掛声考
〜The forbidden fruit (2)〜
JUL/2009 Hitoshi.Takano
"The forbidden fruit"とは、"禁断の果実"のことである。初心者・
初級者に誤解を招きたくないが、初級から中級への入口のところで
悩んでいる人に対して、「何かしらのヒントになればよいのである
が…」というテーマを書いているので、このようなサブタイトルを
つけた次第である。
第1回は、「序盤で大差をつけられたら…」であった。もちろん、
試合の中ではありうる展開なのだが、これを前提に書くのもおかし
な話しなのである。序盤で大差をつけられないようにすることを書
くのが本来の姿であると思うからだ。
しかし、実際は、こうしたことが起こりうる。起こりうるが、本来
のあるべき姿と違うので表立って書けない。でも、ニーズはある。
ニーズがある以上、後進のためには書く必要があるのではないか。
そういうことで書き始めた。
このような勧めるわけではないが、やらざるをえないようなテーマ
を"The forbidden fruit"と名づけたのである。
したがって、正直、初心者には読んで欲しくない。初心者は本来の
あるべき姿を目指して、精進すべきだと思うからである。しかし、
初心者から初級者となり、中級者にならんとすべき時には壁にぶつ
かることがある。この壁を越えるヒントと思っていただきたい。
第2回のテーマは、「掛声」である。
1.はじめに〜掛声の是非〜
掛声が、なぜ"The forbidden fruit"になるのかと疑問にもたれる方
もいることだろう。
団体戦などでは、いまや当り前のように掛声がある。しかし、無意味
な掛声も多いし、正直、私の耳には「うるさい」と思われるような掛声
さえある。
しかし、団体戦にはチーム内での掛声があってもいいように思っている。
もちろん、いきすぎない範囲で、うるささを感じさせない範囲でという
ことである。もっと各チームは、声の出し方をチームなりに考えるべき
であるように思う。それは、最小限で最大限の効果をあげる掛声のあり方
ということである。
さて、しかし、今回は団体戦の掛声を取り上げるのではない。ここで
メインテーマとして取り上げたいのは個人戦においての掛声である。
(個人戦における掛声を考えることで、団体戦への応用を考えてもらえれば
よいだろう。)
個人戦の最高峰と言えば、誰もが名人戦を思い浮かべるのではないかと思う。
そういう意味で、私の頭の中には、理想の名人戦というものがある。
それは、開始の宣言のあとの人の声は、「お願いします」と読み手の読み
の声と札を動かす時の「変えます」とそれに対する「はい」の声、そして
最後の「ありがとうございました」の声のみというものである。
掛声もない、相手への確認や主張もない、審判へたずねることもない無言の
中に、流れるような試合の進行で終始する試合が理想像なのである。
自分自身も、極力、無駄な声を出さないで試合を進めたいと心がけている。
だからこそ、私の基準では「掛声」は「禁断の果実」と位置づけざるをえな
いのである。
2.掛声の禁じ手
当たり前のことだが、掛声にも禁じられるべき事項がある。掛声の禁じ手を
考えてみよう。
(1)上の句が読まれる間近の掛声
読みは4−3−2−1−5方式と言われるが、のばしの2秒や間の1秒での
掛声は、完全に上の句の音を聞くための邪魔になる。また、下の句の七七のあと
の七の時も集中を高めている最中だけに掛声は掛けるべきではないだろう。
このあたりはほぼ同意してもらえると思うが、個人的には下の句の前の七の
4秒の時であっても、ここから次の上の句の初音への準備が始まるだけに掛声
は掛けるのは避けたほうが望ましいと思っている。
掛声をかけるならば、下の句が読み始められる前に済ましておくべきなのだ。
(2)決まり字前の掛声
上の句が読まれている間の掛声は、自分が取ったことをアピールする意味を
含めた「はいった!」とか「よしっ!」の類である。
この声も気をつけなければならないのは、たとえば6字決まりの札が同音で
2枚同じ陣に来て、2字決まりや3字決まりになっているときに掛声をかけて
しまっては、他に取っている人の迷惑になるのでやってはいけないのである。
大山札の事例で紹介したが、大山札であれば他の選手は驚きはするものの
決まり字は聞き分けれられるタイミングとなろうが、「うつしもゆ」が2枚
同じ陣で来た時に一時のタイミングで「はいった!」などと言われようなもの
なら、他の選手は肝腎の二字目の決まりの音が聞こえなくなってしまうので
ある。こんな掛声はありえない話である。絶対の禁じ手である。
では、決まり字すぎれば掛声を掛けていいのかというと、必ずしもいいとは
言えないのである。
なぜか?
それは、会場の広さその他の環境によって、読みの音が聞こえにくい場合
があるからである。たとえば「ありま」・「ありあ」などで、3字目の音が
よくわからないような感じで聞こえる時がある。こんな時には4字目の「や」
か「け」が判断の基準とならざるをえない。こんなときに、決まりの3字が
過ぎたからといって大きな掛声などすると判断基準の4字目の音がかき消され
てしまうのである。
取った瞬間の掛声は、取りに勢いをつけるし、見ていても勇壮感を感じるの
だが、様々な可能性を考えると、実際のところはいかがなものかなというとこ
ろである。
(3)ふさわしくない言葉の掛声
人を罵倒する言葉や、品のない言葉など、掛声にはふさわしくない言葉が
ある。当然のことだが、こうした競技の礼節に反する言葉、人を不愉快にする
言葉は、掛声にしてはならない。
3.似非掛声(えせかけごえ)
掛声の話に入る前に、掛声とは似て非なるものもあるので、掛声と区別する
意味で解説しておこう。
(1)悲鳴・うめき
悲鳴というとちょっと大げさで、うめきというとニュアンスが違うような
気もするのだが、たとえば、自分がお手つきをしてしまった瞬間の
「いか〜ん!」とか「しまった!」、「アチャーッ!」、英語では、
「Ouch!(アウチッ)」とか「Oops!(ウープス)」の類は、悲鳴といって
もよいだろう。
これらは掛声ではない。ただ、お手つきをしてしまったあとに「ドンマイ!」
とか「挽回!」というのは掛声となる。
(2)ぼやき
札が取れずに「いかんなぁ〜」とか「おかしいなぁ〜」と首を捻りながらいう
のは、掛声ではない。この類は「ぼやき」である。
(3)独り言
「頭イタ」とか「腰が痛い」とか、「どうも調子がでないなぁ」とか、読みの
インターバルの間に言うのは、「ぼやき」でもあるが、どちらかというと独り言
の類であろう。自分に対してのことではなく相手の取りについて「早いなぁ」と
か「うまいなぁ」とかいうのも「独り言」と思うべきである。相手のお手つきに
対して「あ〜ぁ、もったいない」などというのも「独り言」である。しかし、こ
の独り言を相手に聞かせようと、意図的にやると「三味線」ということになる。
「三味線」とは、「相手をまどわすためにとる言動」ということである。
「三味線」には気をつけなければならない。
4.掛声
回り道をしたが、いよいよ本題である掛声の話をしよう。いくつかのパターンに
わけてみてみよう。
(1)札を取った時に発する掛声
敵陣の札を取った時に、「はいった」とか「よしっ」とか発する掛声がある。ひとつには
相手に対して自分が取ったことをアピールする意味もあるが、自分自身の取りに勢いをつけ
る意味もある。団体戦だったら、チームメイトに自分が敵陣を取ったということを知らせる
という効果もあるだろう。
「残った」という掛声もある。相手が払い残したことをすかさずアピールする掛声で
ある。こちらのほうは、自分に勢いをつけるという意味はほとんどなく、純粋にアピール
であるが、相手が「はいった!」などと掛声をかけた直後にすかさず「残った」と掛声
をかけることができれば、相手の掛声による勢いを消すという効果がある。
賛否はあるだろうが、「はいった」・「よしっ」の類の掛声は、安売りするものでは
ないと思う。要するに、のべつまくなしに掛けるのではなく1試合の中で要となる展開
の時に掛けるべきものだと私は考えている。
たとえば、序盤であれば、最初に敵陣下段を抜くときに声を発して相手の度肝を抜くと
いうのもあるだろう。
中盤であれば、ねじり合いの肝で相手を突き放すのろしとして敵陣を抜いた時に
掛声をかけるというのもあるだろう。
大差で負けている時に敵陣を抜いた時なども、自分に対する勢いづけとしても効果が
あるし、相手に対しても「楽に勝てると思うなよ!」というメッセージにもなるという
効果があるだろう。
リードされていて追いついた時とかリードしていて追いつかれた時などにも効果的な
掛声だと思う。
最終盤でもここ一枚の時に声を発してもよいだろう。たとえば、リードしていて相手に
数枚続けて自陣を守られたあとに抜いた時などが効果的だろう。
いろいろなシチュエーションで考えてみたが、やはり、一試合中そう何回も声を出す
のではなく、ここ一枚の時に限って発すべき掛声であるべきだろう。
(2)相手がお手つきした時に発する掛声
相手がお手つきしたときの掛声としてポピュラーなものは「ラッキー!」と「チャンス!」
である。ごく稀だが、「お手っ!」というアピール系の掛声もある。
「ラッキー」とか「チャンス」と言われたほうは、相手はこちらのミスをそんなに喜ば
なければならないほど、きつく感じていたんだとくらいに余裕の気持ちでいたいものだが、
けっこう、すかさず言われるとむっと感じるものである。
「お手っ!」と言われるのも、思わず「わかってるわい」と言い返したい気持ちになる
こともある。
特に団体戦で、自分の一枚のお手つきに対して、対戦相手の一人からだけではなく、他の
向こうのチームの4人からも、「ラッキー」とか「チャンス」と言われると「うるさいっ!」
と言いたい感覚になることもある。
それだけ相手に対して、効果的だともいえるが、これものべつ相手のお手つきのたびに
繰り返すのもいかがなものかと思う。
やはり、試合の中での展開の胆の部分で発したほうが効果的だろう。接戦の時の相手の
お手つきとか、終盤の一枚というところだろう。
しかし、むしろ何も言わずに淡々と、しかもすかさずに札を送ってくる相手のほうが
「こいつはできる」と思わせる効果があるように思える。
相手の弱り目を叩けというのが勝負の鉄則かもしれないが、それは決して掛声で叩く
ものではないだろう。むしろ、相手のお手つきの次の一枚をしっかり取ることのほうが
試合全体の流れからすれば大切なことなのだ。
それだけに掛声よりも、「次の一枚取るぞ」という無言の圧力のほうが怖いのである。
(3)自分を励ます掛声
自分を励ます掛声としては、「ファイト!」とか「はいきた!」、「さぁ一枚!」など
があるだろう。「ファイト」は団体戦ではチーム全体への励ましの声にもなりうる。
これらの掛声も、のべつまくなしに掛けていると掛声というよりも口癖に堕してしまう。
やはり試合の展開の中で、ここは気合いを入れなければならないという時に掛けたいもの
である。
お手つきをしたあとの「ドンマイ」とか「挽回」も、自分を励ますとともに、相手の
「ラッキー」・「チャンス」という声でむっとした気持ちを静めるために有効な掛声でも
ある。
「目には目を。歯には歯を。」ではないが、「掛声には掛声を」である。相手の掛声で
心が動いたら、自分が掛声を掛けることで心の動揺を静めるのである。
もちろん、相手の掛声で動揺することなく、「次の一枚を取る」という強い意志のもと
無言で淡々と取り続けるのも、相手にとっては不気味なものであるので、それはそれで
効果があるものと思うが…。
最近多いように思うのが「集中!」という掛声である。自分に言い聞かせる意味で、いい
掛声であるのだが、これも口癖になってしまうといかがなものかと思う。
お手つきをしたあとの「集中!」、相手に札を取られたあとの「集中!」、自分が遅く
札を取った時の「集中!」などなど、これは、自分への掛声であるのかもしれないが、
ある意味で、相手に対しての「照れ隠し」にもなってしまっているのではないかと思う。
うがった見方をすれば、「集中」ということで、相手に自分が集中していないことを
教えているようなものである。
掛声を掛けるということは、相手に対しての自分の心の状況の一端を見せていることにも
なりかねないということを忘れてはならない。
(4)その他の掛声
体験的に言えば相手のうまい払いに対して、払いの直後に「ナイス!」と
声を掛ける選手と対戦したことがある。
褒められているようなので悪い気はしなかったが、違和感は感じた。いい
プレーは、いいプレーとして、敵に塩を送ろうがエールを送ろうがかまわない
のだろうが、いかがなものだろうか。
ゴルフで、一緒にラウンドするプレーヤーに対して、「ナイスショット」と
いうのと同じなのかもしれないが、かるたでは珍しい。
札を取った直後の「ナイス」は明らかに掛声だろうが、払われたあとに「早い
ねぇ」とか「うまいねぇ」というのは、ぼやきの類になってしまう。
ぼやきになると、それは三味線ともとられかねない。微妙なところだろう。
掛声は、三味線と受け取られないような範囲で考えたいものである。
これ以外であれば、その他の掛声としては、団体戦での味方に対する掛声がある。
これは、最近では実に多岐に渡るが、簡潔かつ励ましとなるシンプルなものにした
いものである。長ったらしい掛声やうるさいものは、避けたいものである。何よりも
自分自身の集中力を欠けさせてしまうのではないかと思われるからである。
おわりに〜掛声初心者へ〜
掛声について、様々な面から見てきてが、最後に掛声初心者(ここで言う
掛声初心者は、掛声に慣れていない初級者のことである。競技かるたの初心者は
、まずは掛声などに気をつかわず、一生懸命札の暗記に集中してほしい)に対して、
第一歩を踏み出すために、背中を押したいと思う。
初心者向けの掛声は、(3)の自分を励ます掛声である。まずは、「ファイト!」
もしくは「さぁ、一枚!」あたりがよいだろう。
自分がこの試合で、ここで掛声をかけて、自分自身を奮い立たせたいという肝腎要
な場面で、声を発するのだ。それは、相手に聞かせるものでも、周りにアピールする
ものでもない。自分自身に言い聞かせるように、丹田に力がこもるように、声を発する
のである。
初めての体験の時は、その一回でいい。その一回の掛声が、その後のその試合にどういう
展開をもたらしたかを、試合後に自分でよく振り返って考えてみてほしい。
そうやって、掛声というものを試行錯誤しながら、効果的に出せるように訓練していく
とよいであろう。
これを繰り返していくと、いつかは無意識に相手のお手つきに「チャンス!」と声が
出るようになり、気がつくと敵陣を抜くときに「はいった!」と叫んでいるようになる
(かもしれない)だろう。
かるたは、右肩上がりの直線では強くならない。階段状に強くなっていくものである。
次のステップに上るまでは、同じ高さを真横に進むだけである。このステップをあがる
きっかけの一つして、掛声というのが役立てば、本稿も価値があったというものだろう。
ただし、くれぐれも掛声の安売りはやめていただきたい。無言で暗記を入れ直し、集中
するというのが、また、別のステップアップのきっかけになることもありうるのである。
掛声の是非、向き不向きは、いろいろとあろうが、初心者は、まずは試してみてもらい
たい。掛声肯定派になるか否定派になるかは、試してみたあとで決めればよいことだから
だ。
最後に結論として述べたいことは、「掛声はかけるにしてもかけないにしても、試合の中
の大事な要素である」ということである。
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