かるた展望「第20号」目次
1991年9月25日印刷
1991年9月30日発行
- 至誠館とかるた……………………………………………………田中茂穂
- 平成3年度名人戦・クイン戦
- 私を支える2つのC………………………………………………種村貴史
- クイン位を手にして………………………………………………山崎みゆき
- 第30回全日本選手権
- 選手権に優勝して…………………………………………………大前隆男
- 第6回全国選抜大会
- 選抜大会に初優勝して……………………………………………波多野俊
- 第4回各会対抗団体戦
- かるた界はいま……………………………………………………伊藤秀文
- 競技かるた誕生と黒岩涙香………………………………………西内康夫
- 小倉忌大会の意義…………………………………………………三浦 博
- 読みと解釈…………………………………………………………北原 操
- 仁坂壮行氏を偲んで………………………………………………室川公宏
- 夢の中へ……………………………………………………………関口 聡
- 「われらA級1年生」
村越菜穂子、浅倉 伸、池田有希、芦川良久、
東村亜子、福原慎太郎
- 平成3年度各地大会成績
- 昇段者
- 平成3年度得点表
(個人的コメント)
巻頭の「至誠館」は、選抜大会会場の明治神宮の施設で田中館長が執筆。
名人戦の本文見出しは「種村貫禄、ストレートでV7」。再び、慶應の後輩である望月が挑戦をはたすも、3連敗で種村の牙城はくずせず。
クイン戦の本文見出しは「山崎、悲願のクイーン位獲得」。クイン戦の渡辺VS山崎カードは3度目となる。山崎挑戦者2連勝でクイン位を奪取する。
全日本選手権の本文見出しは「大前、選手権初制覇」。ベテランと書かれるようになった慶應の大前が決勝で早稲田の波多野を破り、優勝。このときの慶應からの参加は、55人中、大前と鈴木靖司の2名のみ。
第6回選抜大会は、本文中に大見出しが出るようになった。「波多野、学生初の選抜制覇」。決勝で松川をくだして優勝をとげる。34名中、慶應からは、早川と鈴木靖司の2名のみ。
各会対抗団体戦の見出しは「慶応、堂々2連覇!」。「名人・準名人を擁する昨年優勝の慶応かるた会が、エース大前を欠きながらも、新鋭小池選手の活躍で、(略)見事2連覇を成し遂げた。」と記事に書かれている。決勝お相手は、九州かるた協会。慶應の三谷の観戦記が読ませてくれる。
企画部(三浦)による「小倉忌大会の意義」は、何度か参加させていただいているだけに興味深い。
得点表にみる慶應所属選手の名前は、上から順に次のとおり。
種村、望月、小池、大前、政木真理、早川。なぜか吉野会の金山真樹子が慶応との誤植。OGのイメージが強く、校正段階で見落としか?
名人戦の東日本予選では、決勝に望月と小池が残る。西の代表は川瀬。挑戦者決定戦では、望月が再度川瀬をくだす。
大会成績にみるB級以下の慶應所属選手の名前は次のとおり。
北沢尚子、黒岩今日子。
第54回職域での慶應の成績は次のとおり。
A級優勝、C級3位。
第55回職域での慶應の成績は次のとおり。
A級3位、B級7位。
編集後記によると、20号というキリのいい数字ということで、コメントも出ている。
「一口に20号といっても、その間25年を要しています。今あらためて25年前のことを思い出していますが、現在20代の若い人達は全く知らない頃の話ですから、矢張り25年前は遠い昔の出来事です。」
でも、こうした冊子が残っているから昔のことも昔の人の思いも知ることができる。今、現役の慶應の学生に少しでも、かるた界の歴史とその中にみえる慶應の歴史を垣間見てもらいたくて、私は、このようなHP作成作業をしている。
(H.Takano)
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