"競技かるた"に関する私的「かるた」論

番外編

苦手意識の罠(1)

〜分類と分析〜

Hitoshi Takano Jan/2017


 「苦手」というと「人」につくことが多いように思う。「人」とは個々の選手のことである。
 すなわち、「私はAさんが苦手なんです。」とか「僕はBさんを苦手としています」などである。
 だいたい新入会して、一緒に競技かるたを始めた初心者同志が、しばらく練習してくると、同じ立場の者同士でこう言い出すケースが多い。 高校からの経験者に対して、こういうことはまずない。それは、力の差を認めているからである。だいたい自分と同じくらいの力量と思っている 相手に負けてくるとこういう意識が出てくるのではないだろうか?
 しかし、相手が大会で実績を残して上の級に上がっていき、自分が大会で実績を残さずに下の級にとどまったままでいると、 苦手とは言わなくなるものだ。ただ、逆のケースの場合、大会で勝ち、上の級に行ったものが、同期とはいえ下の級にとどまっている 相手になかなか勝てないというようなケースの場合は、「苦手」ということがいえるだろう。

 また、かるたを始めて強くなっていく過程において、「サウスポーが苦手です。」とか、「上段中央に札をたくさん置く相手が苦手です。」 とか「感じのはやい相手が苦手です。」というケースもよく見かける。これは人というよりもかるたのスタイルに対するものである。
 私の経験でいうと、「自分の試合を人に見られている状況が苦手です。」という人もいた。さらには、「試合が苦手です。」というケースもあった。 試合が苦手ということは単に弱いだけなのではないかと思うが、練習では上の級の選手にも勝つし、同級以下には負けないとなると、 確かに「苦手」というものがあるのかもしれない。きっと、意識過剰の部分が負の要素として作用するところがあるのだろう。意識過剰といえば、「女子高生が苦手」とか「男子高校生が苦手」とか、「年配の男性が苦手」とか「年配の女性が苦手」というようなものもある。おそらく、所属する集団や、カテゴリーを自分の中で区分し、選手個々の特性を見ずに一括りにして認識しているのである。たまたま、数回同じような敗戦経験をした中での共通項がこのような年齢や性別の同一集団に属する選手であったというだけで、自分で勝手に「苦手」のイメージをつくっているのである。
 まあ、「苦手」という表現にもいろいろな側面があるのである。

 「苦手、苦手」とたやすく言う前に、まず考えてみてほしいことがある。それは、対象としている相手や対象としている事象を使う相手、 対象としている状況における相手と自分との実力差の正確な把握である。正確と言うと自信がないというのであれば、客観的な把握である。 身近にいる相手ならば、過去の対戦成績や最近の対戦成績、共通の相手に対する戦績などである。
 何が言いたいのかというと、「苦手」と言っておきながら、相手が強く、自分が弱いという事実があるのであれば、それを「苦手」という 言葉で表現するのはおかしいということである。

 実力差と苦手意識を混同してはいけない。たとえば、サウスポーが苦手と言っているB級選手がいたとして、同級と五分の成績で、下のクラスに それなりに勝ち越しているならば、それは苦手とはいわないだろう。A級選手相手に勝率が低かったり、勝てなかったとしても、それは「苦手」なのでは なく、実力差なのである。
 まずは、しっかり、実力差なのか、本当に苦手なのかを見極めてほしい。

 では、真に苦手なのだとして、何が苦手意識を産むのかを考えてみたい。

 簡単なところでは、「人に見られている状況」とか「試合」ということだろう。これは、だいたいが「メンタル面」の問題である。また、状況に慣れていない「不慣れ」という問題である。おそらく、最初のころは「不慣れ」ということでの影響が、何度かつづくと「慣れ」てもいいにも関わらず常態化してしまうというケースもあるだろう。まずは、「慣れる」こと、次に練習の時と同様に試合へ「集中する」こと、それでもダメな場合は最後の手段としての「メンタルトレーニング」の実践ということになるだろう。

 次に「感じのはやい人が苦手」というケースを考えよう。おそらく、一番多いのは、自分の「感じ」を消されてしまうことだと思う。自分が音に感じて札に向かう時間までの間に、相手が先に感じて札に対する動きが出てしまうと、自分自身の感じがそのことによって、そちらへ注意が行ってしまって、唖然として相手の動きをみているだけになってしまったり、頭が真っ白になってしまうことである。そして次に多いケースは、相手の感じと自分の感じの微妙なタイミングのズレにより、相手の感じや手の動きにつられてしまうということもある。相手の感じのはやさが、自分に対してのフェイントになってしまうケースだろう。
 前者の場合は手が出ない状況で、後者の場合は「お手つき」を誘われるということになるだろう。後者の場合には、本来別れ札などで攻めようと思っていても、相手の手につられて、敵陣を攻めるはずが自陣に先に手を出してしまい、そこから攻め直して、相手に楽々戻られてしまうということもあるだろう。
 このケースの対策は、近いうちに稿をあらためて別の機会に書くとして、今回は分析にとどめておこう。また、残り二つの事例についても今回は分析にとどめ、対策は別の機会としよう。

 「サウスポーが苦手」の事例についても、慣れの問題がある。右利きとの練習に比較し、左利きとの練習が少ないために、「不慣れ」から苦手と錯覚しているケースがある。では、不慣れが解消され、錯覚でなくなったとしたら、何が苦手の原因なのだろうか。
 一つには、手の出方である。自陣の右下段を攻められる際の手の侵入の軌道が右利きに攻められる場合と異なるのである。右利きでも突くように入ってくる選手も最近では増えてきてはいるが、やはり、右利きの選手は払いの軌道でくることが多いだろう。払いの軌道でくれば、その侵入角度はこちらの手の出し方でブロックもできれば、距離の近さの利で追い抜くこともできる。しかし、左利きの侵入角(侵入軌道)を同じような感覚の取りではブロックもできず、追い抜きもできないので面食らうのである。左利きの選手のこちらの右下段への取りは、札に対して突くように手を出してくる。ここに違和感を感じるのである。
 また、左利きは自陣の左側に札が多く、右側が少ない傾向がある。そして、右利きの右下段を攻めるという攻めかるたを実践している選手は、左利きが相手だと相手の左下段を攻めるという攻めかるたを何故か自然としてしまうのである。そうすると、右利き相手の場合、相手の右への攻めを拠点としてそこからの身体の重心の変更による方向転換を行なっている時と、身体の動きが異なってしまう。たとえば、右利きの相手の場合で、右下段と左下段に友札を分けて置いているケースにおいて、まず右下段を攻めてそのあと左下段の攻めに移るが、左利き相手だと、まず左下段を先に攻めて次に右下段の攻めに移ってしまいがちである。そうすると身体の動きが普段と違うこともあり、どうしても遅くなる。その時に左利きである相手は実にうまく右下段に手を出してブロックする。左利き相手と対戦するとこの右側の攻めの時、手がぶつかることが多いのも左利き相手と対戦する時にありがちな特徴である。手が接触することが嫌な選手も多く、これがなんとなく「苦手」な意識につながるのである。さらにいえば、大山札の囲い手の時、右利き相手との違いを感じることになる。左利き用の大山札の置き方をせずに普段どおりのほうがよいという選択をすれば、囲われやすくなったり、囲い手破りをしかけられやすくなる。
 これらの点が、左利きが取りにくいと感じさせられてしまう原因であるだろう。

 上段の中央に置く相手が苦手というケースの場合は、パターンが二つある。一つは自分が上段中央に定位置として置く場合で、もう一つは自分は上段中央に置かない場合である。
 前者の場合は「苦手」と感じるのは、少々問題ありと言わざるをえない。それなりに、上段中央を利用する戦略・狙いは自分自身がわかってやっているはずであるし、上段の札を取る技術もそれなりに磨いているはずである。さらに自分が相手からどういう対応策を取られているかということも理解しているわけだから、自分自身も相手にやられた場合の対策はできていなければならないのである。「苦手」を克服するための手段はすべて揃っているはずなのだ。それを「苦手」と考えるのであれば、自分が上段中央に置くこと自体を見直す必要があるのではないかと思うのである。
 ただ言えることは、最近は上段中央に置く対戦相手が以前と比べ激減しているので、自分が上段中央に置くとしても、同様の手法をとる相手がいないための「不慣れ」という理由はあげられるということだろう。相手が上段中央に札を置いてくれてラッキーと考えるくらいの意識改革があれば、苦手意識は消えるだろう。
 「不慣れ」という理由はサウスポーへの苦手意識の分析でも指摘したが、自分が上段中央に置かない選手で、上段中央を使う選手が「苦手」と感じるケースにあっても、共通の理由であると言えるだろう。
 普段、上段を置く選手と対戦していないがためにおかしがちなミスは、敵陣を攻めて自陣に戻る場合に「低く・はやく」を意識して、ひっかけてしまうこと、上段中央の札を取るタイミングが取れないこと、押え手にいって下から突き上げられてしまうことなどが多いのではないだろうか。上段の札が気になって敵陣下段への攻めが甘くなってしまうことや、なんとなく暗記が入りにくいなどのケースもあるだろう。

 さて、苦手意識の原因の分類と分析は、おおむねこのようなところでよいだろう。この稿のタイトルで「罠」とつけたのは、「苦手」を「苦手」として意識したまま「苦手なんだから仕方ない」と放置しておくと、そこで進歩がとまってしまうことを罠という言葉で表現したのである。
 自分が「苦手」と感じていた理由がわかっただけで、「なーんだ。そんなことだったのか。」と苦手意識がなくなってしまう人もいるだろうし、では、どうすればその部分に対応できるのかと考える人もいるだろう。苦手は克服して、苦手意識を払拭することで進歩するのである。
 次の機会には、苦手対策のための考え方や方法論を論じてみたいと思う。それまでの間、自分なりに考えてみてほしい。自分で考え、実践するのが一番の上達方法であるのだから。

 あくまで私の示す対処法は「参考」にすぎないが、また次の機会に投稿するので読んでいただきたい。
 では、また。

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