"競技かるた"に関する私的「かるた」論

番外編

苦手意識の罠(5)

〜番外編〜

Hitoshi Takano Aug/2017


番外編を書くことになった発端

 「苦手意識の罠」も4回で終了と思っていたのだが、しばらく前に練習の際、「私、一字決まりが苦手なんです。どうすればいいですか?」という質問を受けた。どうやら、これは「む」「す」「め」「ふ」「さ」「ほ」「せ」が苦手らしい。
 それを聞いて「大山札が苦手なので、どうすればいいですか?」という質問してきた後輩がいたことを思い出した。話を聞くと、大山札が苦手というよりは「囲い手が苦手」だったのではあるが、、、
 というわけで、今回はこの二つのテーマを番外編として取り上げてみようと思う。

一字決まり(むすめふさほせ)編

 実は以前、「むすめふさほせ論」という文章をこの「私的かるた論」の本編の「音別の話」で書いたことがあるので、あわせて読んでいただければ幸いである。
 さて、ここで「一字決まりが苦手なんです」という声は、「うつしもゆ」の同音2枚が自陣に来て一字決まりになっているケースや、決まり字が変化して「一字決まり」になったケースを言っているのではない。「むすめふさほせ」が苦手だというケースである。したがって、「むすめふさほせ」が苦手ということに限って記述することにする。

 そもそも質問の主はD級の選手である。この選手はすでに初心者とはいえないが、初心者には「むすめふさほせ」は得意だが、他の札はうまく取れないという選手がいる。指導者が、最初に「むすめふさほせ」は一字で取れるからこの札から覚えていこうと教えるケースが多いことによるのだと思う。ある意味、「むすめふさほせ」は競技者全員の得意札と言ってもいいくらいだろう。
 にもかかわらず、「苦手」と感じるのは何故だろうか?
 いくつかのケースに分類される。

     (1)「感じ」が遅いので、相手に取り負けてしまう。
     (2)「感じ」が早く、子音で反応してお手つきが多い。
     (3)暗記がはいらない。
     (4)ガチガチに狙っているのに読まれても取れない。


 だいたい、こんなところだろう。
 (1)の対策は、苦手意識の罠(3)を参考にしてほしいが、一字決まりは「感じのはやさ」の差がでやすいことを書いているので、根本的な解決とは言いがたい。結論としては、「むすめふさほせ」は取られてもいいので、他の札を取ればいいということである。あまり意識しすぎないことである。場にある可能性は確率論的に言えば、3.5枚である。平均すれば、3枚か4枚である。これを相手に取られたとしても、そうでない札をその分取ればよいのである。相手も、完璧に一字で取れるとは限らない。そういうときは、一字決まりでも二字で取れれば「ラッキー」くらいの気持ちでいればよいのである。
 (2)の対策については、「タメ」の技術を参考にしてほしい。子音で間違えるくらいならば、ちゃんと一音を聞いて取ればいいのである。それには「タメ」の技術が役立つ。子音も札の出で変化する。「S」音決まりや「M」音決まりになれば、自分の「感じ」の良さを発揮すればよいのである。こういう悩みを持つ人は、たいていの場合は相手よりも「感じ」がはやい。けっしてあわてることはないのである。万一、相手が自分よりも「感じ」がはやければ、そのときは(1)の考え方をすればよい。とにかく「お手つき」するよりは「取られる」ほうがましなのだということを肝に銘じていただきたい。
 (3)の対策であるが、これは(1)や(2)のケースと合併するすることもあるということをまずは説明しておきたい。「暗記がはいらない」というのには、実際に該当札が場にあるかどうかすら暗記が入らないというケースもあるし、場にあることはわかるが、相手陣にあるのか自陣にあるのか、右側にあるのか左側にあるのかわからないというようなケースもある。この原因のひとつは、札を一枚ずつ「む」、「す」、「め」………「せ」と認識するのではなく、「むすめふさほせ」という一字決まりの集団でとらえてしまっていることにあると考えられる。これがコンフューズのもとである。たとえば、相手陣の右下段に「む」「す」があり、左下段に「ほ」があり、自陣右下段に「め」と「さ」があるときに、この3箇所にそれぞれの音の札があると認識せず「むすめふさほせ」という一字決まり集団に属する札が4枚3箇所にわかれてあるというような覚え方を無意識にしてしまっているのである。こんなあいまいな暗記では、 こわくて一字で取りにいけない。札を視認して確認しないとお手つきしてしまう。「むすめふさほせ」という言葉の呪縛から自分自身を解き放ち、一枚ずつ、「札」と「音」に向き合って暗記をいれなければならないのである。
 また、一例をあげると「む」「す」「め」が自陣の右下段にあったとする。この時「むすめ」と自陣を覚えたとする。このように「娘」と意味のある言葉に頭の中で変換してしまうと、「む」はともかく「す」と「め」の反応が鈍くなる。こういうときも、意味のある言葉の列に置き換えるのではなく「む」と「す」と「め」というように一枚ずつ「音」に注目して暗記を入れるべきなのである。
 (4)の原因は、その「ガチガチに狙っている」という行為というか気持ち自体にある。いわゆる「力み(リキミ)」によって、余分な力がはいってしまったりして、スピードのある払い(取り)ができなくなっているのである。対策はといえば、この「ガチガチ」という意識を捨てるということである。無駄な力は抜いて、リラックスさせた状態で、暗記をしっかり入れる、音に集中するということを心がければ、スピードが乗ったいい払い(取り)ができる。「狙う」という言葉も、どちらかというと「力み」を生んでしまいそうな言葉なので、「札をこまめにケアする」とか、「札をこまめにチェックする」とかいう言葉に置き換えるといいのではないかと思う。どういう言葉で認識するかには、個人差もあるが身体動作に影響を及ぼすこともある大事な要素なのである。

 一字決まりは、みんながはやく取る札であるから、自分がはやく取れないとなんとなく「苦手」なのかなと思い込んでしまうが、決してそんなことはない。自分の「感じ」のはやさ、自分の「払い」のはやさで、自分のペースで「むすめふさほせ」の一枚ずつの「札」と「音」に向き合えば、それでいいと心得てほしい。そのような気持ちで「むすめふさほせ」の札に接していれば、きっと札を取れている自分に気づく日がくるだろう。その日がくれば、苦手意識は払拭されたといってよいのである。

六字決まり(大山札)編

 「大山札」すなわち「六字決まり」が苦手という話を時々聞く。実は、こういう人は「五字決まり」も苦手なはずだ。要するに、苦手の原因は「囲い手」がうまくできないということなのである。
 「四字決まり」は微妙なラインで、囲う人と囲わない人がいるが、四字を囲う人は結構な少数派だろう。シチュエーションにもよるが、三字決まりは基本的には囲わないのではないだろうか。
 囲い手が苦手だという人のパターンはだいたい次のようなものではないだろうか?

     (1)相手に先に囲われてしまう。
     (2)囲ったときに、六字目(決まり字)がなんだったかわからなくなってしまう。
     (3)六字目での取りのアクションが下手(もしくは遅い)。
     (4)囲い手が下手なので、相手に突きこまれる隙間が大きい。


 だいたい、こんなところだろう。
 (1)の対策は、努力して相手よりはやく囲える技術を身に付けるという王道もあるが、私は、「囲えなかったら仕方ないから、決まり字で指先を突き込めばいいじゃない。」と言いたい。ただし、お手つきは厳禁である。相手の囲いが完璧で、「突き込む」隙間がなければ、「突き込む」という「そぶり」だけでもいいのである。それで相手があわてて触ってくれることがあれば、相手のお手つきの可能性が高くなるからである。
 (2)の対策としては、暗記をしっかりいれることである。あまりにもしっかり囲いすぎて、ちょっと隙間をあけてチラ見をしようものなら、相手に突き込まれるスキをつくるようなもので、せっかく完璧に囲った意味がない。暗記があいまいでお手つきするのはもってのほかである。暗記不明瞭でいちいちチラ見をするくらいなら、最初から自分からは見て判別できるような隙間のある囲いにすべきである。そのかわり、そこの隙間から相手に突き込まれるリスクは背負わなければならない。もちろん、囲わないで決まり字を聞いて取るという方法もあるが、これは相手に囲われる可能性が大きいということである。
 (3)の対策であるが、囲いはうまいが六字目(決まり字)を聞いたときのアクションが下手なのだから練習で技術を磨くというのが王道である。指先ではじいたり、手のひらをすばやく着地させるなどの技術は、練習で上達する。実は(2)の軽度の症状が(3)の原因となっていることもあるので自己分析が必要であろう。
 (4)の対策もまた、下手なら練習で技術を磨きなさいということになる。ただ、やはり(2)を防ぐために自然とこういう囲いになってしまった人もいるので、それはそれで、お手つきリスクと相手に取られるというリスクを天秤にかけて、自分の方針を決めればよいのである。
 六字決まりと五字決まりはあわせても8枚である。そのうち、固有の決まり字数で取る可能性はそれぞれの音につき最初の1枚なので4枚である。しかも、同音が同陣の場合は囲いの対象にもならない。そう考えると、先に述べた「むすめふさほせ」よりも、大山札(六字決まり)+五字決まり札をその決まり字数で囲い手の対象として取る確率は低いのである。それならば、囲い手対象の札を取られても、他の札を取ればそれでよいのである。このくらいの楽な気持ちで大山札に対峙すればよい。
 一枚を疎かにしたくないというのであれば、囲い手の技術を磨くことを否定はしない。しかし、囲わなくても取れる可能性があることと大山札でお手つきをしてはならないということを理解していれば、囲い手がそれほど上手くなくても問題ないと考える。
 自分の技術を正確に把握し、それを活かした取りをすればいいと考えることで、大山札への苦手意識は払拭されるはずである。

苦手意識の効用

 本編である「苦手意識の罠(4)」の総括では、「自信」というポジティブ思考で「苦手意識」というネガティブ思考を駆逐し、克服しようということを書いた。
 この番外編では違う視点で「苦手意識の効用」を考えてみよう。
 実は自分自身の「苦手」な部分を誤解ではなく正確に理解することは、自分自身の強み・弱みをきちんと把握することにつながる。これは、長所を伸ばし、短所を減らすという実力向上のステップとして大きなことである。本当は「苦手」でもなんでもないものを過大に苦手と勘違いするのはよいことではないが、「苦手」が本当に自分自身の不得意な部分であれば、それを素直に認め、正確に状況を理解し、対策をとるのは競技者として当然のことである。
 「苦手意識」をこのように自己の競技力向上のための最初の気づきとしてもらえれば、それは「苦手意識の効用」ということができるだろう。
 「罠」にはまることなく「効用」としていただければ、本稿もみなさんのお役にたてたと言えるであろう。

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