坂上是則

朝ぼらけ有明の月と見るまでに
   吉野の里に降れる白雪


決まり字:アサボラケア(六字決まリ)
 作者は、奥州への蝦夷遠征を行った征夷大将軍坂上田村麻呂の子孫である。曾孫の子であるらしい。 定家の撰歌意識の中にあったのでは ないかと憶測される、辺境関係者という条件にはあてはまる。
 本人の官は、大内記、加賀介。清水寺別当もつとめる。清水寺は坂上田村麻呂が観音像を祀るために 自邸を寄進しているという縁があるそうだ。

 明け方に外を見てみると有明の月が照らしているのではないかと見間違えるほどに明るい吉野の 山里一面に降り積もっている雪であることだ。

 歌の意味は、そういうことで、積もった雪の明るさが明け方の月の明るさと見まごうほどだという 興趣を詠んでいる。
 この歌は、漢詩から構想を得たものとも言われている。
 「牀前看月光、疑是地上霜」という李白の漢詩である。これは、月の光の明るさを地の霜と疑い たくなるということで、この歌とは逆であるが、月の光と明るい何かを、明るい何かを月の光と見 間違えるという発想は共通である。

 漢詩から構想を得て和歌を詠むのは当時としてはよくあったことなのだろう。大江 千里の「月見れば」の歌も漢詩から構想を得たものと言われている。

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2008年4月28日  HITOSHI TAKANO