抜け出した四将が勝利し、副将もそこに続く。残るは主将対決の1試合 のみ。これもシーソーゲームで相譲らない展開だが、終盤において自陣の守りの堅い 相手主将陣を取れずに、2枚―3枚からリーチをかけられてしまう。自陣の守りは堅い が、攻めの様子をみていて守りきることは可能と考え、残り3枚を右下段に固める。 敵陣は「あひ」、こちらには「あり(あ)」がある。
 ここで「あひ」が出ても抜けないことは必定で、札の出に運命を託し守る。はたして、 「あ」音のあとは「り」。守った。この札の出で、残り二枚は自陣が出るように思える から不思議なものだ。1−2から審判がつき、2枚を自陣で守りきる。
 運命戦を制し、3勝目、勝ち点をあげ、ブロック3位を決めた。
 結局、最終の総合成績で15位となり、予選順位をふたつほどあげることができた。この予選順位を二つではあるけれども、さらに押し上げたというのは、今回のチームとして誇れることであろう。
 腰の不安をかかえながら出場し、4試合取りきった五将、棄権を余儀なくされたが、 二試合目で活躍した三将。全勝してくれた新加入の副将。そして、このチームを最初 から支えてくれている四将と、チーム全員の力を感じた一日だった。チームとしての 初めて、表彰状と盾をもらったのは、正直、嬉しかった。
 今度こそは、交代要員込みで出場できるチームにしていきたいと願っている。

第96回大会(2011年8月28日)不出場

☆コメント☆ 第95回大会は、東日本大震災の影響で 中止になったため、「欠番」扱いとなり、今回は第96回となった。第95回の中止決定 前までは、第94回の4人出場を受け第95回大会は出場できないものと思っていた。そ れを引っ張り、中止になった回はノーカウントだから、今回も出場できないものかと 当初は考えていた。
 しかし、第95回では、E級からのD級繰上げ出場のチームがあり、そのチームの順位が 我々よりも下の順位なので、おかしいのではないかという問題提起をした結果、第96回 のE級への出場は認められたのである。
 実は、出場辞退のチームの繰上げを参加申し込みのあったチームのみの中から行った ことで、我々よりも下の順位のチームが繰り上がったということがわかったからである。
 我々はペナルティーで出られないという認識であったので、申し込み自体をしていな かったので、繰上げの確認がなかったわけである。しかし、よくよく考えてもらえれば 、事情が事情なので繰上げを打診される資格があったと考えればよい。ただ、すでに級 分けは第95回で発表したあとであり、第95回の級分けで第96回は実施という方針があり、 我々は昇級はできなかったが、E級出場は認められたということとなったのである。
 さて、出場を認められたので、あわててメンバーの予定を聞いたのだが、結局は、 様々な都合によりチームのメンバーで揃わず不出場となってしまった。まことに 残念なことである。しかい、これも社会人チームの宿命でもあるかもしれない。
 私自身は、今回、出場する時と同じ時間に同じように会場に赴き、試合の終了を見届 けて、いつもと同じように会場を去った。試合こそはとれなかったが、運営のお手伝い を少々させていただいた。夏の練習も出場は幻とわかりつつ、例年どおりの調整をおこ なった。おそらく出場すればそこそこは取れただろうと思っている。また、今回の調整 は、秋に予定されている職員名人戦にもつながることであろう。
 このように今回の不出場については、自分なりにけじめをつけたつもりでいる。 そして、次回の春の大会こそは、捲土重来を目指して、フルメンバーで出場をしたい。 とりあえずは、わがチーム初の6人での出場という野望をいだいている。

第94回大会(2010年8月29日)E級出場(E級22チーム)
  予選 : 勝点1、勝数7
  順位決定戦 3勝2敗  最終結果:E級11位

☆短評☆ 第92回大会で4人出場だったため、第93回大会は休まざるをえなかったが、その後も傘下希望団体はうなぎのぼりで、30団体を越え、13チームが今回出場できないとのことであった。その中には、かつて職域を沸かせた宮城学院高校や東京外国語大学なども含まれている。出場できないチームに顔向けできない試合はできないと肝に銘じての参戦であった。私は92回大会に引き続き主将を務めることになった。
 開始前、チームの要の副将が横須賀線の事故の影響で東海道線の遅延につかまって、受付ができないので代行を頼むというメールが来たため、急遽、受付を行った。いつも、瑣末な事務関係を頼んでいるので、自分でやってみると日頃のありがたみがよくわかる。
 一回戦、東海道線の遅延も試合開始には間に合い、無事4人揃う。本日欠席のメンバーはかるたではなくマラソンで戦っている。幸先よく3勝し、勝ち点をゲットする。二回戦は、2勝どまり、新加入の三将は不戦勝だったが、あと1枚が足りない。4人出場の悲しさか…。三回戦も、2勝どまり。副将が、1回戦から3回戦までA級選手を引きまくり、勝つことができず、予選の結果は11位であった。ここまで、主将と三将が全勝。
順位決定戦は11位・12位決定戦となった。勝ち点1の7勝同士の対戦。うちが、上位になったのは、全勝者2が効いている。
 順位決定の対戦チームは東京女子大学。相手チームも1人欠場での対戦となった。さて、座席順で、相手は1番が欠番となり、不運の副将は不戦勝で本日初勝利が確定。こちらは3番を欠番とし、相手に不戦勝を与える。これで戦う前に1勝1敗が確定。残り三人の団体戦となる。全勝のかかった主将と三将であったが、三将の敗戦がまず決まり、続いて、四将の勝利が決まる。これで2勝2敗。チームの勝利も全勝賞もこの主将としての私の戦いにかかっていた。そのときは、相手がリードしている局面で、あったが、連取で追いつき、効果的に自陣を守ることができ、なんとか逆転で4枚差で勝利をえた。22チーム中、半分よりは上の11位を確定した。
 私は、1980年3月の職域学生大会初出場以来、25回目の出場になるが、4戦全勝し、全勝賞を獲得としたのは、初めてのことである。賞状と盾を学生時代に切磋琢磨した現会長から、受け取ることができ、感激もまたひとしおであった。
 さて5人を満たさずに出場したE級チームのルールで、次回は再び1回休みということになるが、来年の夏にまたがんばりたい。

第92回大会(2009年8月30日)E級出場(E級25チーム)
  予選 : 勝点0、勝数4
  順位決定戦 3勝1敗1無勝負  最終結果:E級21位

☆短評☆ 今まで主将を務めていたエースを欠き、4人での出場。なんとこの私が主将を務めることになった。1983年春以来26年ぶりの主将である。
一回戦、2勝どまり。後1枚が足りない。二回戦は3人が19枚差負けという惨敗。主将・副将が対A級戦とはいえふがいない結果である。三将が気を吐き、1勝をあげる。三回戦は、主将の1勝どまり。結局、4人の出場で、3人揃って勝つことができず、予選では勝ち点をあげられなかった。
順位決定戦は21位・22位決定戦となった。勝ち点なしの4勝同士の対戦。うちが、上位になったのは、全勝者なしで、主将成績の比較で同じ、副将成績の比較でも同じということで三将成績によって決まった。
 順位決定の対戦チームは日本女子大学。相手チームは二人欠場での対戦となったが、3回戦までは、相手の四将はなんと不戦勝を2つも引き当てていた。さて、座席順で、1番が双方欠番となり無勝負1が決定。2番も相手の欠番で、戦う前に1勝。残り三人で2勝で勝ちとなる。もし、1勝であった場合、相手の主将と私との主将成績比較となるため、私にとっては負けられない勝負であったが、チームとして不戦勝を入れて3勝をあげることができ、21位決定となった。
5人を満たさずに出場したE級チームのルールで、次回は1回休みということになる。来年の夏にまたがんばりたい。

第91回大会(2009年3月22日)D級出場(D-II組)
  予選(ブロック4位)勝点0、勝数4
  順位決定戦 1勝4敗  最終結果:D級(D-II組)8位(D級から陥落)

☆短評☆ 来る時が来てしまった。6シーズン守ったD級の地位を陥落。次回は予選総当たりのE級からの再出発となる。
一回戦、浜松北高戦では、四将が欠場のアクシデント。二回戦の東北大B戦もあとひとつが取れない。三回戦の木造高Aチーム戦(優勝チーム)では、三敗のあと二試合で運命戦となるが、1勝どまり。予選で勝ち点をあげられなかったのは初めてであり、順位決定戦での不利は免れない。しかも、決定戦の対抗ブロックでは、予選2位〜4位の3チームが勝ち点1の三つ巴であり、ますます残留の厳しさを増す。予選6勝の東北大Bと慶應大Bと5勝の木造高Bで、上位2つに食い込むには、後輩チームの慶應大Bに5戦全勝ならば文句なしで、4勝ならば東北大Bと木造高Bの結果次第の微妙なところ、3勝では陥落必至という事前計算であった。しかも3勝の場合は、東北VS木造の結果次第では、慶應両チームがともに陥落の可能性ありという状況であった。
結局、東北が3勝で勝ったので、わがチームが慶應大Bに3勝で勝っても慶應大Bは残留できたのだが、勝敗は下駄をはくまでわからないというものである。そして結果は、後輩たちの成長を感じることになってしまった。
捲土重来を期したい。

第90回大会(2008年8月24日)D級出場(D-III組)
  予選(ブロック2位)勝点2、勝数9
  三位決定戦 1勝4敗  最終結果:D級(D-III組)4位(D級残留)

☆短評☆ 3回戦では5戦全勝を記録。チーム始まって以来の快挙。20戦で10勝もD級では過去最高の成績。教職員チームとして出場して6回目。高校生が3年間で出場できる回数を出場したことになる。

第89回大会(2008年3月23日)D級出場(D-I組)
  予選(ブロック3位)勝点1、勝数5
  順位決定戦 2勝3敗  最終結果:D級(D-I組)5位(D級残留)

☆短評☆ 最終の5〜8位決定戦が4チーム勝ち点1で並ぶ混戦。順位決定には、勝ち点の次に勝利数を見ることになるが、これも7が2チーム。ここで残留は決まるが、5位と6位の差をわけたのは全勝者の数。我がチームに全勝者1名。この存在が大きかった。

第88回大会(2007年8月26日)D級出場(D-I組)
  予選(ブロック2位)勝点2、勝数8
  三位決定戦 1勝4敗  最終結果:D級(D-I組)4位(D級残留)

☆短評☆ 最終戦で、陥落の懸念なく取れることの解放感は大きい。3回戦の棄権1を乗り越えての3位決定戦は大きい。

第87回大会(2007年3月25日)D級出場(D-II組)
  予選(ブロック3位)勝点1、勝数5
  順位決定戦 2勝3敗  最終結果:D級(D-II組)5位(D級残留)

☆短評☆ 脱退者1名に代わり、新戦力加入。新たな5人でスタートのはずだったが、業務で欠場1、怪我人1で実質3人。決勝は、怪我人が不戦を引いて勝利をあげる。大きな1勝だった。

第86回大会(2006年8月27日)D級出場(D-I組)
  予選(ブロック3位)勝点1、勝数5
  順位決定戦 3勝2敗  最終結果:D級(D-I組)6位(D級残留)

☆短評☆ 昇級したD級の地位を死守。2回戦で5戦全敗をくらうものの、順位決定戦で勝ち点をあげ、降級(7位以下)を避けることができた。首の皮1枚の残留。

第85回大会(2006年3月26日)E級出場
  予選(E2ブロック4位)勝点2、勝数9
  順位決定戦 3勝2敗  最終結果:E級7位(次回D級に昇級)

☆短評☆ 次回からルール変更で、D級がこれまでの8チーム1ユニットから、I・II・IIIの3ユニット24チームに編成変えということで、D級に昇級を決める。この編成変更がなければ、次回もE級のままであった。順位決定戦は、弟分ともいえる慶應義塾大学Bチーム(現役チーム)。兄貴分の面目は守る。

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