大納言公任
瀧の音は絶えて久しくなりぬれど
名こそ流れてなほ聞えけれ
決まり字:タキ(二字決まリ)
上の句の一句めと二句めの頭に「た」音が2回、下の句の四句めに「な」音が一音めと四音め
に2回、そして五句めの頭に1回と、計3回と、「た」音・「な」音の使い方に工夫があり、耳
にも心地良い歌である。
嵯峨大覚寺に行った時に詠んだ歌である。滝の流れ落ちる音が絶えて随分とたってしまったが、
嵯峨上皇が造られたという滝の名声は今も有名であることだ。
作者は、藤原公任、関白実頼の孫、関白頼忠の子である。しかし、時の政権は公任の頃には兼家流
に移っていってしまっていた。兼家の子の道隆の中の関白家、道長の御堂関白家である。公任は小野
宮家であったが、小野宮流が摂関の地位につくことはなかったのだ。別名、四条大納言。
大堰川での船遊びの際、詩歌(漢詩)、和歌、管弦の舟を浮かべて、どの舟にでも乗れるというの
で「三舟の才」と褒め称えられる。
結局は、この時は和歌の舟に乗り「小倉山あらしの風の寒ければ紅葉の錦着ぬ人ぞなき」と詠んで、
喝采を浴びる。しかし、詩歌の舟に乗っていたらば、もっと名声があがったであろうと後悔したとい
う。やはり、当時の知識人にとっては、漢文や漢詩に長けていることがステータスであったのである。
「和漢朗詠集」の選者であり、「新撰髄脳」という歌論書を著している。当代一流の文化人であり、
歌学の雄であった。76才の寿命を全うした。
さて、この歌でリンク数は75である。百首中の4分の3が終了した。残り25首のうち、
坊主が4首(坊主13首の31%)、姫が10首(姫21首の47%)は、少々偏ったかの感が
否めない。エピソード的に言うと、書きにくいのは確かなのだが…。
「あ」で始まる「あ」札は6枚(16枚中の37.5%)残っている。これも後回しにしてしまった
感がある。なかなかバランスよくはいかないものだ。
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2008年4月25日 HITOSHI TAKANO