愛国百人一首
伴林光平
君が代はいはほと共に動かねば
碎けてかへれ沖つしら波
<愛国百人一首における決まり字>
キミガヨワイ(6字決まり)
<愛国百人一首における同音の数>
キ音10枚のうちの1
<歌意・鑑賞>
詞書には「亜米利加国の使船伊豆下田港に来れるにいとやんごとなき御方より寄国祝の歌よめと
仰言あり」とある。中宮寺宮の仰せ出しにより寄国祝の題で詠んだ歌である。
なお、この歌では「沖つ白波」は亜米利加船のことを指している。
天皇の治めるこの御代は巌が動かないように、微塵も動くものではないのだから、岩にぶつかって
波がくだけるように、さっさと帰りなさい沖つ白波(米国船)よ。
<コメント>
寄国祝という題で「帰れ」という意の歌なのだからえらく痛烈な皮肉である。
文久3(1863)年、十津川で挙兵した天誅組の変で捕らえられ、翌年京都で斬られた。52歳。
もとは、僧籍にあって法名を周永といった。また大雲坊と称した。還俗してのち国学、和歌を教えた。
儒学を村田竹軒に、国学を中村良臣、飯田秀雄、加納諸平、伴
信友に学んだ。勤皇の志士たちと交流し、天誅組に参加する。
「南山踏雲録」「おもひで草」「野山のなげき」「陵墓検考」などを著す。
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2008年6月9日 HITOSHI TAKANO