右下段論

〜現代かるたの急所〜

Hitoshi Takano JAN/2011

はじめに

 私的「かるた」論の第1回で「上段論」を取り上げ、第20回で「中段論」、 第30回で「左下段論」と論じてきた。
 今回、第40回をむかえ、最後に残った「右下段論」を論じてみることに した。

攻めの主軸としての右下段間対角線ライン

 「攻めかるた」全盛の現代のかるたを見ると、敵の右下段への「攻め」が軸に なっていることには異論がないものと思う。
 対戦者双方が双方の右下段への攻めを軸とすれば、向かって左の奥から右手前 の対角線が一番の激戦区・主戦場になると言ってよいだろう。
 この対角線ラインが攻撃の大動脈であり、敵の右下段こそが最大の攻撃目標と 言っても過言ではない。
 何故か?
 右下段は、相手の守りの要である。相手にとっても一番早く守れる場所である。 守りの要というのは、守るべきものがあるからであり、相手の守るべきものを攻 撃するのは戦略の要諦である。
 実は、冷静に考えれば札一枚の価値は本質的同じなのだが、自陣の中でも 比較的取りやすい場所である右下段の札を置くこと、もしくは、ある特定の札を 右下段に置くという意味を相手が持たせているとすれば、その相手の意図を 砕くことにつながるので、競技全体の中で札一枚ではあっても、戦略的な意味を もつのである。
 ゆえに、右下段を攻めるのである。
 逆に守る側からすれば、相手の攻めの目論見をはずすことができれば、これ また、競技全体の進行の中で、相手の狙いをはずしたもしくは狙いを防いだと いうことで戦略的価値をもつのである。
 このような戦略上の意味から、双方の攻めの軸、攻撃の大動脈になりうるので ある。それは、攻撃のみにとどまらず、攻防の要なのである。

攻防の基点としての右下段

 相手陣の右下段を払うべくに真っ先に手が出た場合、そこからの方向転換の しやすさは、他の場所の比ではない。たとえば、左右に分かれている渡り手を 考えてみよう。敵の右下段は自分からみれば左、敵の左下段は右。この時、 自分から見て左→右の順で左右両方を払うほうが、右→左の順で払うより 払いやすいことがわかるだろう。
 別れ札の縦の関係も、敵右下段から自陣左下段の戻りであれば、身体の 重心の移動からいっても戻りやすい。
 敵右下段と自陣右下段の対角線の戻りも、敵左下段と自陣左下段への対角線 と比べれば、はるかに重心移動がスムースに行えるはずである。しかも、この 対角線は前節で述べたように競技の軸の部分であるから、双方が重視している ラインでもある。
 この他の3ブロックへの方向転換のしやすさからも、攻めの第一陣として 敵の右下段に目標を置くことは、その後の攻防の基点としての意味をもつので ある。
 また、右下段が目標であれば、右中段・右上段が出札のときも、進入角の 修正や、手首の返しや重心移動などの手法での微調整で対応することもで きる。
 これらの点からも、敵陣右下段への攻撃を重視することは、理にかなっている といえる。

自陣の守りとしての右下段

 敵陣への攻めの対象としての、敵右下段の話を中心に進めてきたが、裏返せば 敵から攻撃される対象としての自陣右下段がある。
 攻められる対象ではあるが、守りの立場から言うと圧倒的に距離の利がある のが自陣である。出札が読まれる前に、自陣の下段の札の一番手前のラインより 手を出してはいけないというルールがある。これを考えれば、左右の競技線の 真ん中に手を置いていたとして双方の右下段に5枚程度札があったとして、 自陣の右下段の内側の札までは、十数センチである。敵陣の右下段の一番内側 まではざっと60センチくらいはあるのではないだろうか。
 この距離の差は大きい。あきらかに守りが有利であろう。
 攻める側は、その距離の不利をものともせずに取りに行くのである。幸い、 競技かるたでは決まり字があり、決まり字前に払うとお手つきの危険性がある ので、決まり字の音が読まれ、出札が当該札であると決まるまでのわずかな 時間の間に、この距離の不利を補うだけの攻撃をかけるのである。
 そこを守る側が同じように敵陣への攻撃をかけていれば、戻って取るのは 難しいことであろう。しかし、攻めずに自陣を守ろうとしていれば、決まる までのわずかな時間でのしのぎを削る攻防が、そこに出現する。守る側とすれば 相手よりも早く取るために、距離の利プラス絶対的スピードで取るのが理想 だが、それは一字決まりくらいだろう。二字以上の決まりになると距離の利は さほど活かせない。なぜなら、二字までの時間があれば、敵陣まで手が伸びる ことは充分に可能だからである。そうすると、相手の攻撃のラインに手を出し てガードするような取りを工夫したりすることになる。
 右下段に大山札(6字決まり)があるようなことを考えてみれば、距離の差 がいかに無意味かがわかるであろう。ただし、そこは地の利があるというか、 敵陣で大山札を囲うよりは自陣のほうが囲いやすいということがいえるくらい の利はあるかもしれない。
 しかし、音の別れで、右下段を守ってから敵陣に攻めに行くのでは、敵陣への 攻めは、攻めて戻るよりも遅くなる。
 ここが、競技全体の中では、右下段とはいえ守りの難しいところである。
 しかし、最終盤の右下段は決まりも短くなっており、特に1−1の運命戦など では、ここをラスト1枚を守り抜く場所として選択する選手が多い。
 その理由は、やはり距離の利と取りやすさからのものに違いないだろう。
 守りの場所としても右下段は重要な場所なのである。

右下段重視の陥穽

 ここまで、右下段が攻撃の大動脈、攻防の要諦であることを述べてきたわけ だが、この結果として右下段対角線の幹線道路が混雑することになったともいえ るだろう。幹線道路が混雑し、渋滞になると、渋滞を避ける意味で抜け道を通る、 迂回路を探すというような傾向もあらわれてきたように思える。
 敵の右下段は攻めるが、攻撃の標的になっている右下段は守らない、取られて もいい札を置くという選手もあらわれてきたように思う。こうした選手は、右下 段をダミーとして、他の置き場所で自陣の札を守るのである。
 右下段の攻撃が双方に厳しくなりすぎたゆえの皮肉とも言える。
 右下段対角線の攻防に労力を割くよりは、ここの防御に力を注がず、他の攻撃 の対象になっていないところで守ったほうが、試合の流れ全体の中での効率が 良いという実利を求めてきたゆえである。
 右下段重視のゆえの落とし穴ともいえる。
 右下段を攻める理由が敵が守りやすいところを攻めるということであるならば、 右下段の守りを放棄した相手に対しては、相手が守りの中心としているところの 攻めに注力するという攻撃側の選択も生じる。このような攻防の拠点の変化が 起こると、右下段対角線の幹線道路は渋滞から解放される。渋滞が緩和されれば、 再び車が通行することになり、攻撃の大動脈が復活する。
 一試合の中での変化もあれば、もっと大きな競技かるた界全体の攻撃スタイル の流れにおける変化の部分もある。
 こうした様々な変化の中で、右下段の攻防のあり方を自分なりに工夫することが 重要になってきているのだ。

おわりに〜現代かるたの急所〜

 以上のように右下段について様々な視点から見てきたわけだが、その攻防のあり 方に変化も見られはするが、右下段の攻防が、現代かるたの急所であることは否定 できないところである。
 真っ向から対角線大動脈に向き合うもよし、迂回の方法を考えるもよし、選択す るのは選手自身であるが、たとえ迂回策を採ったとしても、この右下段の攻撃と 守備に関しては、急所である以上は技術を磨いておく必要がある。
 迂回策でうまくいったからといって、いつ右下段の対角線のせめぎ合いが試合 の帰趨を決することになるかわからないからである。
 競技をする上では、右下段の重要性を認識して臨んでもらいたいものである。


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