愛国百人一首

大隈言道

男山今日の行幸の畏きも
   命あればぞをがみにける


<愛国百人一首における決まり字>
オト(2字決まり)
<愛国百人一首における同音の数>
オ音20枚のうちの1
<歌意・鑑賞>
 1863(文久3)年、孝明天皇の石清水八幡宮に攘夷祈願に行幸した際に沿道にあって この歌を詠んだ。
 男山は、山城国にあり応神天皇、神功皇后、比売大神を祀っている。元寇の弘安の役の際 に亀山上皇が参籠したことで有名な石清水八幡宮のこと。「命あればぞ」は当時66歳の言道 の実感であったことであろう。
 男山の石清水八幡宮に今日行幸があって、まことにおそれ多いことであるが、この歳まで 命ながらえて生きてきたからこそ、この盛儀を拝観することができたのである。
<コメント>
 筑前福岡の商家の人で、通称は米屋清助。慶應4(1868)年に71歳で没したという。 早くから学問を好み、二川相近に書と歌を学び、廣瀬淡窓の塾で漢学を学んだ。
 「天保の民ならば天保の歌を詠むべし」というのが主張であり、因習・雅俗にとらわれず、 経験に即した真実尊重を唱え、現実主義・個性主義に徹した。平明の中にも新味があり、 時代の流風を破ったところに特色があると言われている。歌集は「草径集」という。
 4年間で4万首詠んだともいわれるほど創作力は旺盛であった。

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2008年5月31日  HITOSHI TAKANO