かるた展望「第14号」目次

1985年8月20日印刷
1985年8月30日発行


(個人的コメント)
 全日協の機関誌となって3号め。よく3号雑誌などという言葉を聴くが、ある 意味今後の継続をかけた正念場の号であったかもしれない。
 このあとの一大シリーズとなる「われらA級1年生」がスタート。今号では「特集」 とあるが、これは大変良い企画であったと思う。私がB級優勝したときに「かるた 展望」とこの企画があれば、ぜひ書かせていただきたかった企画である。
 かるた界夜話も3回目をむかえた。おもしろいのは座談会企画、前回よりも人数 がふえての発言は興味深い。
 名人戦の本文見出しは「種村、初挑戦で名人位に-松川V10ならず-」である
 クイン戦の本文見出しは「北野、戦国クイン位制す-無念渡辺ミスに泣く-」
 全日本選手権の本文見出しは、「栗原、執念で種村名人を倒す」。決勝戦は 栗原VS種村で、逆転からの運命戦での決着であった。
 得点表にみる慶應所属選手の名前は、上から順に次のとおり。
 種村貴史、鈴木靖司、大前隆男、長谷川洋、奥村始史、小飼真美、牧野守邦、高野仁、早川裕章。
 名人戦東日本予選では準々決勝に種村、牧野、大前、鈴木と残るも、準決勝では 種村、牧野の二人に、そして決勝で松林に勝って種村が東日本の代表になる。挑戦 者決定戦は、対川瀬前名人であった。慶應としては4→2→1だが、ベスト8以降 は、対慶應の構図となる。慶應の会としての勢いはおおいにアピールするのだが、 慶應以外の有力候補のつぶしあいで漁夫の利を得ることを考えると個人単位でみた 時への影響はそれなりにあるのかもしれない。会で包囲網をつくっても、結局、 勝ち抜くのは個人だということは、種村の「名人になって」の記事からもうかがい 知ることができる。
 大会成績にみるB級以下の慶應所属選手の名前は次のとおり。
 三谷弘之、吉田昌弘、小菅信孝、山田鉄水
 第43回職域での慶應の成績は次のとおり。
 A級3位、B級準優勝、C級準優勝。
 段位基準(昭和55年11月制定)が掲載されているのは、さすが機関誌という感じ がする。なお、このときは現役は八段までと定められていた。また、「読み」について の記事の存在も大きいと思う。
 編集後記によると、慶應による制作協力がわかる。また、早川が最多大会出場者とし て紹介されている。こういうさりげない記事が、いろいろな意味で団体や選手の励み になるのだと思う。
(H.Takano)

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