自戦記(3)

Hitoshi Takano Sep/2008

5.終盤に入る前に

 終盤の定義は、自分か相手の持ち札が5枚になって以降という定義をしている。 (「歌留多攷格」参照)
 不幸にして、自分自身のセミダブにより、8枚対7枚の1枚差が、一気に9枚対5枚の4枚差 となって、終盤に移行してしまった。
 「わび」という送り札の行き来により、魔が差してしまったこの状態。挽回はなるのか。

 「勝敗を決する最後の1枚まで、あきらめてはいけない。1枚、1枚を取っていくしかない。」

 ただ、これだけである。
 次の1枚に集中。
 ここから、この試合の終盤が始まった。

6.終盤

2008年6月7日(土); 於,慶大日吉和室
競技生活30年記念対戦(詠み73枚めまでの図)

高野 仁                 Y.A 
甲左下段 甲左中段 甲左上段   乙右上段 乙右中段 乙右下段
あはぢ         やまざ をぐ
        あらざ    
やまが            
             
つく            
             
             
    たき        
             
             
             
    なげき        
             
    みせ        
  よも         おほけ
おおえ やえ         あさぢ
甲右下段 甲右中段 甲右上段   乙左上段 乙左中段 乙左下段


 序盤の出が21枚。うち敵陣は7枚。中盤の出が15枚。うち敵陣は6枚。すなわち、ここまで 自陣の出が23枚に対して、敵陣の出は13枚である。ほぼ、2対1の比率で自陣が出ている。 細かくいえば自陣率64%である。
 その中で、私の自陣の取りが14枚、敵陣の取りが4枚。対戦相手のYAは自陣9枚、敵陣9枚 である。取りのバランスはともかく取った枚数は同数である。私のお手つき2回、YAのお手つき0 のお手つきの差が、9枚対5枚の4枚差にそのまま表れている。
 私の自陣キープ率は61%。相手の自陣キープ率は69%。敵陣奪取率は、この逆になるので、 私が31%で、YAが39%となる。
 枚数でみると、私の守りが上回っているように思えるが、率でみると相手の攻めのほうが私の攻め を上回っているといえる。
(74)「なげき」
 自陣上段右ゾーンで取る。記録によれば「上段確保」。3枚差。
(75)「い(まこ)」…空札
(76)「わた(のはらや)」…空札
(77)「やまが」
 ここまで出ていなかった「や」音がついに出る。敵陣に「やまざ」、自陣の左下段に「やまが」、 右中段に「やえ」。ここは、攻めて取るのが常道。YAにしっかりと抜かれるが、やむをえない感 がある。送りは「あさぢ」で右下段におさまる。4枚差。
(78)「おおえ」
 敵陣右下段に「をぐ」左下段に「おほけ」。「おおえ」は自陣右下段。さきほどの「や」音の2対1 の関係と今度は逆。しかし、出も逆で、さっきは2対1の2の側、今度は、2対1の1の側であった。
 記録では「聞き分けた」とある。「おほけ」「あふこ」は「オーケ」「オーコ」と読まれるが、 「おおえ」も本来「オーエ」と読まれるべきところを「オオエ」と読んでしまうということがある。 今回、そうであったかどうか覚えていないが、読みにそういうことがあれば、それは聞き分けやすい ということがいえると思う。
 ふたたび3枚差。
(79)「あきか」…空札
(80)「をぐ」
 「をぐ」は敵陣右下段。「おほけ」は敵陣左下段。2枚で「オ」決まりである。
 一字にしては、反応が遅かったが、なんとか敵の右下段を攻めた。取れた理由はただひとつ。相手 が、何故かこちらの陣に手を出していたからである。しかも上段の札が動いている。お手つきだった。 なんらかの錯覚があったのだろうか?「おおえ」の幻が残っていたのだろうか?理由はいい。こち らにとって千載一遇のチャンス到来である。
 このダブは大きい。一挙に5枚対5枚のセームとなる。記録によれば「ついに追いつく」との コメントがある。
 送りは「よも」と「たき」。「よも」は上段左ゾーンへ、「たき」は右下段に置かれる。また、 「おほけ」を右下段に移動した。私のほうも上段右ゾーンにあった「みせ」を右下段に移動する。
 この時点での配置図は次のとおりである。

80枚目まで

高野 仁                 Y.A 
甲左下段 甲左中段 甲左上段   乙右上段 乙右中段 乙右下段
あはぢ         やまざ たき
        あらざ   おほけ
             
つく            
             
             
             
             
             
             
             
             
        よも    
             
みせ            
あさぢ やえ          
甲右下段 甲右中段 甲右上段   乙左上段 乙左中段 乙左下段


(81)「やす」…空札
(82)「お(ほけ)」
 追いついたあと、追いついた側としては次の1枚を取ってリードを奪いたい思いでいる。そして、 追いつかれた方は、次の1枚を取って再リードを確保したい。特にお手つきのあとの1枚は、お手つ きしたほうは、キープしたいものである。
 ここで連続お手つきとかするとガタガタと崩れることになるし、この1枚は双方にとってj重要な 攻防の1枚なのである。
 それが敵右下段であった。まったく抜けない。がっちりとキープされてしまった。
 ふたたび、相手が先行する。
(83)「かく」…空札
(84)「な(げけ)」…空札
(85)「か(ぜを)」…空札
(86)「よの(なかは)」…空札
 空札の4連続。YAは、上段の「よも」を左下段に下げる。
(87)「つく」
 自陣左下段の札が出た。「つき」が残っており、お手つきの不安の残る札である。この札を相手に 抜かれる。この時の、私の気持ちは、攻め重視。やむをえないものの5枚対3枚の2枚差になり、 次の1枚をなんとしても取りたい思いが心をよぎる。
 送りは「よも」。私は右中段に置く。相手は、「やまざ」を左下段に移動し、左右のバランスを 取る。
(88)「あら(ざ)」
 敵陣上段右ゾーン。ここが遠い。しっかりとキープされる。3枚差。相手は2枚。次に札を取られ たらリーチがかかる。相手陣に複数枚あるのと1枚しかないのでは、リードされている立場としては 大違いである。相手が複数枚あるうちに、少しでも枚差を縮めなければならない。
(89)「よを」…空札
 ここで、YAの「よも」の送りが奏功する。私は「よも」を触ってしまうのだ。
 痛恨のお手つき。記録には「ガマンできなかった…」とある。「…」が記録子と私の思いを物語って いる。
 送りは、「やまざ」。左下段に「やえ」とわけて置く。「やえ」と並べておいて攻められたときに 守れる自信がなかったので、僥倖を頼った配置である。泣いても笑っても、相手は1枚しかないのだ。 残した札は「たき」。
(90)「あさ(ぢ)」
 自陣右下段でキープ。5枚対1枚。追いついた時の枚数にやっと戻した感じだ。しかし、それは 私の5枚で追いついて以降の戦いのまずさをあらわしているにすぎない。
 守りの強化のために、右中段の「やえ」と「よも」を右下段に下げる。攻められる危険もあるので 諸刃の剣なのだが、力一杯攻めに来てくれれば、敵陣の1枚の守りも薄くなるというメリットもある。 しかし、その敵陣の1枚はいつ出るかわからない。ある意味開き直りの博打でもある。
(91)「た(き)」
 勝つための過程には、どこかで敵陣を抜かなければならないという思いがあり、敵陣のチェック を怠ってはならないと肝に銘じていた。
 そして、敵陣の「たき」。
 私は、「抜いた」と感じた。相手の手が来たのはわかったが、1枚のみである。触ったのは私が 早かったと思った。記録によると「ほぼ同時」。YAも追いついていると抜かれていないことを 主張。私の取りと自分の取りでセーム以上はないというのであろうか。私も自分が早かったと主張 したところで、結局審判の裁定を仰ぐことに。記録にも相手欄に「審判が裁定」と記載されている。
 裁定は、私の取り。
 私は「や」音をわけるべく、「やまざ」を送る。相手は右下段に置く。最終盤において、お手つき のタネをつくることで、リードしているほうへ慎重さを感じさせ、少しでも隙をつくってもらう ためだ。
 お手つきの危険性は、自分も一緒だが、相手は1枚。こちらは4枚。相手の1枚の取りで終わって しまうのだから、勝っているほうが負けているほうよりも慎重になるということに賭ける思いで ある。
(92)「よ(も)」
 そして、結末は実にあっけなく訪れた。
 送った札を直後に攻めるのはよくあることだが、自陣の守りが甘くなった。あっさりと抜かれて 終わってしまった。
The End.
 4枚差。
 最後まで、2回分多かったお手つき分の枚差を縮めることができなかったのだ。
 終盤は、敵陣の出が4枚で自陣の出が6枚。私の取りは敵陣2枚、自陣3枚。相手の取りは、 敵陣3枚、自陣2枚。お手つきは双方1回ずつ。終盤に限っていえば、自陣キープ率、適陣奪取率 は双方共に50%であった。

 結局、私は、敵陣6枚、自陣17枚。相手は、敵陣12枚、自陣11枚。お手つきは私が3で、 相手が1。YA陣の出は17枚(37%)。私の陣の出は29枚(63%)。自陣キープ率は、 私が59%、YAが65%。敵陣奪取率は、私が35%、YAが41%ということになった。
 お手つきは、私が3枚すべて自陣の札に触れているのに対し、YAは敵陣でのお手つきと、対照 的であった。私の攻めが甘く、自陣の取りに依存しているといわれてもやむをえないか。

 さて、この決戦前の団体戦を行った2回戦では、私たちには選択肢があった。自分自身が団体戦 に出るという選択でも、監督専業で試合にはでないでもいいという選択肢だった。
 私には、3試合目の決戦に備え、監督専業でもよいと思っていたが、YAは当然のように取る という選択だった。
 結局、私も団体戦を取ることを選択したが、このあたりの積極性ですでに勝利は私の手からこぼれ おちていたのかなという思いがしている。
 次の対戦がいつになるかわからないが、悔いが残らぬよう積極的な試合をしたいと思っている。

 競技生活30年記念対戦を企画・実行してくれた後輩達と対戦相手のYAに感謝して、この自戦記を しめたい。

 「ありがとう。」

…… 終わり ……

☆ 自戦記(1)序盤へ ☆
★ 自戦記(2)中盤へ ★

「自戦記」のINDEXへ

次の話題へ        前の話題へ


"競技かるた"に関する私的「かるた」論のINDEXへ
慶應かるた会のトップページへ
HITOSHI TAKANOのTOP PAGEへ

Mail宛先