愛国百人一首

有馬新七

朝廷辺に死ぬべきいのちながらえて
   帰る旅路の憤ろしも


<愛国百人一首における決まり字>
ミカ(2字決まり)
<愛国百人一首における同音の数>
ミ音6枚のうちの1
<歌意・鑑賞>
 「朝廷辺(みかどべ)に」は、朝廷のあたりで、すなわち京都御所のお側での意。「死ぬべき いのち」は、死のうと決めていた我が身、我がいのちということ。「憤ろしも」は、憤るという 動詞から転じて、憤ろしと形容詞にしたもの。「も」は軽い感嘆である。
 安政の大獄に義憤とまらず、老中間部下総守の入洛の際の襲撃をはかったが果たせず、薩摩に 帰国するために大阪を出るときに詠んだ歌である。
 朝廷のお側で天晴れ死ぬつもりの命であったが、甲斐なくながらえて、帰らなければならない この旅路のなんと腹立たしい口惜しさであることか。
<コメント>
 薩摩藩士。梅田雲濱と親交を持つが、大老井伊直弼の専断に いわゆる尊攘過激派となる。1862(文久2)年、京都所司代襲撃計画の最中に伏見寺田屋で 闘死。37歳だった。

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2008年5月31日  HITOSHI TAKANO