愛国百人一首

新納忠元

あぢきなやもろこしまでもおくれじと
   思ひしことは昔なりけり


<愛国百人一首における決まり字>
アジ(2字決まり)
<愛国百人一首における同音の数>
ア音12枚中の1
<歌意・鑑賞>
 文禄・慶長の役に老齢のために従軍できなかったやるせなさを詠んでいる。
 遠い唐土(このときは明の国)まで、(大切に思う主君が)行かれるとも、必ず離れない ように従おうと思っていたのだが、それも昔のことになってしまった。このように齢を重ねて しまっては、忠義も尽くしきれない。まことにやるせない事であるよ。
<コメント>
 作者の新納忠元は、「にいろただもと」と読む。島津家の家臣で武蔵守と称した。島津義久、 義弘に仕えて、鬼武蔵と呼ばれた。天正15年、豊臣秀吉の薩摩攻めのとき大口の城を守って 屈しなかった。義久が秀吉の軍門に降ったため、やむなく開城した。秀吉が召して、その理由 を尋ねると「関白の軍を城下に集めるのを得るのは光栄である。戦死しても、末代までの名が あるから、遺憾なことはない。」と語ったという。
 この時、秀吉から酒を賜り、忠元のひげが盃に触れ、かすかに鳴った。細川幽斎が傍らにあり 「口のあたりに鈴虫ぞなく」というと即座に「頬ひげをちんちろりんとひねりあげ」と上の句 をつけたのである。
 まるで前九年の役の時に、源義家が「ころものたてはほころびにけり」と逃げる安倍貞任に 声をかけると「としをへしいとのもつれのくるしさに」と貞任が上の句をつけたような当意即妙 さである。普段から歌を学んでいたのであろう。特に古歌を学んだという。陣中に古今和歌集を 持ち込み、火縄銃の火縄の光で読んでいたとの伝説も残る。

 ついに99リンクめとなった。泣いても笑っても、あと一つ。

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2008年6月11日  HITOSHI TAKANO