安倍仲麿

天の原ふりさけ見れば春日なる
   三笠の山にいでし月かも


決まり字:アマノ(三字決まリ)
 遣唐使として、20歳で渡唐。安部仲麿は、唐で留学生朝衡となり、唐の官僚朝衡となった。 この歌を詠んだのが、帰国の思いに期待を膨らませた56歳の時。そして、帰国かなわず70歳 で唐で客死。
 優秀な人であったのだろう。仲麿は、唐での名の「朝衡」として唐の朝廷でも重く用いられた。 唐の都長安は、当時の国際都市であり、様々な国から人も集まり、いわゆる外国人であっても 能力がある人物は活躍の場所があったのだ。

 この歌を詠んだのは、帰りの遣唐使船に乗る許可が降りたあとである。

 ふるさとの春日の地、三笠の山に出る月も、この地、唐の地で見る月も同じ月なのだなあという 感慨が詠まれている。
 月とは、それこそ望郷の思いを募らせるものなのだろう。その思いで仲麿は月を見つづけていた のだろう。そして、やっと帰れるという思い、それまで月に託していた思いを、過去に故郷で見た 月と帰国して故郷で再び見る月と、再び日本で月を見て唐の国のことを思い起こすことを考えながら この歌を詠んだのではないだろうか。

 ただ、帰国の途についた遣唐使船は風雨のために、日本には到着することあたわず、仲麿は再び 唐での官僚としての生活に戻るのである。

 その時の望郷の思いはいかばかりであっただろうか。月への思いもさらに増し加わったことであろう。

 なお、この歌は百人一首の中では、もっとも都から遠い地で詠まれた歌である。

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2008年5月4日  HITOSHI TAKANO