私の“かるた”に影響を与えた言葉(V)

Hitoshi Takano SEP/2010

そりゃぁ、その時の調子で、かるたも変えるさ

 かるたを初めて2年めくらいのことである。私のかるたに様々に影響を与えたI先輩の 言葉である。
 I先輩といえば、言葉は悪いが「ブリブリの攻めがるた」、お手つきなどものともせず に攻める、攻める。そして、攻めて戻る。上段などひっかけても、顔色一つ変えない。 そういう人である。(当時)
 お手つきしても顔色一つ変えないので、「ものともせずに」と書いたが、実際のとこ ろは、そんなことはなかったであろうが、当時の私としては、大学のサークルの大先輩 (1年生のときにすでに5年目だった)に対して、そんなことを考える余裕はなく、お手 つきしても、その分を取る先輩というイメージだった。
 「顔色一つ変えず」というのも、実は意図的なポーカーフェイスということを相当 あとになって聞いた。勝負に携わる人間は、一喜一憂せずに、表情に出さすにクール にきめなければならないということを実践していたのであろう。
 こういう先輩だから、私は対戦しても、基本的にいつも札が取れない。攻めても取れ ず、守っても取れずで、友札を自陣から先に手を出そうものならば、「攻めなきゃダメ じゃないか」と注意され、押さえにいこうものなら「押さえちゃダメだ。払わなきゃ!」 と叱られる。
 札を減らせるのは、相手のお手つきと、敵陣の友札を精一杯攻めて取りにいってやっと ということだから、いつもタバ負けである。
 そんなある日、I先輩と練習で対戦したが、いつもと違うのだ。あのいつもの鬼攻めが 来ないのだ。そして、お手つきもしない。
 その代わり、私のほうもいつもより敵陣を取らせてもらえるし、いつもなら抜かれ まくっている自陣の右下段の札が取れたりする。リードはされるものの、大差にならず に後半に入ることができたのだ。
 結局は、7枚差で負けたが、いつもの相手のしたい放題というかるたが、取って取ら れてのかるたで、お手つきもない試合をI先輩としたのだった。
 不思議に思った、私は、終了後に先輩に、いつもと違うように感じたことを率直に 話した。そこで、かえって来た返事が、今回の一言である。

 「そりゃぁ、その時の調子で、かるたも変えるさ」

 どうやら、修士の実験などで忙しい中、余り寝てない中で練習に来ていたらしい。
 とにかく、時間があれば練習に顔を出す先輩で、「風邪なんかかるたを取ればなおる」 とのたまわった方である。本当に、練習熱心さは、我々後輩のお手本であった。
 この言葉を聞いて、私は、感心した。「変わるさ」ではなく「変えるさ」なのである。 受動的ではなく能動的な言葉なのだ。感心は、自分の体調で、自在に自分のかるたをコント ロールできる技術にもそうであるし、自分の体調を感じ取って、それで取りをかえる という決断のできる判断力にもである。
 A級で入賞するような選手は、こういうところが違うんだなぁと深く実感したのだ。
 私が、この経験を生かすまでには、しばらくの時を必要とした。当面は、自分の調子 などを考える余裕もなく、ただ、ひたすらにがむしゃらに練習していくしかなかった。 特に1年時に、入学した4月から12月までの練習量が他の1年生より少なく、1月 になってから練習量が増えだした私としては、練習量をふやすことが、何よりだった。 後輩の1年生にも負けたくないという気持ちも働いていた。
 3年の秋にA級にあがっても、I先輩のように「その時の調子でかるたを変える」と いうことなどできなかった。
 しかし、この言葉は、印象に強く残っていた。そして、就職して、学生時代のように 練習量が確保できなくなってきた時、そうせざるをえない自分を感じ始めた。
 かるたを始めて30年を越えたが、「変わる」ことはあっても「変える」ことは なかなか実行できない。しかしながら、「その時の調子でかるたを変える」ことの大切 さを感じて試みてきたからこそ、こうして長く続けていられるのかなとも思うのである。

 年数を重ねれば重ねるほど、重みと深さを感じる言葉である。

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