"競技かるた"に関する私的「かるた」論

番外編

名著「百人一首の取り方」

〜昭和中期の「早取りの秘訣」〜

Hitoshi Takano Jul/2020


 ここに一冊の本がある。今は亡き父から小学生の時に譲り受けた本である。坊主めくりの世界から、普通の百人一首かるたのスタート地点に立った時にもらったものである。
 タイトルは「鑑賞百人一首新講」。文学博士吉沢義則監修の博文堂から発行された本である。初版は昭和27年。私の手元にあるのは定価120円の昭和40年1月の改訂増補第16版である。
 小学生ながらに私はこの本で百人一首を覚え始めた。小学生のころは20首から30首くらい覚えたであろうか。 正月になると家族や近所の大人とかるた取りをして、覚えている札を早く取ることができるのが嬉しかったし、楽しかった。私のかるた取りの原点はここにある。
 そんな私が、この本で気になっていたのが奥付の裏の博文堂の広告のページである。そこには「☆競技かるたの秘訣☆『小倉百人一首早取法』」とあった。 B版40取60頁・定価80円で、著者は「全日本かるた連盟理事 かるた名人位戦読人 夏目延雄」とあった。 ちなみにその下には「小倉百人一首暗記カード」(定価70円)という広告も載っていた。私が興味を持ったのは、暗記カードではない。この早取法のほうである。 そんな方法があるならば、知りたいと思ったのだ。
 「これは単なるかるた遊びの解説書ではない。かるた界最高の名手夏目延雄先生がその半生の体験を傾けて語る競技かるたの秘訣は、 その好むと好まざるとにかかわらず、読むものを魅了し去らずにはいないであろう。 競技かるたの深奥について語る神秘の言葉に、よくよく耳を傾けれるがよい。」
 現代風に言えば、このキャッチコピーが、競技かるたの何たるかも知らないお座敷かるた初心者の少年の心を不思議と揺さぶるではないか。
 しかし、何分にも小学生なので、注文するなどの知恵はまわらず、入手することはなかったのである。
 そして、時は巡り、大学に進学し「かるた会」に所属した私は、虹有社という所からこの夏目氏の「百人一首の取り方〜早取りの秘訣〜」という本が発行されていることを知るのである。 発行社が違うので、小学生の時に広告で見たものとは違う本だが、著者は同じでテーマも同じであるのだから、なんら問題はない。さっそく大学生協の書籍部で注文した。
 実は、私はこの本を2度大学生協で発注している。最初の一冊はある友人に貸して返ってこなかったのである。
 前々回前回に引き続き、今回は、この本について紹介しよう。

新講表紙
広告の頁
取り方表紙

 私が入手したものは、昭和46年12月25日発行の「改訂新版」である。しかし、「序」を見ると「三十一年仲秋」とある。昭和46年版が改訂新版であることをみれば、 最初の版は、昭和31年の発行であったのだろう。 この「序」において、全日本かるた協会顧問・東京かるた会顧問の肩書をもつ山田均氏は「『かるた競技必勝法』と銘打った、粗雑な単行本が、 目にあまる程刊行されておりますこれを慨嘆されて立たれたのが、半生を斯技の発展と向上の為めに捧げてこられた著者で、従来の所謂必勝法、早取法より百尺竿頭一歩を進め、 新しい義塾、練習から作戦、戦術として驚嘆の定本を出された。これによって息詰まった現今のかるた界に一大革命の起きるのは必定である。 まさに革新的著書として深く著者の労をを謝するものであります。」と書かれている。
 「序」としては、他の方々も書かれているので、その印象的な一部を紹介しよう。
 全日本かるた協会顧問・東京かるた会顧問の小山徹氏は「かるたが本質的に精神競技であるから、基本以外には無理と考えていたが、 本書は右の夏目氏がその蘊蓄を傾けたもの、在来のものとはいささか趣を異にしている筈なので、新人玄人を問わず、敢えて一本をお薦めするに躊躇しないのである。」 と推薦している。
 全日本かるた連盟常務理事八段の杉村顕道氏は「天下の名選手が、長い経験に従って、微に入り細を極めて書いた手引書は、恐らく、 他書の追随を許さぬものであることは、勿論でしょう。」と書かれている。同氏は「夏目先生は、齢六十の坂を越して、技術的にもその強さ、 うまさは現役選手として天下第一流の呼び声の高いのはどうした奇蹟でしょう。」とも夏目氏を評している。
 さて、その著者である夏目氏自身は「はしがき」にどう書いているのか紹介したい。少し長くなるが全文を紹介しよう。
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 百人一首に執筆して。
 私は、新しくかるた競技を学ぼうとする人に、又更に進んで此の競技の神髄を極めようとこころざす所謂玄人・選手諸君の師友たらんとして、茲に筆を起しました。
 凡そ、物事を始めようとする時には、先ず準備が必要でありまして、只莫然と「かるた」をとるよりは、矢張り当然な予備知識を持ち、自分が之れから始めるものの、 内容を外見的でもよいから知ってかかると、遙かに効果的であり進歩も早くなるものであり、又其の進む方法にも迷わないであります。 第一歩を誤ると、それだけ廻り道をしたというだけでなく時には取り返しのつかない邪道に落ちて遂には中途断念しなければならないことにことになります。 それでは折角足を踏み入れた、我が国固有の高尚にして優雅な代表的室内競技の醍醐味を味うことが出来なくなります。
 百人一首かるたは、競技かるたと称されて居り、更にかるた道と申して居ります。かるた道の修業の根本精神は礼儀に始り、其の修練は没我の境に入らなければなりません。 そして忠実にその道を踏み進むことが大切なのであります。
 競技かるたは、単なる娯楽ではありません。従って一寸やって見ようという様な気持では到底上達は望めません。どうしてもその深奥を究め盡そうとの熱意を以て、 其の基本から順を追うて進まねばならないのであります。 一足飛びに上手になろうとしても、心が練れていなかったならば即ち淡々として機に臨み、変に応ずる心構えが出来なかったならば、心と技の同化が出来ず、 競技かるたの真髄をつかめるものではありません。
 ですから常に注意力を養って、音に対する感覚に心して、倦まず撓まず究極に達しようとする深淵こそ「かるた」を学ぶ頭初にあたって、心頭に打ち建てるべき観念であります。
 又競技かるたは終始一貫して礼儀を基礎として、これによって静寂の気品を保ち、貴賤貧富の差なく、平等に親しむ習慣が必要であります。
 この自己錬磨と相互尊重の精神こそ、かるた道の根本義でありますから、充分理解して戴くことを望みます。
                       東京、田端の里にて
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 今でも、初学者の心にとどめおくべき言葉であると思うし、長年にわたり競技を続けている選手にとっても、忘れてはならない初心であると言える言葉であろう。
 さて、では、本書の目次を紹介することで、本書の内容について概略をつかんでいただきたい。

第一章 総説
 一、小倉百人一首に就て
 二、かるたの札
 三、お座敷かるたの種類
 四、競技かるたと東京かるた会
 五、青少年の道しるべ
第二章 かるた技の基本
 一、歌詞の研究
 二、歌の暗記
 三、音別法と音別表
 四、暗記のしかた
  1、極り字迄で下の句が   2、下の句を見て上の句を
 五、配列法
  1、かるたのならべ方
  2、上の句ならべ配列法
  3、理想の配列の在り方
  4、配列と配置図の例
 六、きまり字   1、きまり字の重大性
  2、きまり字の分類表
  3、きまり字の研究
  4、きまり字の変化
 七、友札
  1、友札との関係
  2、友札の一覧表
 八、姿勢と手の置き方
 九、札の記憶
  1、持札の記憶
  2、敵札の記憶
  3、比較対照の記憶
  4、送札の記憶
  5、出札の記憶
 十、札の取り方
  1、札の取り方の研究
  2、自己の持札の取り方
  3、相手の持札の取り方
  4、其他の取り方
  5、最短距離の研究
第三章 読唱
 一、読唱
  1、読手の資格
  2、読手の摂生
  3、読みの信念
  4、読みの方式
  5、読みの間隔と呼吸
  6、読みと歌意
  7、読手の注意すべき事
第四章 かるた戦術
 一、健康と養生法
 二、かるた競技と心理
 三、記憶と失念
 四、心身の統一
 五、精力と意気
 六、競技と呼吸
 七、勝利の極意
 八、策戦の妙味
 九、遅く取るのも策戦
 十、送り札
  1、送り札
  2、緒戦に於ける送り札
  3、中盤戦に於ける送り札
  4、終盤戦に於ける送り札
  5、送り札の処置
 十一、牽制とかるた
 十二、目標札と狙い
 十三、機会と危機
 十四、競技の極意
 十五、練習
  1、不断の練習
  2、練習の方法
  3、読みの練習
 十六、指導者の必要
 十七、審判に就いて
 十八、競技に臨む態度
  附
  ・東京かるた会会則
  ・全日本かるた協会会則
  ・かるた名人戦競技規定
  ・東京かるた会競技規定

 すべての内容を紹介することはできないので、読みたい方は、入手いただくしかないのだが、現在も書店への発注で入手できるかどうかは不明である。
 ポイントとなる部分を紹介しよう。

 まずは、「ならべ方」であろう。
 「スタートに於ける持札の列べ方は、常に一定しておかなければなりません。之を競技かるたの配列法と申します。 自己の配列がきまっておりますと、札の暗記に非常に楽なのです。第一に自分の持札は列べ終ると同時に、すっかり頭に入ってしまいます。 第二に彼我対照に便宜であり、友札、関連札に対する印象を深くします。第三に自分の持札中に友札が揃っている場合は自然に手が行くものです。 第四に手木札攻撃に専心していても、出札が自分の持札の時は、不思議に考える程其札を敵方にとられる事はないものです。」
 そして、「要は自分にとりやすく敵にわかりにくいならべ方が一番理想的の配列なのでありますが、私は初心者に対しましては上の句ならべをお勧めいたします。」 と説く。これらの記述の感覚は、現代の競技者のみまさんも納得するところだろう。
 「上段は殊更に札をつけてならべずに、一定の間をおいて配列します。又中、下段は右側は右から、左側は左から札を密着してならべます。 そして中央にはなるべく札をおかないようにしたいものです。」とある。この上段並べについては、本稿のバックナンバーで論じているので参照いただきたい。  クリック!
 そして、中・下段の中央に並べていた過去については、別途論じたものがあるので参照いただきたい。  クリック!
 著者は配列について、次のようにまとめている。「私は配列法は重要な基礎には違いありませんが、飽迄も初期戦に於けるかるたのならべ方であって、 中盤戦ともなり送り札による札の動きや、攻守の関係上又策戦の変化に依って、初めの配列法も機に応じて代えてゆかなければならない事を強く主張するものであります。」 これも、また、現代でも同様の理論だろう。

 次に「姿勢」について見てみよう。
 指導者にみてもらうことの必要性を説いているが、構えを具体的にどのように書いているかを紹介しよう。
 「持札の下段から二寸程度後に下り、中央に坐ります。膝と膝とのあいだは一尺四、五寸開きます。そして右膝は左膝より少し引き加減にして、 お尻は左足の上におき、左手を左膝と平行して外側に置いて、指先は左方にひらきます。そして前進を左手でささえるようにしますから、 身体は自然と前方にかがむようになります。次に右手は右肩を少し落し、右肘を稍々後ろに引き、指先は下段の札の下から少し離し中央に浮き加減において、 如何なる位置へも直接突込めるように体制を構えます。これが標準形です。」(下の挿絵を参照)
 これに続いて、左利きは逆であること、身長の高低により工夫すべきこと、指先に力を入れすぎないこと、頭を下げすぎないこと、 頭を自分の持札の上段を越さないことなどが書かれている。頭を高くしすぎると攻勢がとれなくなり、常に守勢になってしまうことも指摘している。 姿勢については、現代の選手の構えと大きく変わることはないと思うが、現代の選手は、この当時の選手よりも身長の高い選手が増えているので、 その点は様々に変更点も生じていることだろう。
 爪を長くすることなく「美しく短く切っておくように心がけたいものです。」とエチケットについても言及している。
 頭の高さについてのところでも書かれているし、上段の定位置のところでも書かれているが、夏目氏の基本的考えは「攻勢」にあり、それは、現代に通じている部分だろう。

姿勢

 続いて、「取り方」を見る。挿絵の多い項目でもある。(挿絵の省略)
 自陣については、自然と手が行くと書いているが、「取る瞬間は必ず取札を見る必要はあります。」と説く。
 「右の上段は右に払います。中段も右に払う方が早いのですが、かるたは何でも彼でも早く取る必要はないのであります。 要は相手よりも早ければいいのですから、中段は押え手が確実でありまして有利の場合が多いものであります。 之は右の下段にも言えることですが、敵がこの右の札を攻めるには、どうしてもモーションが大きくなりますから、 その動きを感じ敵の手を見てからでも、優に間に合います。」
 その他、手を低く出すことと、下段の右の端に近いところは右に払うことなども書かれている。
 また、「中央部の中段とか下段とかに札を集めるような配列は上記を逸した愚策で、此処に札を置くことは問題外ですが、 上段は重要地点で、この札は突き手を用いて突き上げます。他の手を研究する必要はありません。左側は全部左へ払います。 此処で注意すべきは一直線に札に行くことです。」と記されている。
 上段に札を多く置く夏目氏としては、上段の取り方はしっかりと記しておきたかったのだろう。
 相手の持札の取り方については、「取り方は左側は払い手を用い上中下段全部左へ払い飛ばします。 如何に早く感じたからとは言え左側だけ決して押え手など使ってはいけません。若し敵が守勢であり、 手が左側へ出勝ちだったら一層全力を此処にそそぎますと敵は益々消極的となって攻撃に手は延ばせません。 但し心すべき事に左側の攻撃は其の動作が敵にもわかるものですから、出来得る限りモーションを小さくする注意が肝要です。 中央に近い札殊に手許の札は突き手が一番有効です。右は突き上げ気味に右に払うのが理想的ですが、自信があれば掴み手、押え手も確実にとれるものです。」 と書かれている。ここでいう左側は、自分から見た左側であり、いわゆる敵陣右の上中下段であり、ここでいう右側は敵陣の左の上中下段である。
 その他、大山札の取り方なども記載されているが、上記の記述はあくまで基本を示したにすぎず「札を突く事はどうしても一番早いものですから、 突ける位置の札はなるべく突くように心がけたいものです。」と記している。
 これは、敵陣への突きの攻めが主流になってきている現代の感覚にもつながる記述であろう。
 取り方の最後には「最短距離の研究」という項があり、「出札への最短距離は手法の根本であります。 とる手は出札へ一直線でなければなりません。(中略)此の直線で低い手が即ち最短距離なのであります。 又毎日かるた札を手にする事は第一かるた札に親みが増すのみならず、手に速力が加わる結果となり、不自然な姿勢も矯正され、 取り方もいろいろわかって来るものであります。」という文章で締められている。

 章の項目建ての順番とは少し順番を入れ替えて「送り札」について見てみよう。
 「送り札は策戦上最も重要なもので、充分考慮しなければなりません。 送り札の適否によって勝敗の決せられる例は多く常に送り札の研究には不断の努力を要します。 選手になりましても送り札の選択には苦心をするものでありまして大切な所での送り札一枚が戦局を左右することは度々あります。 初心者、又可成り経験を積んだ選手でも、自分の得意な札を送って、狙い札とする策戦を往々にして取りたがるものです。 然かも其の札を馬鹿馬鹿しく早く取って得意顔になる、これは人情のしからしめる処で仕方がないと言って終えば其れ迄ですが、愚劣な策戦と言わねばなりません。 人各々特に感じ易い音があるものです。又妙に取り易い札もあります。所謂此の札が初心者には得意の札となる訳です。 然し此のような札は態々取り難い敵陣に送って殊更注意をしなくとも、自分の持札中にあっても自然と手が行くもので、 別に送る必要もなく反って持札中におく方が、守備陣を強化する事に役立つものであります。 又敵陣に送ったとて、見当はつけ安いかもしれませんが決して目標札としての大任を果せるかどうかは頗る疑問であり、私は斯様な送り札は、 あらゆる意味合いから害こそあれ、利益にならないものと断定いたします。」
 このあたりは、昨今の風潮からいうと意見が割れる部分もあるとは思うが、私は東京吉野会のベテラン選手から 「自陣で取れる札をあえて敵陣に送る必要はない」と本書の記事と同じようなアドバイスを受けたことがあり、その教えを実践している。
 緒戦の送り札は、「守備陣を強化するため、一方に偏して配列上不便を感じている札を先ず撰びます。次は自分の比較的取り難い場所にある札を整理します。 それから感じの鈍い札、錯覚の起しやすい札も送ります。之等は敵方にあれば、自然と注意しますから早くとれるものです。 これがすみましたら、うつしもゆの二枚札の揃っているのを分けます。とに角同音の札の揃っているものは友札から段々に分けて終います。 山札も其の通りですが、大山札は数が少ないから急いで分ける必要もなく或る程度敵に狙わしてから時期を見て分けた方が利益です。」
 非常に具体的な記述であると思う。相手に応じて使い分けるテクニックも次のように記している。
 「其他注意すべきは全然自陣を空け放しにして攻勢一方でくるような相手には山札など分ける必要はなく、 反対に分っている友札を敵陣に揃えさせる方が得策でありまして、此の場合忘れても自分の持札中に揃えておく事はいけません。 それから守勢の人に山札が揃った時は早いものですから此の場合は、分けた方がよく感じとりの人に対しては同一音をつけておくのは愚策です。」
 選手心理を深く読んだ記述もある。「又友札とか山札が初めから別れてはいるが、其の別れてる札があらゆる意味から得策ではないと考えた時は、 自分の方から別れている友札を交換する目的で送り札にすると、敵は又分けてくるものですが、 此の場合どうも自分の送った札でなく従来あった一方の札を送ってくるものです。 之は自分としては初めから欲していたので策戦通りとなったもので、之等も序戦に於ける策戦の一つと言えましょう。」
 このあと中盤戦と終盤戦のそれぞれの送り札のポイントが書かれているが、そこは端折って、「送り札の処置」という項目に触れておこう。
 「送り札は策戦の最大の武器であって、上述のような重大な意味を有するものですから、敵の送り札は一枚たりとも忽せにしてはなりません。 其の一枚の札には何等かの含みのあるもので、所謂時限爆弾ですから、其の処置には万全の策を講ずべきでありまして、配置すべき位置には考慮を要します。 然し此の送られた札にばかり気をとられることは、すでに敵の策戦に乗っているのでありますから、注意すべきであります。 また送り札というものは、読まれる率が多いものですから、特に其の直後は注意しなければなりません。」
 送り札が読まれる率が多いというのは、あくまで主観によるもので、実際の確率論から言えば、どの一枚が読まれるかの確率は同じである。 とはいえ、こういう書き方をして、注意を促すことで、札の移動についての注意を喚起し、暗記をより深く入れさせるための記述と解釈すれば、 それは意味のあることであろう。
 思いのほか、「送り札」について、稿を割いてしまった。 さて、それでは現代かるたのポイントである「攻め」については、どう書かれているであろうか。「勝利の極意」の項をみてみよう。
 「競技かるたは常に攻勢を取らなければなりません。攻勢に終始することに依ってこそチャンスも掴み得られるものです。 積極的の攻勢は、又最善の守勢の道として、攻めて攻めて攻め抜く熱血火の如き攻撃精神が肝要であります。 競技の心理上、自己の持札は取りよく敵の札は取り難いものです。又自分の札を敵に取られると印象的観念にかられて、気持ちのいいものではありません。 そして敵が敵自身の札を取ったのは割合に印象は薄く、さほど感じないのが常で之が一般の心理です。(中略) 敵の札と自分の札とを常に其の平均を保ってゆくには敵札を多く取らなければならないものです。」
 この辺りは「現代のかるた界」の考え方に息づいている部分だろう。本項の最後は以下のようにまとまっている。
 「敵札を取ることに依って、札を送る率を多くなってゆくのですから、其処には策戦が有利となり、自分の陣営も完璧な布陣が出来ることになります。 私は攻勢こそ勝利への捷道と常に説いて策戦も此の点に重きをおきます。即ち攻撃全くして守勢自となるとの信念によるものであります。 又攻勢は敵の札をとるばかりが目的ではありません。要は敵の心に攻め入ることであって之こそ勝利の極意であります。」
 そして、最後に「遅く取るのも策戦」の項を見てみよう。
 「かるたの早取法必ずしも必勝の秘訣ではありません。早取法はかるた競技の道しるべに過ぎません。 競技かるたの練習には大いに早取法によって研究錬磨し、少しでも速く札をとる練習をすべきことは論をまちません。 然し試合ともなれば唯々敵よりも早くとれば勝利を得る訳で、持札全部を殊更速くとる必要はないのです。 人の精力には限りがあります。精力の蓄積に心がけねばなりません。(中略) かるたは早く取らねばならぬものであると単純に考えて、感じにまかせて速くとることのみに専心するのは、 競技に最も大切な精力をセーブすることを知らないのでありまして、敏感のみに頼る傾向は精力の消耗となり、興奮過度となり、冷静を欠き、 神経過敏となることが多く、お手付の因となるものであり、ただ敵より早ければということを目標に、取札をなるべくおそく取る方が精力を浪費せず、 沈着にて溶融を生じ自然に心身統一が出来るものであり又敵にとっては、此の取り方は気を挫くことにもなります。 斯くしておそくとる事が出来るようになれば、其処には妙味深々たるものがあります。」
 この「遅く取る」という極意は、言い換えれば「相手よりは速くとる」であり、相対的速さのことである。 相対的に相手より早ければ、そこに絶対的速さは求めなくともよいという意味合いである。 とはいえ、相手の速さを上回らなければならない場面もあるので、絶対的速さの鍛錬を怠っていいという話ではない。 言葉が独り歩きするのは怖いが、「できるだけ遅く取る。ただし相手よりちょっとだけ早く。」という意訳する人もいるこの言葉はまさに 私にとっても「妙味深々」の言葉である。

 夏目氏の名著と言われる著作のごく一部を紹介させてもらったが、私がウェブサイトでいろいろと書いていることや、 私自身が書いた「歌留多攷格」にも大きな影響を与えている著作であると、今回あらためて感じた次第である。 「策戦は勝を制する策」と書かれる著者の言葉で本稿を締めよう。
 「競技かるたは他力本願ではとれません。 真の技倆の闘であり、修練によって体得した力の争いであるとはいえ、運、不運によって勝敗を左右される場合が往々あります。 然し此の運にすべてを委ねるようでは、競技かるたの真髄に徹したとはいえません。 策戦に意を用うべきであって、其は幸運を待つより進んで不運に打ち勝ち、幸運をつかまなければなりません。 そして此の様なのは周到なる策戦によって醸し出されるものであります。」



本文中の競技かるたに関する用語・用字において、一般社団法人全日本かるた協会で通常使用する表記と異なる表記がありますが、ご了承ください。


Auther

高野 仁


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