練習風景日記

1999年2月〜6月

練習風景日記目次へ
筆者個人の星取表へ


1999年6月30日(水)日吉での練習に新1年生の曽我くんが来ていた。100枚を覚え、今日は定位置を決めた。他は、安藤・戎井・乙子・和久に私。学生はぼちぼち試験が開始になる。練習も間引きで、試験対策モードに移行である。くれぐれも、進級するつもりの人は留年しないように頑張りましょう。
1999年6月28日(月)いつもは冷房のきつい氷川の練習だが、今日はあまり きいていなかった。結構、汗をかいてしまった。まあ、夏はそれが当たり前 なのだが…。一回目は、安藤と乙子と私の3人。戎井は、具合が悪いようだ。 2回目には、池上と早稲田OGの小澤(小池)裕紀が加わり5人に。3回目 を8時から取ろうと思い、広瀬を待ったが来ない。携帯で連絡をとろうにも 番号を知っている戎井がいないのでお手上げ状態。結局、広瀬が登場したのは 暗記時間を10分経過したあとだった。何もしないのも来た甲斐がないと詠み をやってくれた。感謝。
今日は、わたしのホームページを見て、入会したいというメールをもらった。 法律学科の1年生だ。はいってくれるとよいのだが…。こういうメールがある とホームページを開設している意味があると感じる。これを励みに続けると しよう。
1999年6月21日(月)冷房をビュンビュンにきかせた氷川区民会館で練習。 OBの天野は1回取って帰る。その他は、安藤、戎井、乙子にリクルート スーツの高野通の現役陣と仕事帰りの私が参加。ゲストは、隼の小南と早 稲田の平と加藤。常連の広瀬が3回目に来ると思い対戦を組んでいたが、 携帯に電話して確認したら、来れないとわかり、組み合わせの変更をせざ るをえなかった。広瀬くん、お仕事ご苦労様です。
1999年6月19日(土)雨の中、日吉で練習。湿度は高いが、いつもほどは暑く なかった。卒業生が3人参加。天野、川端と私。現役は、常連の戎井、和久 は現れず、安藤、乙子、坪田の3人だった。ゲストは、小南。土曜日に4本 取るのも久し振りのような感じがした。
梅雨の季節なので、捨てられてもいいやというつもりで練習室に置きっぱ なしにしているボロイ練習着を久々に持って帰ることにした。カビがはえる のは嫌だから、たまには洗濯しなければ…。(他にも置きっぱなしのやつ がいるが、ほおっとくとカビがはえるぞ!)
1999年6月14日(月)氷川の練習は冷房が効いているので暑い日でも、 結構助かる。それでも、汗をかくのは、競技の性質にもよるのだろう。 高野通と戎井は3試合目には帰ったが、安藤、乙子に私と早稲田から 西牧、平、広瀬が参加、そして隼から小南が来てくれた。乙子は久々に詠 みも休みもなしの3試合取りと言っていたが、私は3試合とも慶應外の相手 という一日だった。ゲストが多く来てくれるのだから、慶應側もそれなり の人数が参加しないと…。
1999年6月9日(水)日吉の練習は、夏場になると冷房がないので暑い。 しかし、汗を流しながら取るかるたの練習は決して嫌いではなく、冷房で 寒いと思うよりははるかに健康的である。安藤、戎井、乙子、坪田、和久 の大学2年目の5人衆と私、そして、ゲストは仕事帰りの小南と7人の練習 だった。これから、ますます暑くなるが、暑さに負けぬ練習でありたい。
慶應と東京外語大の合同Tシャツを作成する予定だという。同じチームっ てわけでないのに合宿を一緒にやる仲といったところなのだろう。慶應 独自Tシャツの計画もあるようだ。毎年の各大学のオリジナルTシャツ を見るのも、なかなかに楽しいものだ。
1999年6月7日(月)氷川区民会館の練習は、仙台から夜行バスで帰ってき た安藤が1回目に顔を出すという熱心ぶり(取らずに帰ったが…)で始まっ た。戎井、乙子、高野通の現役にOBの私という最近の常連に加え、OBの 池上にゲスト常連の広瀬、氷川には初お目見えの滝沢が参加した。 社会人が多く参加してくれるとなんとなくホッとするから不思議だ。今日 は、個人的には1−1を2連勝。栄養ドリンクをコンビニで買って臨んだ 練習だが、さすがに疲れた…。
1999年6月2日(水)日吉での練習は、1回目から2組という珍しいパタ ーン。2回目は3組で休みが出る盛況ぶり(?)だった。安藤、戎井、 乙子、坪田、和久の2年め組と1年の伊藤圭以、4年の高野通代に私と いう参加メンバーであった。私は伊藤がサウスポーであることを始めて 知ったのだった。
さて、私は練習にかけつけるために初めて新川崎からタクシーを使った。 900円で1試合。高いのか安いのか………?
1999年5月31日(月)氷川区民会館の練習始まって以来の盛況だった。1 回目から3組取ることができ、2回目4組、3回目5組だった。この日 の参加は慶應が、安藤、戎井、乙子、高野通に私、ゲストが渡辺律子、 小南華花の隼組と広瀬、林、平、加藤の早稲田組だった。
月曜練習がやっと認知されてきたのだろうか?まあ、にぎやかなことは いいことだ。また、来週も賑わうことを期待している。
1999年5月29日(土)東京六大学野球春季リーグ戦の最後を飾る華の慶早戦 だというのに、なんと応援に行かずに練習をしている。(隣の部屋では 同じく応援をブッチして能楽研究会観世会も練習をしていたが…)
とりあえず野球は勝って、優勝を決めた早稲田の全勝は阻止した。応援 に行かずに練習に来たメンバーは、戎井、乙子、坪田、和久、高野通で ある。OBは天野と私、ゲストは東京外語大のマイケル(日本人です)だ った。4年の高野通とSFCの坪田とは、久し振りに会ったという感じ である。どんどん練習に参加してほしいものだ。
1999年5月17日(月)先週は風邪をひいて家で寝込んでいて練習に参加で きなかった。話に聞くと、10日は氷川は人数が3人以上集まったのが 通常の3回目の時間ということで1試合しかとれなかったそうだ。 しかし、本日はそんなことはなく3試合をこなした。出席は、安藤・戎 井・乙子に私、ゲストが、高橋史乃、広瀬資郎、平征之だった。
夏合宿の下見の結果、合宿先を変更することにしたらしい。それにとも ない日程も変わる。8月13日から16日だそうだ。なんか前途多難 の相が…。
1999年5月3日(月):ゴールデンウィークの真最中だというのに練習を するというこの意気込みは一体何なんだと思いつつも、自分が行かない と練習自体が成立しないんじゃないかという不安感にかられ、つい、午後 5時30分には氷川区民会館に到着する。案の定、戎井と和久と私しかいない。 あと一人くるらしいが、待っていても半端がでるので、取り始める。 しばらくして横浜隼会の中村恭子さんが来る。たぶん、この四人しか集 まらないのだろうと4時間で4試合まわすことにした。3試合目が47枚 の詠みで終了したので、8時すぎに4試合目を始めようとしていたら、早 稲田OBで、この氷川練習会常連の広瀬資郎くんが来た。どうやら車で来 て、第3京浜の事故渋滞にはまったらしい。万一、組がふえた時のために 札分けしておいてよかった。
さて、夏合宿の日程が決まった。8月11日〜14日で、河口湖の桜荘と いうところだ。(夏合宿の予定は、このあと6月になり変更になりました。) 水曜から土曜だから社会人OBは少し来づらいかもしれ ない…。
1999年4月26日(月):氷川区民会館の練習も仕事帰りに来るメンバー が固定化してきたかもしれない。川端に私と早稲田OBの広瀬くんだ。 今日もこの3人のほかに安藤・戎井・乙子・和久の4人だった。2試合目 と3試合目は札分けしているので時間のロスが少ない。暗記開始時間 が17時30分、18時45分、20時00分というのも守られている。春学期の氷 川の練習は6月までを予定している。7月は学期末試験のシーズンなので日 吉練習のみにする予定だからだ。しかしながら、仕事帰りに1試合でも取 れるのは本当に嬉しいものだ。是非、秋学期も続けてほしい。
1999年4月21日(水):1年の伊藤圭以を練習場で初めて見た。しかし、 1回めを取って帰って行ってしまった。今、5つくらいのサークルにはい ってみて、2つくらいに絞り込むそうだが、かるた会はその2つに残ること は出来るのだろうか?この日は、他に安藤、乙子、戎井と私、そして3回目 から東京外語大の川畑が参加していた。東京外語大はどうやら1年生が 入会したようだ。初心者もいれば、経験者もいるとのことで、うらや ましい限りだ。
最近、乙子に元気がないようだ。月曜日は体調不良の名目(本当の理由は 異なる)で練習を休み、この日も今ひとつ調子がのっていない(私と 取って23枚差)ようだった。元気を出して、かるたライフを楽しんでほ しいものだ。学生時代なんて限られたわずかな時間にすぎないのだか ら…。
夏合宿の予約をそろそろ考える時期になっている。練習場が確保できて 、夜中に賑やかにしてもかまわないところで、しかも安いなんてところ が、はたして見つかるのだろうか?
1999年4月19日(月):17日の土曜日に新入生歓迎会があり、伊藤と佐 藤と二人の一年生が来ていたのだが、この日の練習にも1年生は不在 だった。参加者は、安藤・戎井・和久の現役勢に川端とわたしのOB勢 、そしてゲストに広瀬と今村の計7名だった。時間短縮の為、2回目と3回 目は札わけをしておいて、揃えた札で取った。なんと3回目は3組とも 1−1だった。これも珍しいことだ。雨の中、ご苦労様でした。
1999年4月14日(水):日吉で練習があったが、新入生は一人も来ない。そ のかわりといってはなんだが、堀口(商2)が珍しく来ていた。昨年度は、 4月に練習で取って以来、ついぞ彼を練習場でみかけなかったが、今年度 は週1回のペースで取ると宣言していた。3つのクラブを掛け持ちで、かる たの優先順位は3番目といったところだろう。他の参加者は2年めグルー プの戎井、安藤乙子だった。和久は来ていなかった。隣の部屋で稽古して いる能楽研究会には新入生がはいったようだ。能楽に入って、何故かるた会 に入らないのだろうか?土曜日の新入生歓迎コンパにOBは6人来るそう だが、新入生はいったい何人くるのだろうか?頑張れ2年生!
1999年4月7日(水):今日で新入生のオリエンテーションも終わり、明 日から授業が始まる。この期間、新入生で練習場まで来てくれた人 はいない。新入生歓迎会を4月17日に行うというのに招待される人間がいない ことには話にならない。
今日の日吉練習には、ゲストで吉崎、川畑、松原が来てくれた。うちはい えば、現役が、高野・安藤・戎井・乙子で、OBが私の計8人。和久の顔を 練習でみないのも久し振りという感じだ。外では、夜桜見物の学生 たちが賑やかに一気飲みをやっている。急性アル中にならなければいいの だが…。
1999年4月5日(月):昔は渋谷区の区民会館を借りて、夜なども練習をし ていたものだが、最近はすっかり聞かれなくなっていた。それが、今月か ら再開するとは嬉しいニュースだ。月曜日の夜の楽しみができた。私が 氷川区民会館で、かるたを取るのはなんと1985年6月以来の約14年ぶりのこ とだ。その上、本日の対戦相手の久保田とは、12年ぶりの対戦だった。 参加者は、現役が、戎井・安藤・乙子・和久、OB・OGが、わたしと久保 田・池上・川端、そしてゲストが広瀬くんという具合で、総勢9人。まあ まあの盛況といえよう。それより、はやく新入生をいれて連れて来てほし いものだ。
1999年4月3日(土):大学の入学式の日だ。暁星から一人、伊藤君(商 学部1年)が入会した。練習参加者は、戎井、安藤、乙子、和久と私だった 。2回取ったが、隣の部屋を落語研究会が着替えに使っていてなんとな く新歓・オリエン期間という感じだった。練習場の和室(食堂棟3階)か ら眺める桜が素晴らしかった。
なお、3月20日は、遅れて乙子が来たらしい。携帯電話の番号を控え ていなかったのが敗因だった。というわけで、彼の番号を自分の携帯に 登録した。
1999年3月20日(土):3月17日(水)に仕事帰りに日吉の練習場に顔 を出そうと思い、戎井の携帯に電話したら、練習は休みだと言う。土曜 はやってるのかと確認したら、鹿児島大会に行かないメンバーでやってい ますと言う。戎井はは安藤と鹿児島に行くようだが、土曜は練習があるも のと思い、土曜の1時に練習場に行ったが、鍵があいていない。30分 待ったが誰も来ない。30分たてば、大学の講義だって自然休講だ。そ のまま、八丁堀のClub8の練習に行っても最終回くらいしか取れない ので、行く気もおきずにやむなく帰ってきて、この記事を書いている。職域 前なのにいいのかな練習しなくて…。戎井には、土曜に行くからと言っ ておいたのだから、やらないならやらないで、練習予定だったメンバーか ら連絡の1本もほしいものだ。それならばそれで、最初からClub8の方 に行ったのだから…。
1999年3月6日(土):3月3日は練習しないと言っていたので、今日が3月第 1回目の練習かと思っていたら、3日に戎井と乙子と和久の3人が2回戦 ずつのリーグ戦をやったらしい。和久が3勝1敗で優勝だったとのことだ。 今日の練習には、川端と伊東、高野通、安藤と上記の3人と私が参加した。 川端は選抜大会の練習で、着物で取っていた。私も着物で取ったことが あるが、取りにくいものだ。フォーム までかわってしまう。本来はこれじゃいかんのだろう。
この日のトピックといえば、久々に右利きの選手が、空振ったあとに左手取 りをするのを見たことだ。だいたい、キャリア1年以内の人間がや るように思う。私の左手取りの目撃は、この条件にあてはまっている。 そういえば、はじめたての頃の指導練習を受けていて、自分もやったこ とがあったっけ…。
話は変わるが、とりあえず、全日本かるた協会への登録料5千円を戎井 にわたすことができた。 一応これで、今年も気分は現役ということで…。
来週は東外大と慶應の合同春合宿がある。これには、参加できない。残念だ。
1999年2月27日(土):2月の土曜練習は皆勤だ。午前中に都内で用事を済 ませ、日吉の練習場についたのは14時10分頃だった。すでに、卒業生の川 端、3年の高野、1年の和久、乙子が来て練習していた。このメンバーに、 2試合目から、1年の安藤と戎井に私が加わった。3試合目には、東京 外大から吉崎が加わった。 吉崎は練習のあとの「飲み」に来たらしい。この日は、3月7日に行な われる4年の河上の「追い出しコンパ」の話題と、4月から久々に復活す る都内練習(月曜夜、渋谷区の氷川区民会館)の話題で盛り上がっていた。 私が慶應主催の都内練習に参加したのは、94年8月が最後である。学生 時代は当たり前のような都内練習だったのだが、「会」も「私」も今では 状況が違うのだ。感じたくはないが、 やはり「年月」というものを感じてしまう…。
練習風景日記のINDEXへ戻る


koisucho@yahoo.co.jp
(@は半角でお願いします)