早期教育論

〜早期教育の是非〜

Hitoshi Takano Oct/2010

 早期教育などというと大上段に構えたように聞こえるが、競技かるたを始める 時期というものを考えてみようということである。
 西郷名人は、小学校・中学校・高校・大学の各世代で日本一になっていること で知られる。小学生から競技かるたに親しんできた選手である。楠木クイーンは9歳でかるたを始め11歳でA級にあがったと聞く。ほかにも、小学生 のころから、競技かるたに親しんでいる強豪選手、名選手は多い。
 一方、高校から始めたところでは、望月元名人がそうであるし、大学から始めた ところでは種村永世名人がいる。
 ここで、早期教育という場合は、小学生から始めた層を念頭において考えること とする。
 小学校から始めることの問題のひとつには、身長がまだまだ充分に伸びきってい ないということがある。
 小学生が大人にまじって、競技かるたを行うと、競技線が広すぎて、どうしても リーチが届かなかったりして、自分の身長にあった払いにならざるをえない。
 そうすると、身長がのびたのちも、子供のころの背の低かった頃の払いの癖など が残ってしまうことがある。
 指導者はここを気をつけて指導する必要があるだろうし、小学生の体格に合わせた 小さめな競技線を設定して払いの練習をさせるなど、成長してからのことをも考えた 指導の工夫が求められるだろう。
 もうひとつは、何かがきっかけで嫌いになったり、競技から離れたりしてしまう ことである。
 子供といって一概に一括りしてはいけないが、やはり、大人とは違って感情の コントロールが充分にできないということは言えるのではないだろうか。
 もちろん、子供であっても個性があり、一人一人の個性を見ながら指導しなければ ならないが、褒めて伸びる子もいれば、叱って伸びる子もいるので、見極めが 必要だ。また、タイプの違う子供たちを一緒に指導する場合は、子供たちの感情は 微妙に絡み合うことになるだろう。
 そうした中で、叱られるのが嫌でやめてしまう子がいたり、大人との対戦に馴染め なくて、大人との対戦をさけているうちに離れていってしまう子もいたりするだろう。
 札の取りの主張に馴染めず、泣いてしまったり、勝負に負けて泣いてしまったり、 感情のコントロールができないことで、トラウマみたいなものができてしまうような ケースもあるだろう。
 成長していけば、感情のコントロールもできるようになるだろうが、子供のこうした 感情の機微には、指導者は充分に意を用いなければならない。
 子供は、こうしたことから学んで成長していくのだから、勝負ごとを何もしない 子供よりは、精神的成長の手助けになるような効用もあるのではないか。こうした 競技かるたの効用を上手に指導にいかせないと、嫌な思い出やつらい思い出が残って しまい、二度とかるたに関わりたくないというような思いを抱かせてしまうかも しれない。
 つらいこともいやなことがあっても、それを上回る楽しさや達成感を教えながら指導 していくことが大切であろう。
 逆に、早いうちから始めることの良さもあると思う。
 一つは、音に対する感覚に関してである。幼いころに訓練すると絶対音感が身につく といわれるが、5歳くらいまでの話しであるので、競技かるたの感覚を身につけるにの にこのくらいの年齢でというのは、いささか無理があるようにも思う。
 しかし、音と行動等の関連性の神経細胞を強くしていくには、成長期に訓練したほう が、より強固になるように思う。(科学的根拠の裏づけなしに書いておりますが…)
 そうすると、音に反応して行動を起こすという訓練を、いろはかるたではなく小倉 百人一首の決まり字できちんと行うのであれば、早いほうがよいという理屈も成り立つ のかもしれない。
   小学校時分から競技かるたを取っている一流選手をみると、幼い頃からの積み重ね の上に現在があるのではないかと考えさせられることがある。
 やはり、早期教育は効果があるのではないだろうか。
 もう一つは、勝負勘の涵養という点である。
 これも根拠のない話だが、幼い頃から一つの競技に関わって続けていると、自然と 勝負勘のようなものが養われるのではないだろうか。
 何か理論を越えた勝負術を自然と身に着けているようにも感じる。第45期 クイーン戦第3戦で渡辺令恵クイーンが終盤に中村恭子挑戦者の陣に友札をつける ように送った勝負術などは、まさに、過去から培ってきたものがそこで顕現した のではないのだろうか。

 早期教育の是非を考えるテーマであったが、いささか根拠に乏しい文章になって しまった。
 しかし、人それぞれの競技との出会いのタイミングがあることと思う。ある人は 幼い時から親に教えられて嫌になってしまうかもしれないが、ある人は、大選手に 成長するかもしれない。
 子供の頃に親から教えられていたらやめていたかもしれない人が、幸いにも大学 で競技かるたに出会って、一流選手になるという可能性もある。
 こればかりは、わからないが、早期教育を実施する場合には、嫌にならずに継続 させる指導上の工夫が必要なことは確かだと思う。
 その指導が実現するのであればという条件付で、ここでは、早期教育は「是」と いう結論といたしたい。

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