練習風景日記

1999年7月〜12月

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1999年12月18日(SAT):今日は、戎井・乙子の現役陣にOBは天野と私、ゲストに マイケルという参加者だった。小池家の鍋の会が中止になり、参加者激減。
安藤は、早稲田のクリスマス会に参加のため、そちらの練習にいったらしい。 3本目の終了近く、伊東が鍋の中止を知らずに来て、ショックを受けていた。修士論文 も、ラストスパートでいそがしいらしいが、鍋のために時間を遣り繰りしたと いうことだ。鍋の会は29日に延期ということだが…。
1999年12月11日(SAT):日吉の銀杏並木の葉も随分と落ちてきた。例年より は、あったかいようだが、確実に季節は移り変わっていく。
国文の万葉旅行から帰ってきた戎井が、土産に生八つ橋を買ってきた。私も 昔は、京都に遠征にいくと買って帰ってきたものだ。本日は、その他、乙子と 坪田に、OBの天野。ゲストにマイケルの総勢6名。安藤は、明日の九州職域 のために遠征中。今日はきっと、早川に「フグ」をごちそうになることだろう。 和久は、仙台での敗戦のせいか年内休養宣言。休養したから強くなるわけでは ないのだが、気分転換もいいかもしれない。
来週の土曜は、小池邸で「鍋の会」があるらしい。冬には「鍋」が良く似合う。
なお、今年の納会は、けっこう年も押し迫った12月25日(土)。恵比寿の ガーデンプレイスで行う予定だそうだ。クリスマスの日を選んだのには 何か理由でもあるのだろうか?
1999年11月28日(SUN):練習風景日記というよりは、慶應の現役OB対抗戦 というBIG EVENT報告である。
20年前に始まったこの会も、人数の関係でいろいろな形式をとりながら、なんとか続いている。今回は、7対7の団体戦2回勝負。勝ち点が同点の場合は 勝数で決めることで開始。
第1回戦
 ○政木真理−安藤嘉晃
 ×定留尚之−佐藤直樹
 ○大前隆男−和久一彦
 ○早川裕章−伊藤圭以
 ○高野 仁−坪田絵美
 ○川端由布子−戎井 望
 ○金山真樹子−乙子 智
第2回戦
 ×長谷川洋−戎井 望
 ○小飼伸一−和久一彦
 ○小池徹哉−安藤嘉晃
 ○大前隆男−坪田絵美
 ○望月仁弘−高野通代
 ×早川裕章−佐藤直樹
 ○久保田直樹−伊藤圭以
実際、OBの強さを実感した。特に3年ぶりのかるたと言っていた小飼は、「札の上の句から下の句が出てこない」などと言いながら、伸び盛りの和久を20枚と一蹴。「いやー、取り札を見たら、ちゃんと上の句出てきたよ。」と 昔ながらの台詞をはいて、往年の強さを見せつけていた。彼がその気になりさえすれば、名人戦の舞台に立つことも可能だろうと思うのは私だけだろうか? 夜は、懇親会で旧交を温めた。
なお、出欠席の返信はがきに名前を書き忘れた方が3名ほどいた。うち、一人は近況欄から河上素子と判明。あとの2名のうち、「1年に1回かるたを取っています」と書いた方と何も書かず欠席の連絡をくれた方。どなたでしょう。 この欄を読んでいたら、掲示板に書き込んでください。(消印は「和光」と「杉並南」でした。)
来年は、慶應かるた会のOB会である「三田かるた会」発足20年となる。記念の年なので、さらなる盛会としたいと願っている。
1999年11月27日(SAT):私が1時に日吉の練習室にいくと乙子くんが一人のみ。 うだうだと上段の中央に札を置いた時の取りの解説をしてあげた。しばらくして、 戎井と八子(外大)が来た。伊藤圭以と坪田絵美に電話をしたが、二人とも 申し合わせたように「体調が良くないので…」。まあ、休む時の決まり文句 とも言えるかもしれない。大学1年の時の私も、この台詞を反芻していたような気がする。結局、1回目はこの4人でスタート。2回目からは 安藤と和久と外大のマイケルが登場。八子さんはマイケルとは指導してもらっ たことしかなく、試合形式で取ったことが無いと聞いてびっくり。そして、 何故か慶應にこれだけ来ていて安藤との対戦もないとのこと(本日も実現せず)。 乙子の上段中央置き初体験も、なかなかよかった。ぜひ、身につけてもらいたい と思う。乙子には向いている札の配置だと思うのだが…。
明日は、慶應の現役・OB対抗戦。私にとっては、いつもの練習相手と取るだけ のことだ。どちらかというと久々に昔対戦した相手と取ってみたい気がする。
1999年11月10日(WED):日吉の練習は、私が到着した5時55分に成立を見た。 戎井と安藤が私の到着を待っていてくれたのだ。3人のみで3本をまわした。 3人のリーグ戦の優勝は、なんと私であった。はたして、喜んでいいのか? わるいのか?
私がいかなくても、練習は成立させてほしいものだ……。
1999年11月8日(MON):氷川区民会館での練習。安藤、戎井、乙子の現役陣に加え、 OBは久保田と私。ゲストに酒井(むらさめ)、中川(東)、平(早大)。メンバーの 入れ替わりが激しい日で、3回ともに詠みと休みがあった。
「この間、Club8で、定留さんにとってもらったんですけど、高野さんと同じ くらいですか?」と中川さんに聞かれた。私が若く見えるのか?それとも定留 が老けて見えるのか?(どうやら後者であるらしい)
先週は、「高野さんて高野通代さんの親戚ですか?」と聞かれたが、毎週 発せられる質問が楽しみだ。
久保田も、売り出し中の平に勝っていた。若々しい彼のかるたも健在のようで ある。見習いたいものだ。
携帯を壊してしまって不便していた乙子が、新しい携帯を買った。私のと 同じ会社のなのでプチメールでやり取りができる。これは便利に使えそうだ。
1999年11月1日(MON):先週の月曜日の練習流会にもあきれずに、酒井さんが 来てくれた。ありがたいことだ。他にゲストは中川(東)に平(早稲田)。 OBは川端と私。現役は、安藤と戎井。万一のために詠みテープとカセット コーダーを戎井に渡した。これがあれば二人でも練習できるだろう。
本日不在の圭以くんや乙子くんが土曜の夜に吉崎くんらと飲みにいった 話も耳にしたが、特に乙子くんが深夜に活躍したの話を是非聞きたいと 思っている。
1999年10月27日(WED):どしゃ降りの雨の中、スーツも靴もびしょびしょに しながらも、18時ちょいと前に日吉の練習場に到着した。どうも様子が変だ。 乙子と和久が二人で帰る相談をしていたのだ。
聞くところによると25日の月曜の氷川練習は、一回目は乙子と酒井@むらさ め会さんしかおらず、酒井さんが帰ったあとで、川端が来たものの結局二人 より増えずに19時10分には解散したとのことだった。私は仕事を早く切り上 げられれば、20時には間に合うように行こうと思っていたので、行っていれ ば空振りに終わっていたところだった。(実際は仕事が終わらず行けなかっ た)。ゲストも多く来る月曜練習なので、詠みテープとカセットコーダーを 用意するなどの工夫も必要かと思う。それより慶應の現役で3人集まること が大切なような気もするが…。
そんなことがあったので、「本日も、こんな天気じゃ人が来ないから帰ろう」 と言っていたところだったのだ。「こんな雨の中、帰るのはいやだ」と言って まだ残っていてくれたのが幸いした。乙子の携帯に電話をいれたのになんで? と思っていたら、乙子の携帯はおシャカになったということだ。ずぶ濡れに なりながら行ったのに誰もいないでは、私は怒り狂っていたことだろう。 やっと時間をつくって行ったはいいが、誰もいなかった経験は数回ある。 寂しいものだ。
しばらくすると4年の高野通が来た。結局18時から3回取った。4人だと詠み と休みがでるので効率が悪い。こんなに人が集まらない今、カセットコーダー に詠みテープの練習も真剣に考えなければならないかもしれない。
頑張れ! 現役! 新入会員の募集もしてくれよな!!
1999年10月18日(MON):私にとっては、久し振りの仕事の後の氷川練習だった。 安藤、戎井、乙子に加え、OBは川端と私。ゲストに酒井協子(むらさめ)に 鶴谷憲幸(亜大)。社会人は忙しいかもしれないが、仕事帰りに是非練習に顔 を出してもらいたいものだ。最終回は午後8時暗記開始。戎井と乙子は、最初から いるにかかわらず、読みと休みが一回ずつ入り、結局1試合しか練習していない。 OBやゲストに対するこうした陰の心遣いに感謝!
1999年10月13日(WED):先週の大人数はうたかたの夢だったのか、私が到着した時には、一組しか取っていなかった。組数が少ないので4本取ることができたのだが、先週の賑やかさを思うと寂しい。安藤・戎井・伊東にOBは小池と私。ゲストはマイケル。マイケルは4本フルに取っていった。外大にいったが誰も来なかったらしい。草加からよくぞ日吉まで来てくれるものだ。乙子も和久も、練習には来なかったが、慶應で練習のないときは、マイケルのガッツで、よその会の練習にでも顔をだしたらどうだろうか。
1999年10月6日(WED):なんと久々の5組、練習室は満員御礼。参加者は12名だった。伊東と伊藤、安藤・戎井・乙子・和久に小池夫妻と私で9名。東外大からは、川畑とマイケル。東大からは山川の参加だった。私は仕事帰りの3試合目のみだったが、これだけ賑やかで、みんなの気合が入っていると、なんとなく密度の濃い練習をした気になるというものだ。
1999年10月2日(SAT):安藤、戎井、乙子、坪田、和久の現役陣も新学期が始まり、 練習にも熱がはいる。OBは、私と小池、川端(田口夫人)。ゲストに小澤(小池 夫人)である。名人戦・クイン戦の予選も近い。10月もかるた界は熱い!
1999年9月11日(SAT):夏休みもあとわずかであるが、練習となると人が集まる。熱心なことである。米国帰りの伊東はアロハシャツで登場。夏でも毎日試験勉強にダブルスクールに通う高野通も、勉強の息抜きに練習に来る。2年生軍団は、戎井、乙子、坪田、和久。そして今日のOBは私のみ。安藤は、箱根にドライブだとか…。はやく練習用の札を日吉の練習室に持ってきてくれ!
職域・学生大会が終わったせいか、堀口や伊藤は顔を見せない。大会前だけでなく普段から練習に来てほしいものだ。練習は、自分自身の調整だけではない。他のメンバーにとっては、いろいろなタイプと取ることで、何かを学んでいくのだ。そうして、会としてのレベルアップにつながるのだから…。
1999年8月26日(THU):さすがに職域・学生大会前である。12人が氷川区民会館に集 まった。1年:伊藤、佐藤。2年:安藤、戎井、乙子、堀口、和久。4年:高野通、中野。 OB:天野に私。ゲスト:小南。試合前最後の調整である。私は、むかし職域前に練習 に熱心に打ち込み、試合日に疲れのピークが来るということがあったが、そういうこと のないように練習してほしいものだ。
さて、8月22日から24日にかけては、湘南藤沢中等部・高等部の練習会ならびに校内 合宿が行なわれ、大学からも、高野通、中野、安藤、戎井、乙子、和久が参加して くれた。湘南藤沢中高のコーチ役の私としても、いろいろな対戦のバリエーション が組めるので助かった。
湘南藤沢中高は、活動をはじめて4年目になるだろうか。顧問の久松宏二先生の勧誘で 集まった生徒達が、こじんまりとほのぼのとした雰囲気で活動している。
今回の参加メンバーは、高2:中条・永津・安田、高1:谷口・皆川・増田、 中3:福田、中2:石塚・森本だった。その他にも、杉本・山本といったメンバーがい る。ただ、多くのメンバーは兼部しており、他の活動が忙しい中での大会前の練習と いう感じだ。もっとコンスタントに練習ができればよいのだが…。
現在の部の大目標は、出場以来、E級最下位を続けている職域・学生大会での最下位 脱出である。はたして、結果は如何?
1999年8月21日(SAT):私の米国出張をはさんでの久々の練習だった。学生達は 大学選手権団体準優勝とひとまずの成果をあげ、外大との合宿を経てひとまわり たくましくなったようだ。
さて、本日は日吉の練習場で四本の練習。暑い中、汗を吹き出しながらも職域・学生大会に向けて始動した。高野通、戎井、乙子、和久に OBの小池と私を加えてスタート。4本目には安藤も顔を出した。大学選手権で大活躍の 坪田は福井で練習に励んでいるらしい。きっと佐藤も中野も堀口も伊藤etc.も自主的 に調整にはいっていることだろう。
1999年7月31日(SAT):一試合目は、坪田・和久・天野の三人でサクッと始まったようだ。その後、戎井、乙子が加わり、4試合目に私が参上とあいなった。5試合目に乙子と一組だけ取ろうかと言ったが、乙子に拒否されてしまった。乙子には、この前負けた借りを返さなければならないのだが…。
取り口には、やはり相性があるのだろうか?今日も、坪田が和久に負けた。どうも和久と取ると肝腎なところでお手付きが出てしまうようだ。天野は、安藤に四連勝中だというし、そんなに星が偏るかなと思ってしまう。
さて、8月になると現役の連中は、大学選手権に行ってしまって、練習は、外大との合同合宿までない。この機会に40枚作ったTシャツを売りさばかなければならいということで、帰る時にTシャツを何枚も持ち帰る戎井と乙子だった。そして、そのあとは職域練習となる。私はというと、丸一週間の米国出張などもあり、慶應の練習にしばらく参加できそうにない。ということは、このページは開店休業ということになる。できるだけ、まめな更新を心がけたいのだけれども…。
追伸:戎井が携帯電話を変えた。番号も変わってしまった。メモリの登録変更をしなければならない。
1999年7月28日(WED):今週も午後1時から戎井・乙子・和久で練習をしていたそうだ。すごい熱心さだ。この日はなんと6試合。しかし、詠みと休みのバランスがうまく取れず、乙子も戎井も6試合分いて、3試合しか取れなかった。乙子は、その効率の悪さを解消するためか、5試合目は隣の部屋で一人払いの練習にいそしんでいた。その他、安藤・坪田の現役陣に、OBの天野と私の参加だった。
話は変わるが、今年の慶應Tシャツができあがった。笑いもとれるがそれなりに「いけてる」Tシャツだ。慶應の応援歌は「若き血」であるが、歌詞の中に「陸の王者慶應」とある。これはボートや水泳の場合、「水の王者」に変えて歌うのだ。さて、カルタの場合は「?の王者」でしょうか?(回答はTシャツを見てのお楽しみ)
1999年7月21日(WED):練習熱心な後輩達は、午後1時くらいから集まって練習をしていたらしい。いつもの3本目だと思って行ったら、なんと5本目だった。安藤、戎井、乙子、坪田、和久とゲストの八子(東外大)に私を加え、七人の練習だった。前日の府中白妙の大会で、戎井がD級3位、乙子がD級4位だった。乙子は嬉しい初入賞だ。金星を贈呈した人間としては、乙子の活躍が嬉しい。不戦プラス1勝で4位という効率のよい入賞は、ツキも実力の内ということでいいではないか。乙子頑張れ!今日は、隣の部屋で落語研究会が稽古をしていた。能楽とは、また一風違う賑やかさだ。乙子よ、札の詠み手をやりながら、落語のオチはまだかと気にするのはやめような!
さて、慶應義塾湘南藤沢中等部・高等部の夏合宿が8月22日(日)から24日の2泊3日と決まった。校内合宿である。ぜひ、支援にかけつけたいと言う方は、私までメールされたし。
1999年7月10日(SAT):科目によっては春学期末試験が始まっているため、 日吉では、1時から安藤と乙子の2人だけが和室にいた。どうやら、試験 勉強をしながら時間をつぶしていたようだ。 私は、仕事を終えると安藤の携帯に電話を入れ、2時50分くらいに職場を出て、新川崎からタクシーで日吉へむかった。3時40分くらいから5時15分くらいまでの間に2試合をこなすというハイペースで、遂に乙子に金星を進呈してしまった。上段でごまかして1-1まで持っていったが、乙子の好きな「みせ」を守られてゲームセット。今日の乙子は、よく敵陣を抜いて、お手つきも少なかった。まあ、こんなこともあるさと思いつつも、乙子の成長を嬉しく 思っている。(本当だよ!)
安藤と乙子は、6時からの東京外大の前期の納会に合流するそうだ。(それで 練習が成立しなくても和室にいたわけだ。おかげで2試合取らせてもらえたが…)
来週は試験期間につき、練習はなし。私は7月にあと何試合取れるのだろうか?
1999年7月7日(WED):日吉で練習だった。安藤、乙子、坪田、和久の2年陣 と大学院の伊東、一年の曽我と私でフルメンバーだった。曽我を指導する乙 子が印象的だった。後輩を指導して、やっと身に付くこともあるのだよ!乙 子くん。
久々に参加した練習後の会も楽しく過ごせた。たまには、こういうのもいい ものだ。
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