中納言行平

立ち別れ稲葉の山の峯に生ふる
   まつとし聞かば今帰りこむ


決まり字:タチ(二字決まリ)
 お別れして因幡の国に行っても、あなたが私を待っていると聞いたならばすぐにでも帰って 来ましょう。
 この歌は、国名の「因幡」と「往なば」を掛け、「松」と「待つ」を掛けている。行平が 因幡守として因幡の国に赴任するときに、見送る都の人に向かって詠んだと言われるが、 逆に、因幡の国から都に帰るときに詠んだという説もある。

 作者の行平は阿保親王の子で、在原の姓を賜った。弟は伊勢物語等で有名な業平である。
 業平もプレイボーイで有名だが、行平にも浮いた話がある。事情があって須磨に籠らざるをえない 時期があったが、そこで松風・村雨という汐汲女の姉妹と馴れ染めたという話である。
 これが、源氏物語の光源氏の須磨の巻の下敷きとなったという。

 行平は、参議兼太宰権帥を経て中納言にいたる。対馬の国費を海運していたところ、半数が 沈むようなことがあって届かないことがあった。そうした中で、太宰権帥として、壱岐の水田を 再開発などしたり、無駄を省いたりして、政治的治績をあげている。
 また、奨学院という賜姓王族の子弟の教育機関を設立するなど、弟の業平よりは、有名では ないかもしれないが、政治的実績の点でははるかに上回っていると言えよう。
 なお、業平の享年は56歳であったが、行平は76歳の長寿を全うした。

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2008年5月2日  HITOSHI TAKANO