愛国百人一首

鈴木重胤

天皇の御楯となりて死なむ身の
   心は常に楽しくありけり


<愛国百人一首における決まり字>
オオキミノミタテトナリテシ(13字決まり)
<愛国百人一首における同音の数>
オ音20枚のうちの1
<歌意・鑑賞>
 今奉部與曾布の「大君のしこの御たて」の歌が作者にはあったと 思われる。
 歌意は平易であろう。
 天皇の御まもりの盾として死ぬべき身の、その心はいつも(臣民としての喜びに満ちて)楽しい 気持ちで過ごしていることだ。
 言葉を補っているが、このような歌意であろう。
<コメント>
 淡路出身の国学者。1863(文久3)年に刺客に刺されて52歳で死去。
 初め、本居宣長を敬慕したが、後に平田篤胤の門に列す。しかし、書信で教えを受けるが 直接に教えを受ける機会をえないままに、篤胤は亡くなる。
 尊皇の志士と交わるとともに、その門下から多数の国士を輩出する。
 「祝詞講義」「日本書紀伝」を著すが、日本書紀伝の業なかばで倒れる。

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2008年5月27日  HITOSHI TAKANO