"競技かるた"に関する私的「かるた」論

番外編

柔らかいかるた

〜柔よく剛を制す?〜

Hitoshi Takano Sep/2016


 東京の夏、八月のイベントの掉尾を飾るのが高円寺の「阿波踊り」である。私は23歳まで東京都杉並区の阿佐ヶ谷と 高円寺の界隈で過ごしていたので、八月のイベントといえば、上旬の阿佐ヶ谷の「七夕祭」と下旬の高円寺の「阿波踊り」 であった。
 みなさんもご存知のことと思うが、阿波踊りには「男踊り」と「女踊り」ある。男踊りを女性が踊ることもあるので、 もともとはどうあれ踊りの種類くらいに考えていたほうがよいだろう。
 男踊りという語感からは勇ましい感じを受け、女踊りという語感からはたおやかな感じを受けるかもしれないが、 踊りを見ると群舞である女踊りのほうが勢いのある勇壮な感じがし、男踊りのほうがコケティッシュで丸く柔らかな 印象を受けるから、ネーミングのイメージとは違うので不思議なものである。

 さて、なぜ、阿波踊りの「男踊り」と「女踊り」の話をまくらにふったかというと、先日、ある選手と12年ぶりに 対戦し、久々に女性らしい「やわらかい」かるたと対戦したなあと感じたからである。昔はこういうかるたを取る 女性の選手が多かったのに、そういえば最近はみなくなったなあと思ったのである。
 かるた界の中では、あまり言わないがおそらく「男がるた」なるものと「女がるた」なるものが、なんとなくある のではないかと思うのである。もちろん、阿波踊りと一緒で、ネーミングと性差は本当は関係のないものなのかも しれない。そして、このような分類が乱暴であることは承知しているが、あまりに久しぶりに「柔らかな」と形容 したいかるたとの手合わせだったので、本稿を書く気になったのである。

 これもざっくりな表現だが、平成以降の攻めがるた全盛期に入ると、いわゆる力強さと勢いを重視するいわゆる 「剛」を感じるかるたが増えてきたように思う。以前は。「剛」のイメージは男性のかるたであったり、福井の 攻めがるた(女性選手を含む)に感じるものであったが、このころから、女性のかるたも以前より力強さと勢いを 増してきたのだ。力強さと勢いが増すと、勢いを殺すために叩く畳の音も大きくなる。こうした畳を叩く音が大きい というのも「剛」のイメージを増す要因となる。

 体ごと思い切り取りにくるスタイルや、直線的な手の出し方も「剛」を感じるのだ。そして「剛」は男性的なイメージを 持つ。(もはやそうではないのかも知れないが。)
 一方、以前から「柔」というイメージのかるたは、曲線的なイメージを伴う。「剛」の直線的な手の出し方は、相手の 右下段をまっすぐに突いたら、勢いを殺すために相手の下段よりも深いところでまっすぐの延長線上で畳を叩く。 私には無理だが、私より背の高い女性の選手はなんなくこれをする。体格という要因もひとつにはあるかもしれない。 「柔」のイメージは、まっすぐ相手陣の出札に行ったとしても、そこで腕の振りは札に触れた直後に自陣の外側の 畳を軽く叩くように(叩くというよりは手を戻すというか置くといったイメージかもしれない)戻す。直線からの 曲線への変換ができているのである。
 「剛」が力強さと勢いと「直線」であるとすれば、「柔」は鋭さと速さと「曲線」ではないだろうか。
 「感じ(ひびき)」のはやさも、はやければ「柔」であり、遅ければ「剛」なのではないだろうか。これも根拠のない イメージだが、一般的に言って女性のほうが男性よりも「感じ(ひびき)」は早いのではないだろうか。相手の女性が ヒュンと出札から払ったあとを、遅く手を出して残った札をバサッと払い散らしていく男性選手のイメージがあるのだ。 私の場合、相手(女性)が指先で札を押さえているところに遅く感じて、払いに行って手をぶつけてしまうことがある。 悪気はまったくないのだが、突き指などの怪我をさせてしまうのではないかとの不安とはいつも向きあっている。 また、女性のほうが男性よりも身体が柔らかいというのもあるだろう。背が低くても深く沈んで敵陣の下段に手を 届かせる技術などは、身体の柔らかさなくしてできない芸である。

 さて、この「柔らかさ」であるが、静岡県の高校に以前は多くいるタイプであったように思う。着替えずにスカートで そのまま取るタイプの選手に多かったように思う。重心をしっかりと決め、敵陣から自陣まで払いの距離感をしっかり 掴んでいるイメージである。
 こういうスタイルも一つの高校で先輩から後輩へ連綿と受け継がれていっているように思う。
 そう、今回12年ぶりの対戦相手も、静岡県の高校出身者で高校時代のかるた経験者だったのだ。高校時代のスタイルは しらないが、やはり「柔らかな」かるたの継承者の一人なのであろう。
 もちろん、私の大学の先輩にも後輩にも、柔らかなかるたを取る選手はいた。ところが、会員が減った時期を経て、 上段中央に札を置く選手がいなくなりはじめたころと時を同じくして、うちの会では大学から始めた選手に柔らかな かるたをあまり見かけなくなったように思う。
 「攻め」の強調の促進と取りの「剛」化が始まったのだろう。

 私のかるたは、決して「柔」ではない。かといって「剛」でもない。身体がかたいので、「かたい」かるたなのかも しれない。ただ、発想は「柔」でありたいと心がけている。

 「剛」全盛の時代に流れているようではあるが、「柔らかい」かるたの選手に活躍してもらって、「柔よく剛を制す」の 風をかるた界に吹かせてもらいたいと願うのは私だけだろうか。


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