僧正遍昭

天津風雲の通ひ路吹きとぢよ
   乙女の姿しばしとどめむ


決まり字:アマツ(三字決まリ)
 俗名良岑宗貞。父は、大納言良岑安世。宗貞は桓武天皇の孫にあたる。仁明天皇の下で左近衛少将。 仁明天皇の崩御に伴い、悲しみに堪えきれず比叡山で出家したと言われる。時に35歳であった。
 僧綱のTOPの僧正の位までなったのは、貴種の血のゆえだろうか。それとも諸国修行や慈覚大師や智証 大師のもとで三部大教を学んだゆえだろうか。75歳で入滅。
 大日如来の密号は「遍照」であり、仏教の語としてはそちらがメジャーであるが、大日如来を恭って 「遍昭」としたと言う。

 この歌は、坊さんの歌らしくないとよく言われる。それもそのはず、出家前の在俗時代、良岑宗貞 としての歌である。宮中の五節舞の舞姫を見て詠んだ歌である。

 天の風よ、その風で天女が乗って帰る雲の路を閉じてしまってくれ。天女と見まごう舞姫の姿を いましばらくとどめておきたいから…。

 眼前の舞姫を誉めるのに、天女を引き合いに出してスケールアップしているのだ。

 なお、間違っても「てんしんぷう」などと読まないように……。


小倉百人一首のページへ戻る
決まり字一覧へ
2008年5月2日  HITOSHI TAKANO