かるた展望「第11号」目次

1977年8月12日印刷
1977年8月14日発行


(個人的コメント)
 冒頭は、川瀬選手会長の挨拶。次期の新選手会長は遠藤健一氏と紹介されている。前の号(第10号)から1年半あいているため、名人戦・クイン戦・全日本選手権は、2年分記載されている。
 昭和51年度は、川瀬VS森で、フルセットで森が名人位奪取。クイン位は5連覇をかけた沖VS吉田。慶應の吉田が初戴冠。ただ、見出しは「沖、永世クインならず」。負けてニュースになるというのはさすがである。この吉田の活躍は、慶應の名をかるた界の中で光らせた。
 翌年度は、森VS平田裕一。3勝1敗で森が防衛。クイン戦は、吉田VS堀沢久美子。堀沢は2勝1敗で史上最年少クイン(当時)となる。高校2年生だった。私も当時高校2年生。競技かるたにはまだ縁のない頃だったが、クラスマッチというクラス対抗戦で百人一首を取っているころだった。百人一首仲間の一人が、新聞記事をもって、私たちと同学年の高校生が日本一になったと私のクラスに教えにきてくれた。自分たちの年齢で日本一になれるんだということが、自分たちにも何かできるんだという漠然とした希望を与えてくれたことを覚えている。このときは、まさか大学に入って、自分が競技かるたを始めるとは思っていなかった。しかも、そのときの対戦相手の大学の後輩になるとは知る由もなかった。
 大会成績にみる慶應の活躍は、吉田、妹尾、土屋、大橋、大前、落合、一杉がA級。B級以下では、伊藤裕之、平野晋一、常泉香久子、長沢昌子、浦上静枝。職域は、第27回で、A級優勝・準優勝独占。第28回で、A級優勝。第29回で、A級優勝。これで職域A級4連覇である。
 事務局だよりには、昭和52年度からの会費値上げのことが記されている。しかし、昭和53年度からは、「かるた展望」の発行はストップしてしまうのだ。皮肉なものである。
 なお、昭和51年度選手会総会では、事業計画として「展望11号は52年5月で大会を締め切って6月に出す。これは選手会の会計年度に合わせる事と上期にかるた界の行事が集中しているため、話題に速報性をもたせるためです。」と決められている。発行が1年半あくことは予定通りだったようだが、予定よりも2ヶ月遅れている。そして、11号の次の12号がでるのは、6年後となるのである。2ヶ月の遅れくらいは6年の中断に比べればたいしたことはない。
(H.Takano)

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