愛国百人一首

吉村乕太郎

曇なき月を見るにも思ふかな
   明日はかばねの上に照るやと


<愛国百人一首における決まり字>
クモリナキツ(6字決まり)
<愛国百人一首における同音の数>
ク音2枚のうちの1
<歌意・鑑賞>
 天誅組挙兵で高取城攻撃の際に腹部に重傷を負う。駕籠に乗って兵を指揮したといわれる中、 この歌を詠んでいる。重傷での戦の中、いつ死ぬかわからないという思いが歌に感じられる。
 一点の雲もない澄み切った月を仰ぐにつけても思うことである。陣中で生きながらえては いるが、いつとも知れぬ私の命であるから、明日の晩には私の屍がこの月の光に照らされて いるのではないかと。
<コメント>
 乕太郎は、「とらたろう」と読む。「寅太郎」とも「虎太郎」とも表記することがある。 名は重郷。土佐藩士で、文久元(1861)年に、武市瑞山の勤王党に参加し、 真木和泉平野国臣らと 交流する。文久2年に脱藩し、国事に走るも、捕らえられて土佐に送還される。文久3年に 上京し、藤本鉄石・松本奎堂らと天誅組を組織し、大和に 倒幕の兵をあげるが敗死する。享年26歳。

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2008年6月1日  HITOSHI TAKANO