"競技かるた"に関する私的「かるた」論

番外編

「かるた早取秘伝」

〜黒岩涙香かく語りき〜

Hitoshi Takano May/2020

 明治に東京かるた会を設立した黒岩涙香(本名:黒岩周六)が、自身が創刊した新聞である「萬朝報」において発表した「小倉百人一首かるた早取秘伝」(口述)という記事がある。 明治38年(1905年)1月1日の同紙に掲載されている。「黒岩涙香講話、落合浪雄筆記」ということで、「百人一首のかるたは面白い遊びであります。」と始まっている。 非常に端的に「かるた」を表しているともいえるだろう。

黒岩涙香氏写真

 そして「日本全国津々浦々まで行き渡り、ことに新年の遊びにはこの上もない嗜みです。」と続く。新年の遊びとしての「かるた」は、すでに全国に広まっていたことがわかる。
 これに続くのが「来る新年は軍国の新年ですから、かかる敵味方に分かれて争う遊びは最も適当でありましょう。」である。 日露戦争(明治37年〜同38年)の只中という時代背景を感じる。
 そして「また費用とてもかかりません。」と紹介されるのである。深読みをすれば、戦争遂行における戦費が国民生活に及ぼす影響を考えての記述とも思えるが、 単純に考えれば、読者である庶民に対して金銭的ハードルを下げる意味での記述であったのかもしれない。

 この記事の構成は以下のような小見出しで続く。
 ・この頃の歌留多の流行
 ・取り方の巧拙
 ・どうしてこう早く取れるか
 ・素人と玄人の差
 ・取り方の研究
 続いて、「章立て」となる。
< 第一章 「キマリ字」の事 上の句と下の句 >
 ・「キマリ字」とは何
 ・もっとも早い「キマリ字」
 ・一字札二字等の事
 ・一字札は幾枚あるや
 ・どうして取ります
 ・もっとも激しい戦い
 ・二字札の事
 ・素人衆の取り方
 ・玄人衆の取り方
 ・キマリ字よりも早く取る秘伝
 ・準一字札の事
 ・キマリ字の注意
 ・実際にそのような注意が出来るか
 ・難いけれど難くない
 ・この注意に至る階梯
 ・百人一首よみ声表
< 第二章 並べ方 >
 ・並べ方の色々
 ・四段並、三段並、二段並の事
 ・並べる基礎
 ・上の句か下の句か
 ・様々の分類
 ・最も近い並べ方
 ・これを二段に並べるには
 ・三段に並べるには
 ・並べる稽古
 ・銘々の工夫
 ・これに優る並べ方がないか
 ・この並べ方の欠点
 ・他の並べ方
 ・「キマリ字」にて並べること
 ・歌の初の語にて並べる法
 ・先ず天地人に大別
 ・この案の変体
 ・最後にもうひとつの分け方
 ・第二字の音にて分ける方
 ・この方法はどう並べるか
 ・並べ方の利益
 ・部類と部類の順序
 ・必ずしも秘密に及ばず
 ・熟達した後
< 第三章 歌の暗誦 >
 ・暗誦の心得
 ・暗誦の仕方
 ・声で覚えると心で覚えるとの別
< 第四章 実戦の上の心得 >
 ・第一 自ら並べる時
 ・第二 人の札を見る時
 ・第三 「お待ちください」
 ・第四 なるたけ早く
 ・第五 お手附のこと
  1 お手附はどうするか
  2 お手附の罰
  3 その他の送り札
  4 これで見るとお手附の恐ろしさが分かりましょう
 ・第六 取り方
 ・第七 掛け声
 ・第八 指先で取るべし
 ・第九 片付け
 ・第十 札を送る事
 ・第十一 札を送られた時
 ・第十二 読み方
  1 歌と歌の間隔
  2 混雑を避ける事
  3 読み出しの場合
  4 空読みの事
 ・第十三 札の数
 ・第十四 双方同時に取った場合
< 第五章 早取りの結論 >
 ・第一は心の移りです
 ・第二は目の移り方です
 ・第三は手の移り方です
 ・実際の決断
 ・遅速の見分け
 ・狙い方の事
 ・広く狙う事
 ・鋭く狙う事
 ・眼の配り方
 ・狙い易き地位(1)
 ・狙い易い位置(2)
 ・狙われる地位
 ・目と耳とを別々に使うこと
 ・耳で見詰める工夫
 ・練習の方法
 ・歌留多遊びの性質

 この記事については、末永賢氏が入手されたものを読ませていただいた。
 「あれっ?」と思われるところもあるが、一応原文のママの表記となっている。 なお、旧字の環境依存文字などは現在一般に使用されている文字に修正したものもある。

 現在競技かるたをされている方は、小見出しを見ただけで、だいたい内容の見当がつかれるのではないかと思う。 そんな中で、第四章の第八「指先で取るべし」は、あえて内容を書いておきたい。次のとおりである。
 「札を取るという事は、その札に手が触れたという事です。ですから何も取りて掴むには及ばぬ。 指の先で叩きさえすれば好い。叩くだけで不充分だと思えば押し付けても宜しい。はね飛ばしても宜しい。」
「指先での取り」・「払い手(跳ね手)」といった現在に通じる取りについても言及されていることをお伝えしたかったゆえの引用である。

 最後は、こう結んでいる。
 「まずこれくらいに致しておきましょうが、何事も経験を積まねば上達しません。 この遊戯なども経験を積むと追々に種々の秘伝を覚え、私が以上に説いたことなどは、お茶の粉になってしまいます。 のちにはすべての心得や、並べ方や、取り方など規則以外に発達します。 今の名人はみなそれぞれであります。決して規則や秘伝にのみ拘泥している人に上手はありません。 かく申す私などもやっぱり拘泥家です。何をさせても口ほどに行いが行かぬのです。 もし初心の方々が私の言うところにより多少の心得を得ば、私は満足いたします。」

 囲碁界・将棋界には、「名人に定石(定跡)なし」という言葉があるが、明治38年、黒岩涙香は、すでに競技かるたの世界において、同じ趣旨の言葉を残していたわけである。



本文中の競技かるたに関する用語・用字において、一般社団法人全日本かるた協会で通常使用する表記と異なる表記がありますが、ご了承ください。


Auther

高野 仁


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