<百人秀歌>


大納言公任

瀧の音は絶えて久しくなりぬれど
   名こそ流れてなをとまりけれ


 「なほ聞こえけれ」(一首)←→「なをとまりけれ」(秀歌)の違いは、他の歌の古体を使った という違いなどとは異なり、大きな変化である。
 秀歌の場合は、「とまる」は、「とどまる」・「のこる」という意味であり、瀧の名が 後世にまで残るという意味と、瀧の音が絶えているのだから、瀧の水(音)が止まって しまっているということの掛詞として考えるのがよいだろう。
 しかし、小倉百人一首のほうでは、「聞こえけれ」である。瀧の音は絶えて久しいの だから、その音が聞こえるわけではなく、瀧の名声が聞こえるということなのだが、 ここで「聞こえけれ」と使うと、絶えて久しくなってしまった瀧の音が、瀧の名声 とともに、現在によみがえって聞こえるような気がするということをもいいたいのだ というように解釈できないだろうか。

 すでに涸れてしまった瀧、当然、瀧の流れ落ちる音さえしない。しかし、そこに訪れ、 耳をすまして、名声をはくした瀧が、過去に流れ落ちていた時に思いを寄せてみる。 すると、自然と聞こえるはずのない瀧の音が、心の中で聞こえてくるのだ。

 「とまりけれ」ではなく「聞こえけれ」のほうが、歌が深くなるように感じるのは わたしだけだろうか。

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2008年6月6日  HITOSHI TAKANO