"競技かるた"に関する私的「かるた」論
番外編
練習貯金論
〜「貯金をつかいはたした」考〜
Hitoshi Takano Jul/2017
練習に本当に「たまぁ〜」に顔を出すOBの一人が言う定番の台詞がある。
「学生時代までの練習の貯金をつかいはたしてしまったからなぁ〜、、、」
「今じゃ、1年に2日間しか、かるた取らないものなぁ、、、」とボヤキがつづく。とは言うものの実際に取るとさすがに中高6年間プラス大学4年間の10年のキャリアはだてではなく、大学卒業後十数年はたつものの年数回の練習であったとしても、元A級の力を発揮するから、この口三味線に騙されてはいけない。まだ、貯金を使い果たしてはいないようだ。
というわけで、今回は、この練習量がめっきり減ってしまったOB/OGが感じる、「若いときの貯金」の「食いつぶし」感覚を検証してみたいと思う。
相撲の世界では、「3年先の稽古」という言葉がある。これは、「今やっている稽古が役に立つのは3年先のことだから、すぐに効果が出なくても辛抱・我慢して稽古を続けていくんだぞ」というメッセージである。
ここにも、稽古(練習)は将来に向けての貯蓄性のあるものとしてのとらえ方が存在するといっては言いすぎだろうか。
さて、では何を指標として、貯金の度合いをはかるのがよいだろうか。数値化しやすいものは「量」である。本来は、「質」も考慮すべきだが、質の数値化は基準作りが難しい。そこで、練習量ではかることにする。
私が選んだ指標は、月ごとの練習数である。
各月、1日から末日までを一区分とする。ここで10試合を超えて練習した場合、1試合につき1ポイントの貯金とする。
したがって、1ヶ月間に11試合なら1ポイント、20試合なら10ポイントとなる。
では、貯金を食いつぶす数値の基準は何か。これは、1ヶ月5試合未満とし、1試合減るごとに1ポイントの借金とする。すなわち、4試合しか練習できなければ、借金1(マイナス1ポイント)となり、まったく練習できなければ1ヶ月最大で5ポイントのマイナスとなる。
ここで、それならば、1ヶ月の練習が5試合から10試合の間の場合のポイントはどうなるのかという疑問がでてくるだろう。この場合は、ポイントの増減はなく、プラスマイナスゼロ。すなわち、ゼロポイントとする。1ヶ月にそのくらいの練習は、「現状維持」の練習という判断である。
競技かるたの上達には、ある期間内に一定以上の練習が必要であるという持論から、このように判断した。
では、実際の数値は、どうなるのか。自分自身の記録しか手元にないので、自分自身の記録から、上記の指標で
貯金ポイントの変遷を探ってみた。期間は、1979年4月から2017年3月までの38年間、456ヶ月である。
ポイントがプラスになった月数: 123(2017年3月現在、456ヶ月中123ヶ月ということ)
ポイントがマイナスになった月数: 223
ポイントがゼロであった月数: 110
マイナス月が49%で、プラス月が27%、プラマイゼロの月が24%。マイナス月とそうではない月がほぼ拮抗している。
私は、大学に入ってからの競技経験者で、学生時代4年間がもっとも集中して練習した期間といってよい。大学卒業までの4年間、48ヶ月での貯金ポイントは、721ポイントだった。すべてプラスだったかというと、そうではなかった。大学1年の9月のみ、マイナス1ポイントであった。本来ならば、伸び盛りのこの時期に借金をつくってしまったのは、同期から差をつけられる一つの要因になったように思う。ちなみに最大の貯金をしたのは、大学3年のときで1981年8月の43ポイントであった。そして、翌月にB級優勝し、A級に昇級する。たまたまだったかもしれないが、貯金が結果に結びついたといってもよいだろう。
その後、仕事しながらも20代では、練習を重ね、貯金ポイントの最大値は20代最後の年である1989年1月の1061ポイントであった。このあとは、ほぼ貯金は減る一方で、ゆるやかな下降線をたどる。最低値は2012年12月と2013年1月の394ポイントであり、現在では多少持ち直して407ポイントである。
指標としての「質」を問うべきなのは認識しつつ、「量」のみで見たとしても、上記の指標は自身の体験的な感覚でいえば、わりとうなずける数値である。
1990年と1991年の丸二年とその前後、3年近く練習することのできなかった期間があるが、復帰したときに思ったのは「三年先の稽古」という言葉であった。復帰のときは865ポイントで、1000を超えていた貯金ポイントは目減りしていたが、身体が「競技かるた」を覚えていた。もし、これ以上ブランクがあいていたら、復帰後の回復もきびしかったかもしれない。
その後の練習のテーマも、これ以上は力を落とさないということが大きなテーマになった。そのあたりの練習量ラインが、まさに、ポイントプラマイゼロの範囲であるように思う。それでも、年齢を重ねることでの体力的衰えがでてくる。そうなると、衰えの速度をできるかぎり遅くするというテーマに変化してくる。それを考える練習量のラインとしてもこのプラマイゼロの練習量の範囲が、一つの目安になっている。
この仮説であるが、記録をこまめにとっている選手は、ためしてみてはいかがだろうか。
本当に自分は若い時代の貯金をつかいきってしまったのかどうかが、数値という根拠を持ってわかるのではないかと思う。
私も、まだまだ貯金を使いきらないように、ふやせないまでも減らさないように練習量を確保していきたいと願っている。
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