プロ化の可能性

Hitoshi Takano Jan/2002

 昨年最後のTOPICの流れで、今回は、実際に「競技かるた」のプロ化の可能性について考えてみたい。

 2002年の名人戦・クイン戦が終わった。西郷名人、渡辺クインともに防衛を果たした。その試合、そして試合にいたる背景ともにプロという表現の世界においても、差し支えのないものだと思った。
 不謹慎かも知れないが、クイン戦においては母親の死を乗り越えての11連覇の達成。名人戦においては現名人自身が名人位を奪取した相手の挑戦を受けての4連覇達成。戦前の予想や、試合経過は、囲碁や将棋のタイトル戦が新聞に掲載されるのと同様に読者を引きつけるものであった。
 ただ、惜しむらくは、一部新聞で前日にクイン戦の背景を取り上げる記事が出たものの、あとは例年と同程度で、大きな記事にはならなかったことである。

 さて、プロ化の可能性をさぐるとすると、この新聞社等、メディアとの契約料が不可欠であり、囲碁・将棋界においてもこの棋戦契約料による収入が重要な収入源であることは言うまでもない。
 しかしながら、実際には、競技人口の少なさともあいまって、囲碁・将棋のような契約料を取るのは現状では困難と言わざるをえない。毎日、競技かるたの観戦記が掲載されるから、それを掲載している新聞にかえますなんていう人は、いったいどのくらいいるだろうか。新聞社には、国民の健全な文化を保護育成するつとめがあると主張したところで、採算性を度外視して行うことはできないだろう。
 そうすると今できるプロ化の方策は、陸上競技の選手(有森裕子選手や高橋尚子選手)が行ったような方法ではないだろうか?しかし、この方法にもスポンサーが必要だ。実際には難しいだろう。
 ただし、宣伝効果という面を強調すれば、スポンサーの獲得の可能性は出てくるかも知れない。たとえば、丈夫で美しい着物のイメージをクインを専属キャラクターにして売り出すとか、カルタの札でも「○○永世名人好み」の札とか、畳のキャンペーンなど、商品に密着したイメージキャラクターにならないだろうか。
 そういう意味では、今年の正月に某ビール会社の宣伝に「競技かるた」と「選手」の皆さんが起用されたのはまさにこの先駆け的意味合いがあると思う。

 さて、では、こうしたことをふまえて、可能性のある「プロ化」の提案をしよう。「プロ化」の必要性は、競技かるたの社会的認知を高めるためにあると考えているので、いわゆる賞金と対戦料で食べていけるトーナメントプロの枠組みをつくるのが困難な現在、できるところからやりたいのである。

 いかがであろうか?
 オリンピックにもプロが出場する時代である。大会の試合のスタイルはプロ・アマ混合でよいだろう。ただし、プロのみの試合、アマのみの試合というのも増設して欲しいものである。

 そして、プロのみの試合は、予選と本戦トーナメントにわけて、本戦以上には、たとえわずかであっても、対戦料と賞金は出してほしいものである。そして、いずれはプロのタイトル戦を実現していきたいと思う。

 この提案には時期尚早とか、おそまつとかいう批判もあるだろう。しかし、おそまつだからこそ、すぐにでもできる案なのある。この方法であれば、あとから変えることもわりと簡単なはずである。まず、行動をおこすことが肝要なのである。

次のTopicへ        前のTopicへ

トピックへ
ページターミナルへ
慶應かるた会のトップページへ
HITOSHI TAKANOのTOP PAGEへ

koisucho@yahoo.co.jp
(@は半角"@"でお願いします)