伊勢
難波潟短き蘆のふしのまも
あはでこの世をすぐしてよとや
決まり字:ナニワガ(四字決まリ)
上の句は下の句の主題を強調する意味で使われている。「難波の潟にはえる蘆の節の間の
ように本当に短い間さえ、あなたに逢わずこの世を過ごせとおっしゃるのですか」という
意味になろうか。蘆の節の間を「よ」というので、「この世」の「世」は掛詞になって
いる。
作者の父親藤原継蔭が伊勢守であったところから「伊勢」と呼ばれる。藤原基経の娘温子が
宇多天皇に入内し、その温子に仕える。
基経の息子仲平、時平(ともにのちに左大臣となる)に懸想されるが、結局は男のほうから
去っていった。そして、その後、自分が使えていた温子の背の君である宇多天皇の寵愛を受け、
行明親王(夭折)を生む。
中宮温子の死後、その娘均子内親王に仕えるが、そこでも、均子内親王の夫である敦慶親王
の寵愛を受けることになり、女流歌人として有名な中務を生む。
女主人の旦那の子を産むという一見主人への裏切り行為のように見えるが、この当時の後宮
等の倫理観からいうとそうおかしなことではなかったのだろう。
時の権門勢家の御曹司たちや、高貴な身分の男性たちに愛されたということは、相当に魅力的
な女性であったのだろう。
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2008年4月30日 HITOSHI TAKANO