小倉百人一首

 「なんだ、百人一首か」と言わずに最後まで見てください。作者名にリンクをはっていますが、興味がある作者名をクリックしてみてください。その作者や歌や札にちなんだエピソードなどを紹介しています。
 「小倉百人一首」は、平安末期から鎌倉初期にかけて活躍した歌人「藤原定家」が7世紀から13世紀の歌人の歌を一人一首ずつ選んだものと言われています。選んだきっかけは、宇都宮蓮生という息子の舅から頼まれて、蓮生の小倉山荘の障子に色紙として飾るためということが、定家の日記である明月記から推測されます。この百人百首の和歌が「百人一首」として伝わり、後世、百人の歌人から各一首選ぶスタイルが「○○百人一首」として流行するにいたり、区別するために「小倉百人一首」と呼ばれるようになりました。
 江戸時代には、この小倉百人一首が「歌留多」遊びとして定着し、明治時代になると「競技かるた」という競技としてのスタイルが形成されることになります。
 和歌鑑賞のアプローチでも遊戯や競技としてのアプローチでも結構です。「小倉百人一首」の世界をお楽しみください。

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          目次(小倉百人一首・百人秀歌・愛国百人一首)


  1 天智天皇
   秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ
  2 持統天皇
   春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山
  3 柿本人麿
   足曵きの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む
  4 山部赤人
   田子の浦にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ
  5 猿丸大夫
   奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の 声きく時ぞ秋は悲しき
  6 中納言家持
   鵲のわたせる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける
  7 安倍仲麿
   天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも
  8 喜撰法師
   わが庵は都のたつみしかぞすむ 世をうぢ山と人はいふなり
  9 小野小町
   花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに
 10 蝉丸
   これやこの行くも帰るも別れては しるもしらぬも逢坂の関
 11 参議篁
   わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣船
 12 僧正遍昭
   天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ 乙女の姿しばしとどめむ
 13 陽成院
   筑波嶺の峯より落つる男女の川 こひぞつもりて淵となりぬる
 14 河原左大臣
   陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに みだれそめにし我ならなくに
 15 光孝天皇
   君がため春の野に出でて若菜つむ わが衣手に雪は降りつつ
 16 中納言行平
   立ち別れ稲葉の山の峯に生ふる まつとし聞かば今帰り来む
 17 在原業平朝臣
   ちはやぶる神代もきかずたつた川 からくれなゐに水くくるとは
 18 藤原敏行朝臣
   住の江の岸に寄る波よるさへや 夢の通ひ路人めよくらむ
 19 伊勢
   難波潟短き蘆のふしの間も 逢はでこの世をすぐしてよとや
 20 元良親王
   わびぬればいまはた同じ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ
 21 素性法師
   今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな
 22 文屋康秀
   吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風を嵐といふらむ
 23 大江千里
   月見ればちぢに物こそかなしけれ わが身ひとつの秋にはあらねど
 24 菅家
   このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉のにしき神のまにまに
 25 三条右大臣
   名にしおはば逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな
 26 貞信公
   小倉山峰のもみぢば心あらば 今一度の御幸待たなむ
 27 中納言兼輔
   みかの原わきて流るるいづみ川 いつみきとてか恋しかるらむ
 28 源宗于朝臣
   山里は冬ぞ寂しさまさりける 人目も草もかれぬと思へば
 29 凡河内躬恒
   心あてに折らばや折らむ初霜の 置きまどはせる白菊の花
 30 壬生忠岑
   有明のつれなく見えし別れより 暁ばかりうきものはなし
 31 坂上是則
   朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪
 32 春道列樹
   山川に風のかけたる柵は 流れもあへぬ紅葉なりけり
 33 紀友則
   ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ
 34 藤原興風
   誰をかも知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに
 35 紀貫之
   人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香ににほひける
 36 清原深養父
   夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに月宿るらむ
 37 文屋朝康
   白露に風の吹きしく秋の野は つらぬき止めぬ玉ぞ散りける
 38 右近
   忘らるる身をば思はず誓ひてし 人の命の惜しくもあるかな
 39 参議等
   浅茅生の小野の篠原しのぶれど あまりてなどか人の恋しき
 40 平兼盛
   忍ぶれど色に出でにけりわが恋は 物や思ふと人の問ふまで
 41 壬生忠見
   恋すてふ我が名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか
 42 清原元輔
   契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山浪こさじとは
 43 中納言敦忠
   逢ひ見ての後の心にくらぶれば 昔は物を思はざりけり
 44 中納言朝忠
   逢ふことの絶えてしなくばなかなかに 人をも身をも恨みざらまし
 45 謙徳公
   あはれとも言ふべき人は思ほえで 身のいたづらになりぬべきかな
 46 曾根好忠
   由良の門をわたる舟人かぢをたえ ゆくへも知らぬ恋のみちかな
 47 恵慶法師
   八重葎しげれる宿のさびしきに 人こそ見えね秋は来にけり
 48 源重之
   風をいたみ岩うつ浪のおのれのみ くだけてものを思ふ頃かな
 49 大中臣能宣朝 臣
   御垣守衛士の焚く火の夜は燃え 昼は消えつつ物をこそ思へ
 50 藤原義孝
   君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな
 51 藤原実方朝臣
   かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを
 52 藤原道信朝臣
   明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな
 53 右大将道綱母
   歎けきつつひとりぬる夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る
 54 儀同三司母
   忘れじの行末まではかたければ 今日をかぎりの命ともがな
 55 大納言公任
   瀧の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞えけれ
 56 和泉式部
   あらざらむこの世のほかの思ひ出に 今一度の逢ふこともがな
 57 紫式部
   めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に 雲隠れにし夜半の月かな
 58 大弐三位
   有馬山猪名の笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする
 59 赤染衛門
   やすらはで寝なましものをさ夜ふけて かたぶくまでの月を見しかな
 60 小式部内侍
   大江山生野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立
 61 伊勢大輔
   いにしへの奈良の都の八重桜 今日九重に匂ひぬるかな
 62 清少納言
   夜をこめて鳥のそらねははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ
 63 左京大夫道雅
  今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならでいふよしもがな
 64 権中納言定頼
   朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれ渡る瀬々の網代木
 65 相模
   恨みわび乾さぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ
 66 前大僧正行尊
   もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし
 67 周防内侍
   春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそ惜しけれ
 68 三条院
   心にもあらでうき世にながらへば 恋しかるべき夜半の月かな
 69 能因法師
   嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 龍田の川の錦なりけり
 70 良暹法師
   さびしさに宿を立ち出でてながむれば いづこも同じ秋の夕暮
 71 大納言経信
   夕されば門田の稲葉おとづれて 蘆のまろ屋に秋風ぞ吹く
 72 祐子内親王家紀 伊
   音に聞く高師の浜のあだ浪は かけじや袖の濡れもこそすれ
 73 前中納言匡房
   高砂の尾の上の桜咲きにけり 外山の霞立たずもあらなむ
 74 源俊頼朝臣
   憂かりける人を初瀬の山おろし はげしかれとは祈らぬものを
 75 藤原基俊
   契りおきしさせもが露を命にて あはれ今年の秋もいぬめり
 76 法性寺入道前関白太政大臣
   わたの原漕ぎ出でて見ればひさかたの 雲ゐにまがふ沖つ白波
 77 崇徳院
   瀬を早み岩にせかるる瀧川の われても末に逢はむとぞ思ふ
 78 源兼昌
   淡路島通ふ千鳥の鳴く声に 幾夜ねざめぬ須磨の関守
 79 左京大夫顕輔
   秋風にたなびく雲の絶え間より もれいづる月の影のさやけさ
 80 待賢門院堀河
   長からむ心も知らず黒髪の 乱れて今朝はものをこそ思へ
 81 後徳大寺 左大臣
   ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる
 82 道因法師
   思ひわびさても命はあるものを 憂きに堪えぬは涙なりけり
 83 皇太后宮大夫 俊成
   世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
 84 藤原清輔朝臣
   ながらへばまた此の頃やしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき
 85 俊恵法師
   夜もすがら物思ふころは明けやらで 閨のひまさへつれなかりけり
 86 西行法師
   嘆けとて月やは物を思はする かこち顔なるわが涙かな
 87 寂蓮法師
   村雨の露もまだ乾ぬ槙の葉に 霧立ちのぼる秋の夕暮
 88 皇嘉門院別 当
   難波江の蘆のかりねの一夜ゆゑ 身をつくしてや恋わたるべき
 89 式子内親王
   玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする
 90 殷富門院大輔
   見せばやな雄島の海人の袖だにも 濡れにぞ濡れし色はかはらず
 91 後京極摂政前太 政大臣
   きりぎりすなくや霜夜のさ莚に 衣かたしきひとりかも寝む
 92 二条院讃岐
   わが袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らね乾くまもなし
 93 鎌倉右大臣
   世の中は常にもがもな渚漕ぐ あまの小舟の綱手かなしも
 94 参議雅経
   み吉野の山の秋風さ夜ふけて ふるさと寒く衣うつなり
 95 大僧正慈円
   おほけなくうき世の民におほふかな わが立つ杣に墨染の袖
 96 入道前太政大 臣
   花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり
 97 権中納言定家
   来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ
 98 従二位家隆
   風そよぐならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりける
 99 後鳥羽院
   人も惜し人も恨めしあぢきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は
100 順徳院
   百敷や古き軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり


<暗記のために>

 百人一首を「競技かるた」として暗記するには、取り札(下の句)をみて、決まり字( 上の句)を瞬時に言えるように暗記することである。通常は、取り札を見ながら、決まり 字を言っていく。これをWEBでやるならば、下の句にリンクをはって、下の句を見て決ま り字を思い浮かべて、クリックして確認する方法がよいと思い、つくってみたで試しても らいたい。

◇ 小 倉百人一首「下の句」一覧 ◇

◇ 愛 国百人一首「下の句」一覧 ◇


<ちょっと一言>

小倉百人一首は、このように四季や恋などを題材にした短歌を集めたものですが、それ ゆえに太平洋戦争の戦時下では、軍部により圧力を受けました。
「この非常の戦時下に、恋の歌で遊ぶとは何事であるか。けしからん。」というわけ です。そこで、当時のかるた愛好者が代用していたものが" 愛国百人一首"です。
かるた競技者の目からみると、この愛国百人一首は、13字決まりが6枚に7字決まり が3枚、6字決まりが13枚、5字決まりが8枚というとんでもない代物でした。一度 プレーしてみたい気もしますが、きっと待ちきれずにお手付を連発することでしょう。

○  愛国 百人一首の決まり字  ○

○  小 倉百人一首の決まり字  ○

○   百人秀歌の決まり字  ○


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