一枚足りない,うらめしや〜!

Hitoshi Takano Feb/2002

 様々な競技に「反則負け」とか「失格」というものがある。これは、ルールにより定められているから、発生しうる。競争競技においてスタートの時にフライングを2度すると失格(これも競技によって同一人の2度目の場合と、同じスタートでとにかく2回目にやった人が失格となる場合とがあったりもする)とか、格闘技において使用してはならない攻撃技をかけて、反則負けとかいう場合である。
 これも、注意、減点、反則負けと順を追うタイプの競技もあるが、いきなり「反則負け」という競技もある。
 相撲では、まげを掴んで引き技を決めれば、即時に「反則負け」になる。そこには、故意も偶然もない。偶然であっても反則負けを取られる。きびしいルールだ。
 ルールが厳しいと感じるものに「将棋」や「囲碁」がある。指し手や打ち手は、駒や石から指が離れたら、指しなおしたり、打ちなおしたりすることはできない。「あっ、しまった、間違えた」と指が離れたあとに指しなおしたり、打ちなおしたりするようなら、即刻負けを取られる。
 二手指し・二手打ちは、もちろん反則負けである。将棋でいえば、「二歩」や「成り間違え」、駒の「進み間違え」、行きどころのないところに駒を打つこと、すべて反則負けである。囲碁でコウをすぐ取り返すのも反則負けである。すべて、指が駒・石から離れた時点での反則負けである。
 競技かるたの規程「第十二条」に「送り札の選定は送者の任意とする。但、一旦送りたる札は如何な事由あるも他の札と変更する事を得ない。」というのがある。これも、送り札から指が離れたら、送りなおしはきかないということである。しかし、もし、試合で、一旦指が離れた後で、やはりこちらと別の札を送りなおしたら、即「反則負け」になるのだろうか。競技会での実例をみないが、相手からクレームがつけば最初の札を送って、試合が進行するように思う。これで、反則負けを取られたという話しは寡聞にしてきかない。
 最近この“TOPICS”欄で話題にしたプロ化への流れで話しをするならば、もし、競技かるたもプロ化をはかるのであれば、この辺のルール解釈は厳しく規程しておき、少なくともプロの試合では、「反則負け」でもいいのではないかと思う。

 さて、競技かるたの規程の「第一条」には、「競技は相対せる二人の間に行い、持札各二十五枚とし、早く持札の絶無となりたる者を勝者とする。」という文がある。
 通常、競技かるたは、自陣に25枚、敵陣に25枚の札を持ってスタートする。初心者のころ、「24枚で始めてしまって、試合途中で気づいたらどうなるんですか?」と先輩に尋ねたことがある。先輩の答えは、「負けだよ。」 であった。26枚で始めて気づいたケースは、疑問にもしなかった。本人不利だから、本人が勝手にハンデを背負うだけなのだから…。
 実際に26枚開始や28枚開始という多く間違えたケースは練習では目撃したが、24枚開始などという少なく間違えたケースは見ないまま数年が立った。(何故か少ない場合は、15分の暗記時間中に気づく。多い場合もこの時間に気づくことが多いのだが、たまに気づかずに始めてしまうケースがある。)
 ついにその時が来た。
 職域という団体戦で、私の後輩たちのチームの相手の一人が24枚で始めてしまったのだ。それは、数枚詠まれてから、後輩が相手が少なかったことに気づいたのだった。後輩は、相手にそれを指摘し、相手が負けであると主張した。それは、私が先輩に聞いたように、私は後輩にもそう伝えていたからだ。後輩は同意を求めるかのように私のほうを見る。審判長を置く競技会であるから、私は審判に裁定を仰ぐように指示した。

 通常は、100枚の札から双方25枚ずつ50枚を無作為に抽出するが、職域大会などのように試合では進行を早めるため、あらかじめ使用する50枚が同一になるように札をわけておく場合がある。この時も、大会本部が事前に分けていた一山を崩して25枚ずつとったはずなのである。しかし、この準備された札の一山が49枚しかなかったのだ。
 通常は、25枚数えるから並べる前に一枚不足していることに気づくはずだ。しかし、競技者は用意されていた山は50枚だという思いこみをしていたのだろう。死角であった。
 この場合、25枚ずつでスタートできなかった責を、札を準備した大会本部に求めるのは筋違いだと思う。対技者が数えて、札を双方で分けるときに「一枚足りません」と大会役員に言うのが筋である。それを怠ったのは事実なのである。

 結局、審判の裁定はどうであったか?

 「25枚ずつという確認をするのは対技者双方の義務である。よって、試合開始前に見逃したほうにも責任があるので、そのまま続行とする。」

 一見、正しい理屈ににも思える。でもそうだろうか。私は釈然としない。私が知っている判断事例はこれだけであるが、私はやはり、少なく始めてしまったほうが「反則負け」として、「負け」を宣するべきであると思う。
 競技規程の第十一条には「札の紛失せるままその札を読まれたる時は紛失者はその札を取られたるものと看做す。」とある。ここでは、対技者双方の義務を問うてはいない。その札を持っている競技者一人の責なのである。 これを考えると、「第一条」に定めている規程を満たしていないのであるから、満たしていない競技者の責に帰すべきものであると思う。もしもプロの試合であるならば、「反則負け」の適用が適切であろう。アマの試合であっても、せめて少なく始めたほうが、通常に始めたほうから不足分の枚数を受け取るようなルールがあってもいいのではないかと考える。なぜならば、第一条は、25枚という枚数の規定とともに競技開始の公平性を規定していると解釈されるからである。
 多い枚数で始める分には、自分が不利なのだから罰則はいらない。しかし、少なく始めるという本人有利なミスをたとえ故意でなくともおこなってしまった場合は、罰則がなければ、競技者同志の信頼関係に亀裂を生じさせかねないと思うからである。人間は全員が性善説のもとにあるのではない。性悪説のもとにもあるのである。私も、競技かるたを行う人の人間性を信じている。しかし、ルールは不正をおこさせない抑止力でもあるのだ。

 私の主張は以上であるが、ここで紹介した事例においては、規程の附則「審判員の附せる競技者が審判員に判定を問いたる時は、審判員の判定に従わねばならない」によって、裁定にしたがった。ここでいたづらな主張は事態を混乱させるだけで、試合全体を中断しかねないものだったが、それを行わなかったことは適切な判断であった。後輩は不利な状態で続行を余儀なくされたが、気持ちを引きずらずに勝利を勝ち取った。
 逆に対戦相手のほうは動揺を隠せなかったように見受けられた。
 トラブルが起こっても、選手が気持ちを引きずらずに割り切れるようなルールの整備を期待している。

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