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"競技かるた"に関する私的「かるた」論
番外編
文法の相違への対処方法
〜「とまどい」を越えて〜
Hitoshi Takano May/2015
前回、「攻めカルタ」と「守りカルタ」の相違は、言語の違いではなく、文法の相違程度のものと論じて
みた。(「文法論」参照) これに基づいて、実戦において異なる文法による対戦が生じた場合の対処方法を考察してみたい。
以前に書いた手紙シリーズの文章の中で、中高チームのコーチ
の言として「オーソドックスではないかるたへの対応ができていなかった」という敗因を紹介した。「オーソ
ドックス」とはもともと「正統派・正統主義」という意味合いではあるが、この定義をはじめると、そもそも
どういうかるたが「オーソドックス」といえるのかという議論になってしまうので、ここでは、中高のコーチ
が実践・指導している昨今のいわゆる「攻めカルタ」という程度の意味にとらえてほしい。
要するに敗因としては、日頃自分たちが実践し、指導を受けてきた、周囲の練習相手もほとんどが用いている
「攻めカルタ」ではないカルタのスタイルに遭遇してしまったときに、その対処ができなかったことにあると
言っているのである。
まさに、このケースが「文法の相違」状態のモデルケースであろう。だいたい、こういう場合は、まずは
「とまどい」を感じることで始まる。これは、相手に対する「とまどい」である。次に、いつもどおりの自分
のカルタが取れないという「とまどい」を感じる。これが、自分に対しての「とまどい」である。そして、
最後は、両方の「とまどい」のうちに、そこを抜け出せずに負けてしまっているのである。
相手は、おそらくいろいろなところで、いわゆる「攻めカルタ」と言われるスタイルの選手と取っている
ので、自分の文法が異なることに特に違和感を持つことなく自分のスタイルで取っているにすぎない。
「取り慣れている」という言葉が適切かもしれない。
一方、「とまどう」側は、スタイルの違う相手と「取り慣れていない」のである。おそらく、いつもは
攻めれば取れるようなケースが取れないので、「自分の攻めが遅いのか、相手の守りが速いのか」という
疑問を持つのだろう。最初に出た敵陣の札を相手が無茶苦茶早く守り取ったときなど、相手の強さを過大評価
してしまうのはよくあるパターンである。試合が進行し、別れ札などを相手が攻めてこないケースが数枚続くと、
やっとそこで、相手のスタイルが「守りカルタ」なのかもしれないと、その「とまどい」の正体に気付くのである。
気付いた時の反応は、おそらく三つくらいに集約されるだろう。
(1) 自分のいつもの「攻めカルタ」のスタイルを崩さない。
(2) 相手の「守りカルタ」のスタイルにあわせる。
(3) 相手が「守りカルタ」を理解しながら、「攻め」と「守り」の緩急をつける。
(1)は、相手との力量に差がないと敵陣が抜けない。中途半端な「攻め」だと取れずに、急ぎすぎて「お手つき」
で自滅するパターンとなる。この自分の「お手つき」で、自分に対しての「とまどい」が出てしまうのである。しかし、
力量差があるのであれば、自分の文法で進められるので、自分にとって一番いい対処策である。
(2)は、相手の文法で戦うということである。自陣を取るという住み分けをするので、慣れない守りで「お手つき」
さえしなければ、終盤まで競った形でいけるはずである。競ったときに普段の「攻めカルタ」の良さが発揮できれば
勝利に近づくことができる。自陣の「お手つき」が、自分に対しての普段と違う「お手つき」なので、自分への
「とまどい」の原因となるので、要注意である。競った終盤に、ある程度自信がある選手には、お勧めの対処策で
ある。
(3)は、はっきり言って難しい。相手の守りの「得手」・「不得手」を序盤で見極める必要があるからだ。
相手の守りの早い・遅いは、「音」によるものなのか、「決まり字の長さ」によるものなのか、「札の場所」に
よるものなのかを分析し、相手の遅いところは「攻めカルタ」の文法で、相手の早いところは「守りカルタ」の
文法でと、文法を適宜使い分けるのである。相手を見極める目と異なる文法の使いこなしができないと失敗して
しまうが、この二つができるのであれば、もっとも実力の差が正確にあらわれる結果となる対処策である。
文法のたとえで、対策を単純化しよう。
(1) 自分の文法で取る。
(2) 終盤まで相手の文法で取る。
(3) 自分の文法と相手の文法を使い分ける。
文法の違いによって生じる「とまどい」の正体は説明した。この正体を知っただけで、「とまどい」は越えられる。
こうした、文法の相違の対応策で、大事なのは、自分を見失わないことである。特に「お手つき」で、混乱しない
ことが大切である。文法が違うことを感じたら、相手を冷静に見て、文法の使い方を(1)(2)(3)から選ぶ
ことである。正体を知っただけでなく、対策まで知ったのだから、もう「とまどわない」はずである。
この「もうとまどわない」「もう大丈夫」という気持ちを持つことが、実は対処方法でもっとも大事なことで
ある。ぜひ、実戦で経験を積んでもらいたい。
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