<百人秀歌>
蝉丸
これやこの行くも帰るもわかれつつ
しるもしらぬも逢坂の関
「行くも帰るもわかれては」(一首)→「「行くも帰るもわかれつつ」(秀歌)
と上の句の第三句めの最後の表現が異なっている。
「つつ」は歌末であれば、反復・継続に余情を残すという手法であり、小倉百人一首の
中にも、山部赤人の「富士の高嶺に雪は降りつつ」
や、光孝天皇の「わが衣手に雪は降りつつ」、
天智天皇の「わが衣手は露にぬれつつ」などがある。
この歌の場合は、歌末ではないので、余情というよりは、まさに行く人帰る人の往来が
反復継続されている意味そのものであると考えればよいだろう。
これが、小倉百人一首版では「わかれては」になるのである。この「ては」もまた、
動作・作用が反復される状態を表す表現である。辞書でひくと「〜たかと思うと、また。」
「〜(し)てはそのたび。」ということになる。
どちらがいいかというと、耳に聞きなれた「ては」のほうが、下の句に自然につながるように
思え、私にはしっくりとくるのであるが…。
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2008年6月6日 HITOSHI TAKANO