蝉丸

これやこの行くも帰るも別れては
   知るも知らぬも逢坂の関


決まり字:コレ(二字決まリ)
 これがまあ、関を越えて行く人も関を通って帰ってくる人も、顔を知っている者も顔を知らない 者も逢っては別れる逢坂の関であることだなあ。

 作者の蝉丸は、琵琶法師の祖と後世祀られるようになるので、それなりの伝説に彩られた人物 である。琵琶法師の祖ということで、坊主札に分類されるのだが、実際の所は所謂「坊主=僧侶」 ではなかったといってよいだろう。
 宇多天皇の皇子敦実親王に仕えた雑色という説や、醍醐天皇の捨てられた皇子説などが、物語 集などの中で伝えられるが信憑性はいかがなものであろうか?
 出自もよく知れぬ人物が、後世に名を残すと、それは貴種の血を引いているとか、高貴な身分 のものに仕えたからだとか、そういう身分的な所に根拠を求めるのは史上よくある話である。
 おそらく、蝉丸伝説もその部類であろう。
 琵琶の名手ということも、琵琶の名手として名高い源博雅が習いに来たという伝説が後世できた ことにより、そうであったのだろうと考えることができる。
 作者について、わかっているのは、現在の滋賀県と京都府の境付近、大津市の南の逢坂山にあった 東国と京都の交通の要衝を守った逢坂の関付近に庵を組んで住んでいた琵琶の上手であったという ことくらいであろうか。
 盲目の琵琶法師とよく言われるが、実際、盲目であったかどうかも怪しいといわれる。後撰集 の詞書には「行きかふ人を見て」とあるからだ。
 しかし、後撰集の選者は、盲目の人物についての視覚に関する表現に気をつかっていたかどうかと いうといささか疑問であるので、この記事だけをみて伝説を否定する材料にはならないだろう。
 蝉丸という名も蝉歌という声を絞るような発声の歌をよくするところから名付けられたとも言われ、 謎に満ちた人物なのである。

 頭巾のない坊主頭の歌仙絵のかるた札もあるが、私の知っている範囲では、頭巾姿の歌仙絵を採用 している札が多い。そしてきっと所謂職業的僧侶でなかったことも原因しているのだろうか、子供同 士で坊主めくりなどの遊びをすると、時として、トランプのジョーカー的な役回りをさせることがあ る。
 私も子供の頃、当時遊んでいた田村将軍堂の読み札の蝉丸の絵を不気味に感じていたことを覚えて いる。

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2008年5月3日  HITOSHI TAKANO