愛国百人一首

松本奎堂

君がため命死にきと世の人に
   語り継ぎてよ峰の松風


<愛国百人一首における決まり字>
キミガタメイ(6字決まり)
<愛国百人一首における同音の数>
キ音10枚のうちの1
<歌意・鑑賞>
 詞書に「十津川にて討死にしける時」とある。辞世の句である。
 大君のために今この山中で一命を捧げたと、世の人々に語り継いで言い伝えてくれ、峰の松風よ。
<コメント>
 三河刈谷藩士印南維南の次男で、名は衡、通称謙三郎。松本氏に養われる。江戸にて昌平黌で学ぶ。 文久元(1861)年に大坂で双松岡学舎を開き、のちに京都に移り、藤本鉄石、 吉村乕太郎らと交わる。文久3(1863)年、藤本、吉村らと ともに天誅組を組織し、同志30数名とともに中山忠光を擁して京都を脱出し、大和十津川に 挙兵する。天誅組の乱である。しかし、この挙兵は失敗に終わり、鷲家口にて戦死する。34歳で あった。
 若い時に槍の稽古で左眼を突かれて失明していたが、この十津川の陣にて右眼を失い、両眼ともに 失明する。この状態でかごに乗って戦闘したが、最後の戦いの日、駕籠を担いでいた人夫に山中に 棄てられ、無念の死を遂げたと伝えられる。

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2008年5月31日  HITOSHI TAKANO