段位論

Hitoshi Takano Oct/2008

 今から数年前のことになるが、囲碁界の重鎮、藤澤秀行名誉棋聖が、日本棋院の段位発行料が高すぎるから、 自分の名前で段位免状を出すといって物議をかもしたことがあった。
 その後、日本棋院と藤澤名誉棋聖の間では和解があったようだが、「段位」というものの発行料について 話題になるきっかけになったできごとではなかっただろうか?

 発行料ということでいえば、段位の発行権を持つのは、いにしえに立ち返れば、それは名人碁所であった。
 もともとは、囲碁界で本因坊家が江戸時代に定めたわけで、ハンディキャップ戦である置き碁の置石の 数による手合い割りが段位と結びついていた。
 これは、江戸時代の将棋界でも、香落ちや、角落ちなどのハンディキャップ戦の手合いを基準に定め られていた。将棋好きの十代将軍徳川家治は、「御七段目」と七段であったという。
 江戸時代の囲碁・将棋では、段位の免許を与えるのは名人碁所・将棋所の大事な役割であったわけだ。

 さて、現在では、各種武道(剣道、柔道、弓道、空手、相撲など)でも取り入れられているし、書道や 珠算にもある。麻雀のような卓上ゲーム、連珠やオセロのようなボードゲームや、変わったところでは けん玉競技でも段位制がある。
 卓球に段位制が取り入れられたのは、記憶にあたらしいのではないだろうか。

 もちろん、我らが「競技かるた」にも段位制がある。(参照:段位基準の変遷
 段位制には、そもそもは、ハンディ戦を基準とした実力の目安という側面があった。囲碁も将棋も ひとつの技芸であり、一度身につけた技芸の能力は落ちないという前提があるからこそ、上の段から 下の段に落ちるということはないのであろう。(注記参照)
 しかし、囲碁にしても将棋にしても、競技組織の近代化の中で、プロ組織の競技自体のシステムが、 ハンディ戦ではなく、囲碁なら互先、将棋なら平手の手合いになっていくと、実力の指標としての 機能が充分にはたせなくなってきた。
 タイトル取得や、昇段後の勝数で段位があがるようなシステムとなっていくと、それは、過去の実績や 永年にわたる競技生活の功績という側面が出てきたといってよいだろう。
 将棋界は、順位戦システムをとり、A級、B1級、B2級、C1級、C2級という年度ごとのランクわけで、段位 とは別のその年度におけるランク付けを行い、新たな実力の指標としている。その年度での実力を知る 指標としては、段位よりもわかりやすい。もちろん、そのクラスの最低段位は決まっており、そのランクに 昇級したときにそのクラスの最低段位に達していない場合は、段位も昇段するシステムである。ちなみに A級は八段、B1級は七段、B2級は六段、C1級は五段、C2級は四段である。

 また、段位システムは競技者のモチベーション向上にも役立つ、実績を残し、上の段にあがることは競技 を続けていく上での大きな励みになる。特に、初心者が初段になったときの喜びは大きなものがあり、初心 者はとりあえず初段を目指すのである。

 さて、段位での一番上は、「十段」であるが、囲碁界には、十段戦というタイトル戦がある。将棋界 では、読売新聞の棋戦が「十段戦」であったが、将棋の「十段戦」は、「竜王戦」に変わっており、 「十段戦」という新聞棋戦によるタイトル戦は、囲碁界のみになってしまった。囲碁界の「十段戦」は 産経新聞の棋戦である。(ちなみに麻雀にも「十段戦」がある)  タイトル戦の「十段」の場合、タイトル保持者が防衛戦に失敗すると、本来の元の段位に戻ってしまう ことが特長であろう。
 なお、競技かるたの場合は、「十段」はタイトル戦ではなく推挙された極位という位置づけである。 競技かるたの場合、いわゆる挑戦手合いのタイトル戦は、「名人位」と「クイーン位」しかないので、 タイトル戦の名前にすれば、よかったようにも思う。まずは、挑戦手合いのタイトル戦をもっと設置 できないかと考えるのだが…。

 そして、話はもとに戻るが、段位を発行する権威のある組織は、段位発行料という収入源をもつことになる。 段位を発行している団体の収入の中でも、発行料は大きな割合をしめる。したがって、その団体をさしおいて 勝手に一個人で段位を発行しようものなら、当然、その個人発行の段位を認めないなどの措置をとらなけれ ば収入面での大きな痛手となるのである。
 これが、冒頭で述べた、日本棋院と藤澤名誉棋聖との反目の理由である。

 段位の発行料は社団法人全日本かるた協会の中でも、貴重な収入源である。予算ベースでいえば 段位昇段他寄附金は当該年度の収入の約17.4%である。収入予算でいえば、他に大きな割合は、 会費・入会金収入が約26.6%であり、事業収入が約46.2%である。しかし、事業費の支出予算 額は、大会経費と講習会経費だけで、事業費収入の124.4%であるのだから、支出超過であって 収入としては、入っても出ていくだけである。それに比較すれば、段位制度経費支出は段位昇段他 寄附金収入の7%に過ぎないわけだから、収入としては93%で非常に効率的なわけである。会費・入会金 収入のうち17.4%は機関誌発行に出ていってしまうことと比較してもその収入益の効率良さが 理解していただけると思う。
 収入が危機に陥ったら、会費の値上げも一つの手段であるが、会費の値上げは会員全員に影響の あることなので、総会などでも承認をとりづらいだろう。しかし、段位発行料の値上げのほうが 総会でも承認がとりやすいように思える。
 だが、ひとつ間違えると、段位の値上げは、囲碁界のトラブルのような地雷をかかえているという ことを忘れてはならない。
 そう考えると、収入を増加させる方法としての値上げはあまり好ましい方法とはいえないだろう。
 ひとつ段位発行の収入を増加させる良い方法がある。それは、競技者没後の贈段による昇段の制度 を制定することである。
 追贈○段ということで、故人の功績を讃える趣旨で、所属会や遺族が全日本かるた協会に申請し、 申請が認められれば、発行手数料を支払うということで、収入にもなるし、故人の栄誉にもなるので はないだろうか。
 もちろん、上限をつけなければならないだろう。
 たとえば、十段には、生前九段であった人しか認めず、贈十段と称するとか、生前八段だった人は 九段まで、七段だった人は八段までとかの決め事が必要なのではないだろうか。
 生前六段以下だった人は生前の段位プラス二段までとかとして、プラス二段の場合は、段位発行料は 二段分をそれぞれもらうという形などはどうだろうか。

 武道などでは、全日本選手権などで優勝する選手であっても、五段前後のクラスであることが多い。 競技かるたでも新名人になったときには五・六段であることが多い。これは、選手のピークとしての 段位と、その後の昇段の意味合いの差であるともいえるだろう。

 競技者のピークと最高段位に差があることを考えれば、故人に段位を贈って昇段させてその功績を 顕彰することも、段位制度の持つ意味として意義のあることであると感じる次第である。

 ぜひ、全日本かるた協会でも検討してもらいたい事項である。


(注記:2009年1月)
メールで、記載の誤りについて以下のご指摘を受けましたので、訂正しました。また、以下に指摘された内容を紹介します。
(1)名誉棋聖の記載を最初、藤原としてしまったのを「藤澤」に訂正。
(2)江戸期の囲碁・将棋の段位発行権を家元と記載していたのを「名人碁所」「将棋所」に訂正。
(3)「一度身につけた技芸の能力は落ちないという前提で段位が落ちない」という記述については、以下のご意見をいただきました。
◎一度身につけた技芸の能力は落ちないという前提は囲碁界にも将棋界にもない。囲碁は段位を下げたら段位による収入が下がるから降段ができない。将棋は順位戦があるから段位の降段の意味がない。
(4)「アマの段位発行は、ただの寄付行為。」という指摘をいただきました。
ご指摘ありがとうございます。
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