"競技かるた"に関する私的「かるた」論

番外編

最新かるた競技秘訣

〜明治44年の最新〜

Hitoshi Takano Jun/2020

 前回は、明治38年の黒岩涙香の早取り秘伝を取り上げたが、今回は明治末期から大正初期にかけての名選手と名高い團野朗月氏の「最新かるた競技秘訣」を紹介したい。
 ちなみに表紙は、後程紹介するが「かるた」となっているが、表紙をめくるとそこには「最新歌留多競技秘訣」と漢字表記になっている。まずは、冒頭の「自序」を引用してみた。 明治も終わりに近い1911年(明治44年)の11月28日の発行の本である。発行は東京市銀座大通新橋際の「新橋堂書店」である。当時の価格で38銭であった。 表現に時代を感じていただこう。

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【 自 序 】
 遊戯は人類共同生活に欠くべからざる要素なり、故に英国にクリケット、ボートエースあり米国にベースボールあり 皆以て国技と称す我邦古来武を以て立国の基礎とす 国技として剣道あり柔道あり 之に依り一国の元気を鼓舞し体育を奨め健全の頭脳を養成し以て優勝劣敗の圏内に峙立し覇を東洋に称する所以のもの蓋し遊戯の力與って尠しとせず、 歌留多も亦国技の一にして古来盛に行はれしと雖多くは婦女子の技とし血気旺盛の青年は之に携はるを潔とせざるの感なしとせず何ぞ誤れるの甚しきや、 由来歌留多は剣道等の国技に比し競技の形式に於て優柔の観ありと雖思想を高尚にし礼儀を教へ粗野の風習をして閑雅ならしむ 彼は剣を按じて豪気自から悦ぶ勇士の如く是は静かに術数を機微の間に廻らす軍師の如し 而して歌留多の競技に當りては自己にありては心理の戦を圧し対手の神経作用は之を掌上に弄せんとす すなわち胆略ある者にあらずんば良果を収めがたく真に其趣味を掬せんとするの士は不知不識豪邁なる精神を涵養せずんばあらず 歌留多の遊戯界に於ける地位豈亦軽からんや、 維新以来欧州文物の輸入と共に幾多の遊戯渡来し一時歌留多の跡を絶たんとしたり 然れども時世の要求は茲に再び隆盛を来し近時歌留多の名都鄙に喧伝せられ競技者益々研究に熱中し一段の進歩と興味とを加ふるに至る 此の時に方り著者多年の研究を実戦に応用し着々効を奏したる秘術を披瀝し同好の士に薦む 若し夫れ歌留多の地位本領を明にし諸士が研究の資料となるを得ば望外の幸なり。        明治四十四年初秋               團野朗月

(引用者注)原本は旧漢字が使用されているが、読者の便を考え、現代一般に使用されている漢字を使用する等原文と異なる表記としたのでご了解いただきたい。
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 この自序を読むと、競技者としての誇りや自負が強く感じられる。この本が研究の資料となれば幸いだということで結んでいるが、 本人の希望のとおり、大正・昭和・平成を経て令和の世でも、この本を参考に競技かるたについて考察し、研究する同好の士がいることは、 きっと本望となのであろうと考えている。競技かるたを研究していくことは、連綿と受け継がれていくのである。
 なお、この本については、大阪の長谷氏から紹介していただいたので、この場を借りて感謝を述べたい。
 では、前回にならって、本書の構成がわかるように「目次」を紹介しよう。(なお、旧漢字を改める記述方法は、上記の引用と以下にわたり同様である。)

<第一章 緒論>
 ・歌留多の略史
 ・競技方法
 ・百人一首
<第二章 歌の暗誦>
 ・暗誦方法
 ・キマリ字
 ・簡便なる歌の暗誦法
<第三章 札の配列>
 ・種々なる配列法
 ・初心者に最も宜き配列法
 ・競技における最も宜き配列法
<第四章 姿勢態度>
 ・対戦態度
 ・構へ手
<第五章 取り方>
 ・自己の持札の取り方
 ・対手の持札の取り方
 ・山札の取方
 ・札に指頭の触るゝ場所
<第六章 競技上の心得>
 ・東京かるた会競技規定
 ・札の配列と札の記憶
 ・眼の配り方
 ・取札の出たる場合
 ・手の速力
 ・送り札の場合
 ・取札の出でざる場合
 ・出札の記憶
 ・お手附及其の意義
 ・畳叩く事
 ・掛声及其の利害
<第七章 競技と精神作用>
 ・競技と心理的関係
 ・精神の集注
 ・自信力
 ・対手を恐れざる事
 ・苦手
 ・杞憂の念を抱く事
 ・元気
 ・怒らざる事
 ・札の枚数を計算せざる事
<第八章 策戦>
 ・策戦計画
 ・攻守の得失
 ・競技の初めに於ける狙札
 ・競技の終りに於ける狙札
 ・送り札
 ・競技の初めに於ける送り札
 ・競技の中頃に於ける送り札
 ・競技の終りに於ける送り札
 ・対手の送り札
 ・機会
 ・対手の眼を見ることの利害
<附録>
 ・読み方

 みなさんが興味を持ちそうなところを、見出しばかりでなく内容にもはいって、少しばかり紹介しておこう。
 まずは、第三章の「札の配列」から、「初心者に最も良き配列法」を見てみよう。 なんと「初心者は初め札の排列に苦心されるようですが、無益の事です」とその苦心を切って捨てる。 しかしながら、続けて「最も良き方法を申しますと上の句の頭字に依る法であります」と上の句並べを推奨している。 (引用者注:この本では、「配列」と「排列」の両方が使用されているので、原文に従って両方の表記を混在させている。)
 上の句並べの長所・短所については、「自己に早く取れると同様、対手にも取られ易く又お手附し易い欠点があります」と分析する。 そのうえで、「初心者は勝負に勝を制すると云ふことよりは、早く上手になると云ふことが眼目でありますから、 対手に取られるのを憂るより寧ろお手附をしないやうに注意するのが肝要であります。」と説く。もっともである。
 「競技に於ける最も良き排列法」は、ずばり「対手に見覚え難くして取り悪い方法であれば如何なる方法に依るも可なり」(取り悪い:「とりにくい」と読む)と言い切る。 興味深いのは次の一文である。「数年前の加留多界では対手の札を取るには、重に中央に置かれてある札のみを狙らったとか云ひますが、 其の当時に於ては、中央に札を置かぬ排列法などは効果があったでせう。」(引用者注:歌留多と加留多が本書では混在している) 「一般に中央に札を置かずに二箇所に排列する方法は、対手の注意力を分かちますから対手に取っては取り苦いのみならず、 中央は比較的対手の取り良い場所ですから此の札を二分する排列法は利益であります。」これは、もう現在の並べ方に通じる記述である。 だが、しかし、上段の中央はその後も残ったことを思えば、それはそれで何らかのメリットがあったのである。 推測するに、この当時は敵陣の左右を攻めずに中央部分を狙った(攻めた)ので、左右二分配列に移行したが、 左右二分配列がポピュラーになると今度は敵陣の中央が取りにくくなるという現象が起きたのではないだろうか。 そして、ふたたび中央に置く配置が復活する。ひょっとすると、こういう流れが繰り返されているだけではないだろうか。 そう考えると、今ではすたれている上段中央配置ではあるが、再び流行するときがくるかもしれない。 流行とは繰り返すものなのだから。

 続いては、第五章の「取り方」を取り上げよう。
 「現時盛に行はれつゝある取方の種類は刎飛す、指先で突く指先で押へる、札を曳く(自己の方に刎飛す)指先で叩く等であります、 之等の取り方は札の位置に依って各々用ひられるので、攻勢の時と守勢の時とは、姿勢が違って居りますから、従って取り方も異なったのを用います。」
 この説明に基づき、まずは「自己の持札の取り方」が語られる。「攻勢の時は自己の持札は重に曳き気味が良いのです、 右側方面、上段中段は押へ或は右に刎飛す、下段は中央より其の札の方向に刎ねす或は曳く。中央方面、上段は左に刎飛し、突き或は押さへる、叩く。 中段は左に刎飛し、又は曳く、下段は曳く即ち自己の方に刎飛す。左側方面、上段及中段は左に刎飛す、下段は中央より其の札の方向に刎飛す或は曳く。」
 そして、「対手の札の取り方」と続く。「右側方面(自己に対して)突き、押へ或は叩く。中央方面、突き押へ或は左に刎飛す。 左側方面、突き或いは左に刎飛す。対手の左側方面は(自己に対して)対手の手の速力の最も早き所で、最下段は一層取り苦い場所です、 夫故自己の手を対手より先きに出すも間に逢ざる事が多いのですから、全速力を以て左に刎飛すのが良いのです」
 いかがであろうか。「叩く」取りが現在ないわけではないが、一つの取り方としてしっかり説明されている。そして、敵陣に対しての記述では、 敵の左の上中下段(自分から見て右側)の攻めは、「押さえ手」と「叩き」についても言及されているが、 敵陣右の上中下段(自分から見て左側)への攻めについては、「押さえ手」と「叩き」の記述はない。 その理由は、上記の説明にも書かれているので、おわかりいただけるだろう。現代カルタの肝ともいうべき「左側最下段」(敵陣右下段)については、 「一層取り苦い場所」と記されていることに現在の読者の皆さんにも留意してもらいたいと思う。
 さて、「取り方」の章の最後には「札に指先の触るゝ場所」との項がある。「札の何れの部分を突き若くは押へるのが良いかと云ひますと、 自己の札は其の上端、対手の札は下端即ち深く手を入れるのが宜いので、初心者には不思議に感ぜられるでせうが実際に於ては余程利益のあるものです。」 と書かれている。これは、現代カルタの傾向とは異なる感覚であろうか。
 現在では、札への最短距離を推奨する。したがって、単純化すれば、自陣の札なら、上段は下端もしくは札の下の角であろうし、中段も下角、 下段は手の出し方にもよるが、札の横腹の端ということになろうか。そして、敵陣は最短距離としては札の上端の角ということになろう。 もちろん、決まり字の長さによって、手の出し方も多様なので、これにあてはまらないこともあるが、一字決まりなどは、この原則ということだろう。
 しかし、明治44年の上手は、「初心者は」とことわったうえで「不思議に感ぜられるでせうが」とその現代カルタの原則にもつながる感覚を否定する。 なぜだろうか。私なりに推測してみる。自陣に関して言えば「攻勢の時は自己の持札は重に曳き気味が良い」という記述にヒントがある。 攻勢、すなわち敵陣に手を出し気味のところから聞き分けて自陣を取るから、どうしても戻り気味になる。だから、札の上端になる。 この上端を触る取りは相手の手のブロックにもなる。そういうことなのではないだろうか。そうすると敵陣の取りで札の下端というのは、 相手がこういう自陣の守り方をすることを前提に、上端から行ってブロックされない取りということなのではないだろうか。
 これは、私自身経験がある。終盤、劣勢の相手が自陣の右下段に札をまとめて守りだした時、一番内側の1枚はあきらめて2枚目から外側の札を下端から手首で巻き込むように攻めた。 相手の手の出し方にもよるのだが、相手のブロックをかいくぐるのには、こうするのがベターであったのだ。 決まり字とかいろいろな要素はあるのだが、そう考えると腑に落ちる部分も充分にある記述なのである。
 まとめてしまえば、ケースバイケースでその時の「利」を求めよということなのだが、常識を疑い自分自身で考えることと解釈しておこう。

 続いては、私自身も共感した記述ということで、第六章の「競技上の心得」の中から、「畳叩く事」を取り上げたい。
 「読手が空読みを初める時、畳を叩くのです、此の習慣は地方の撰手に少なく、東京の撰手に多いように見受けますが之れは絶対に廃止すべき事です、 如何して畳を叩くかと云ふと自己の士気を鼓舞する為め或は読手に用意の出来たと知らせであると思ます、 併し自己の士気を鼓舞する為めと云って人の迷惑になる事をなすのは宜しくない事で、第一衛生上有害で且つ不体裁でもあります、 又読手には多数の競技者の居る場合知らせる必要がないのです、撰手の中には空読みから取札に読み移る瞬間、畳を叩く者がある、 之等は全然虚勢でであって、対手は兎もかく他の競技者は此の騒ぎの為め出札の最初の音を聞く事が出来ない等の弊害が起るのです、 此の畳を叩く事は習慣に依って許されて居る様ですが一日も早く禁止されん事を望むのであります。」
 現代の畳の叩き方との相違はあるが、現代でも度を越したケースが見受けられる。 それは特に団体戦においてであるが、畳を叩く選手は、この記述から何かを感じ取ってほしいと思うのである。

 さて、いよいよ第八章の「策戦」に言及しよう。本書の記述をすべて引用するわけにはいかないので、ポイントを二つに絞りたい。 第一は、現代カルタで大きく取り上げられる「攻め」についてである。そして、第二にはこのテーマに伴うであろう「送り札」についてである。
 「攻め」について、本書はどう語っているか見てみよう。
 「自己が攻勢を取ると対手は自然に守勢に出づるもので対手が守勢を取れば自己の持札は割合に取られない、 之に反して自己が守勢を取る時は対手の札は二三枚しか狙ふことができない(中略)先づれば人を制すとか申して実に守勢は六ヶ敷いもので又損なものであります、 必勝法は攻勢にありて、攻勢は無形的にも有形的にも利益であります、併し攻勢と云って唯攻める一方ではいけません、攻めながら守ることが肝要です」
 必勝法は「攻勢」とまで言い切っているが、相手が2枚でこちらが15枚もっているような場合は、違うという事も明記している。
 このあたりの説明は、はしょって次にいこう。「守る時も姿勢は攻める形で沈着なる態度が必要であります、 又攻勢は対手の札を散るばかりが目的でなく対手の心を攻むる方法です 以上説く所の攻勢の利益は比較的の意義である、 言ひ換へれば守勢を取るよりなお利益なりと云ふのであります(中略)攻守を完全にせんとするには攻勢を取らなければなりません」
 攻守同じようにと考えていると、相手には攻められて、結局バランスが崩れて守勢がちになるから、攻めの姿勢を取ることで、 やっと攻守のバランスが取れるという理解でかまわないだろう。
 次に初心者の向上のための記述を紹介しよう。「初心者は重に守勢を取るものですが、攻勢を重んじて練習する方が早く進歩する 攻勢は早く上手になる一方法であります、又攻勢を重んじて練習すれば、守りは自然上手になるものです、 何となれば自己の持札を取られるのは余り良い心持のせぬから守備は知らず知らず上手になるからであります。」
 策戦の第二点目として「送り札」について見てみよう。
 「送札は策戦上武器とも云ふべきものであります、初心者の中は唯無意識に札を送りますが、勝を欲する者は余程送り札を選択しなければ損です、 即ち其の送り札に依て、対手の攻勢を守勢と変せしめ、負けを勝ちとならしめ或はさらに対手の札を取り、容易く対手に勝つ事の出来得るものであります。 送り札の種類は自己の嫌な札遅い札早い札中央に置かるゝ札対手の嫌な札遅い札早い札排列しにくい札山札一字札キマリ札等であります。」  このように書かれると、結局は何を送っても良いようにさえ思えてしまうが、「競技の初めに於ける送り札」の項を見ると方向性が書かれている。
 「自己の嫌な札などが良いので、之等の札は自己の方にあれば取り苦いが対手にあれば割合に取り良いものです(中略)然し対手に依て送り札も違ます、 例へば対手が攻勢を取る場合、対手と自己の札の中に山札が分かれてあれば、其の友札を送って対手に山札を揃へさせる、 又守勢を得意とする人は一般に山札の取り分けが下手ですから、守勢の人には山札が分かれて居れば其の儘にして置き他の札を送るが得策である 自己の山札が揃ってある場合は其の札を犠牲にする時とか守る時の他は必ず其の一枚の友札を対手に送るのです、 自己に揃へて置けば対手に狙らはれ易いから特に注意する必要があります 即ち守る形になります、然るに自己と対手に分けて置けば自己も対手もキマリ字前に取ることが出来ませんから 御互に取り苦い札となり左程注意する必要がなくなって他の総ての札に向って攻める事が出来ます、之等の理に依て山札は成る可く分けるのです、 併し対手が自己より山札の取分が上手ならば、其の札を犠牲とする事の外は別の方法を考ふべき事です、 此所に云ふ山札とはキマリ字が二字目以上にある総ての札をも含むのであります。」
 ここでは「山札」と言っているが、最後の説明にあるように我々が普段「共札」(ともふだ、本書中では「友札」と表記されている)と言っている札の関係性の理解でよい。 このあたりの考え方は現代に通じる部分である。では、もう一項目「競技の終りに於ける送り札」からポイントを紹介しておこう。
 「最終に近づきますと送り札に依て勝敗が決しまするから注意の上にも注意して洗濯することを要します(中略)要するに送り札は対手に依て異なるものであって、 自己の短所長所と対手の短所長所を知って居らねば効果が少ないものです、又機に応じて送り札も異なるので如何なる札が良いかとは具体的に云ふ事は不可能の事に属します 唯実地の研究を重ねて居れば自然に自得する様になりますから初心者の内は唯キマリ札を送る様心掛けて練習するのが良い様です 山札は送り札として最も複雑で六ヶ敷いものです、対手は自己より山札の取り分が上手か下手か山を張る人か否か、お手附をよくする人か否か 今此の場合山札を送って対手が気にするか否かなど充分考へて送らなけれ何の効能もないものになります。」
 最後は、選手任せのような感じだが、実際のところ、決断は選手本人に任せられているのである。 試合のさなかで、相手をよく見極めてどういう選手なのかを判断するということの重要さが書かれているものと考える。

 この明治44年ころは、地方と東京の情報伝達は現在と大きな違いがあった。それぞれに独自性があったものと思われる。 それが本書の記述に垣間見られる。当然インターネットはないし、現在とは情報の流通が大きく異なり、情報の地域間格差が残っていた時代である。 その中で、書籍という形で自身の知見を発表したと本書は、斯界の発展に大きく貢献したものと考えてよいであろう。 團野氏に敬意を表したい。

 最後に、この本の表紙をアップしておこう。
表紙

 お気づきだろうか?
 私としては、この表紙の絵を見て、読者の方々に気づいてほしい点が、2点ほどある。
 一点は、構える時の右手の形と左手の位置である。第四章を見ると、「膝を一尺程あけて端座し、左手を左膝の内側に畳の上に置きて体を支へ、 其の指先は左膝と平行する様に置くのです。夫故体は前方に屈みます、そして右手即ち取手は左手の傍に指先だけ軽く畳の上に置くのです、 右肘は少し後に引て右の膝の上に軽く置き、右肩は左肩より少し後に引き気味に低くするのです、(左利の人は之れと反対の姿勢)」と記述されている。
 この表紙の絵は、まさにこの構えを描いているのである。ただ、読者の皆さんには次の記述を肝に銘じていただかなければならない。
 「此の姿勢は先ず完全に近いのですが、何人にも適するとは云へません 何ぜかと云ふと丈の長短及体躯の痩肥に従って姿勢も各々異なるものです、 例へば身長の短い人が膝の一尺もあけて座れば、活発なる行動は却って出来ないでせう、夫故読者は自己の身長及痩肥如何の関係をも考へて、 各自完全なる姿勢を作るのが肝要であります」
 まさに著者の團野氏自身が、読者の皆さんに注意を呼びかけている。團野氏の身長がどのくらいで体重がどのくらいで痩せていたのか太っていたのかはわからないが、 明治末期当時の日本人の成人男性の平均身長は今よりも相当低かったことだろう。おそらく150cm台の前半程度であったかどうかだろう。 今では20歳代の日本人男性の平均身長は170僂鯆兇┐討い襦成人男性の平均身長というと20歳から80歳以上の人もひっくるめての平均身長だから、 比較は慎重に行わないといけない、少子高齢化で高齢者も多いので、現在の日本の成人男性の平均身長は160兪鞍召任△襪蕕靴ぁ 明治末期は高齢者の割合は今よりも低いのだから、年齢層で比較しないといけないだろうが、目安としての身長の変化はわかるだろう。 明治末期のフォームは、ある意味今の身長の高くなった若者には不向きで、自分なりに工夫することが求められているのだ。
 左手の位置から、構え(フォーム)の話をしたが、札を取るほうの手である右手についての記述も確認しておこう。
 「注意すべき事は、中指と人指指だけ密接して伸し、力を入れてをる方法がありますが、この構手は札を取る時、 速力が早い様ですが総ての札に対して一様に早く取ることは困難です、最も此の構手は中央及び右側に置かれてある札は早いが、左側、 特に対手の左の最下段の札などを取るには割合に速力の遅いものです、(中略)最新の選手の構手は、自然の儘で力を入れずに置くのであります。」
 この自然のままで力をいれないという手の形が、この表紙の絵の右手の形というわけである。
 そしてもう一点は、札の並べ方である。この選手は、左右にきっちり分けて並べる現在多い並べ方ではない。 まず、一枚・一枚の間が隣り合っているようでも、少し隙間をあけて並べているし、上段だけでなく、中段も中央を利用している。 下段もいくつかのブロックに分かれている並べ方である。 下段の場合などは、出札を引っ込めた後でも、初形から位置を変えずに左右に詰めたりしない方法なのかもしれない。
 ちなみにどの札がどこに置かれているか見てみよう。左右の端の3枚ずつのスペースは表紙の絵の範囲外なのでわからないが、中央の約10枚分が見て取れる。
 右下段の外から4枚目の位置には「みよ」その内隣に「す」。一枚スペースを空けて「さ」「かく」と並ぶ。 札を取る手である右手から一番近い札は「かく」である。そこから3枚分スペースを空けて、左下段の一番内側は「きみがためは」その外隣は「もも」となっている。 「もも」は左下段外側から4枚目の位置である。大山札が左下段の一番内側というのは囲い手を意識した配置と言えるだろう。
 次に中段を見ると、右端と左端のそれぞれ3枚分は絵の外側なのでわからないが、左右ともに4枚目の場所はスペースになっている。 右中段の外から5枚目もスペースで、外から6枚目の位置に「たま」で、その内隣に「わすれ」、一枚分空けて「あさじ」である。 「せ」は左中段の外から6枚目の場所で、その外隣に「おほけ」がある。 ちなみに「あさじ」は中段のほぼ中央の位置である。中段の中央の真ん中に札を置くケースは、現在ほとんど見かけない。 「せ」という一字決まりを左中段の左から6枚目の位置に置いているのは、現在ではあまり見かけないが、一字決まりを自陣で取るという観点でみれば、わからないことはない配置のように思える。
 上段は、この表紙の絵では左右4枚ずつがわからない。中央の8枚分の札の配置箇所のうち、6枚がわかる。 右上段の外から5枚目の位置に「しの」でその内隣に「みかの」。一枚分のスペースを空けて「わすら」。 ほぼ中央、中段の「あさじ」の上の場所に「やまざ」があり、その隣に「いまは」。この3枚は1枚分のスペースが空くことなく連続して並んでいる。 そして左に一枚分のスペースをあけて「あわじ」。
 この絵でみると上中下と縦に一列に並ぶのは、左外から5枚目の場所の上段から順に「あわじ」「おほけ」「きみがためは」の3枚。 縦に見たときには、2枚のケースでも、上段が空いているケース、中段が空いているケース、下段が空いているケースと本当に様々である。
 私が面白いと感じたのは、上段の中央から右に一枚寄ったところにある「わすら」と一枚分斜め右下の場所(中段)の「わすれ」のトモ札の配置である。 「わす」の2字で取るときの手の動きを想像してしまうのである。きっと上段から斜めに引く感じの払いをするのだろう。
 さて、この正面向きの選手の相手は上段しか描かれていないが、中央に札を置くスタイルで、左右にきれいに分けるスタイルではない。 左上段外から5枚目の位置に「なげき」(正面の選手の上段「しの」の真向かい)。そこから1枚スペースを空けて「きり」。 右方向に2枚スペースを空けて「たご」(正面の選手の上段「いまは」の真向かい)。残念ながらその右隣がどうなっているのかは、図書の「分類番号」シールによってわからない。 だが、その右隣(正面の選手の上段「あわじ」の真向かい)には、何かの札がある。あいにく見える文字の部分が不鮮明なこともあり、何の札が置かれているかは推測できなかった。
 こうした上段の並べ方については、いまでも一部にこういう選手がいるが、ルーツは明治にあると言ってもさしつかえないだろう。
 並べ方は、決して一つではない。過去のこのような並べ方に工夫を重ねて、現在のような並べ方に収斂していったのだとしたら、 その逆の展開が、今後起こりえないとは誰も言えないのである。

【 著者の團野朗月氏とは 】
 東京明静会所属。本名、團野精造。明治41年11月、明治42年1月、明治43年1月・2月、大正3年3月に東京かるた会の大会で優勝。明治45年と大正2年に大阪大会で優勝。 明治末期に東西のかるた界で作成された最初の競技かるたの番付で東の横綱にランクされた。当時の競技かるたの第一人者と言って差し支えないであろう。
 これらの情報は、全日本かるた協会の「競技かるた百年史」による。同書の記事を読むと、團野氏は取材に対して、自分は下の句並べだということを話している。 そういう目でみると、表紙の絵の配置も、さらに興味深い。 たしかに、上段中央には下の句の「ひと」始まりが3枚並んでいるし、左中段と下段の内側には下の句の「わ」で始まる札が固まっている。



本文中の競技かるたに関する用語・用字において、一般社団法人全日本かるた協会で通常使用する表記と異なる表記がありますが、ご了承ください。


Auther

高野 仁


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