Kagireri

「今女畫」

Hitoshi Takano Nov/1999


 「今女畫」

  論語」の言葉である。「女」は「汝(ナンジ)」に同じ。「畫」は「画」の旧字で、ここでは「カギレリ」と読む。

  冉求という孔子の弟子が「非不説子之道。力不足也。」(シノミチヲヨロコバザルニアラズ。チカラタラザルナリ。)と言ったという。すなわち、「先生の教えてくださる生き方が気にいらないわけではありません。力が足りないのです。」ということである。

  これに対して、孔子は「力不足者、中道而廢。今女畫。」(チカラタラザルモノハ、チュウドウニシテハイス。イマナンジハカギレリ。)と答えた。これは、「力がたりないというのは、(あるところまで行くつもりでどんどん歩いて行って、どうしても歩けなくなって)途中でへたばってしまうことだ。お前ははじめから、これ以上は行けないと見切りをつけてしまっている。」という意味合いである。

  ハリウッドスターのショー・コスギは、「自分が成功したのは夢をあきらめなかったからだ。」と言う。そういう意味で、彼は「自分自身を画る(カギル)」ことはなかったのだろう。

  「願えば夢はかなうもの」というタイトルの本を書いた女流棋士(当時)もいた。

  慶應義塾の塾長だった小泉信三博士は「練習ハ不可能ヲ可能ニス」という言葉を残された。これは、慶應義塾体育会の座右の銘でもある。

  「夢をあきらめない。」「夢を願う。」ということは、何もせずに「夢をみている」ということではない。そこには、夢に向かって進む努力が不可欠である。

  「競技かるた」という勝負の世界に身を置いていると、このことを常に感じる。

  「自分が強くなれないのは、努力が足りないのではないか?」
  「生活の全てを『競技かるた』中心にすれば、名人になれる日が来るのではないか?」
  「不可能を可能にするほどの練習をしていないのではないか?」

  はたして、「今我畫」である。
 

「今我畫」

  様々な勝負の世界の中で、夢を持ち続け、努力を続けても、かなわずに去って行く多くの選手がいる。

  ある意味で生活のすべてをその競技にかけられる環境にあるプロという集団であってもそうである。

  横綱を目指して、角界入りして関取と呼ばれる地位にも到達せずに去る力士のいかに多いことか。病気や怪我に泣くこともあれば、年齢からくる衰えとの戦いにやぶれるものの多い。その関取という限られた地位に昇ったポテンシャルを持った力士にしろ、未来の大関候補、横綱候補と言われ、候補のまま引退していくのを目のあたりにする。

  将棋の棋士の世界も、奨励会という天才達の集団を抜け出してプロ棋士になれる人間は、途中退会や年齢制限による退会をしていく人間よりもはるかに少ない。まして、A級棋士やタイトル保持者になれる人間は、その熾烈な奨励会の争いを潜り抜けてきたプロ棋士という集団でもごく一部である。名人というタイトルを名乗れた人間は、実力制名人の制度が確立してからでさえ10人しかいない。

  廃業・引退する力士、奨励会を退会する棋士の卵は、「力が足りなかったから、進みに進んだけれども道の半ばでぶっ倒れてしまった。」といえるかもしれない。やるだけやって、報われなかったわけだ。やるだけやる前に自分から己に見切りをつけてしまったわけではないだろう。

  「望んでも、達しえない。」「努力が報われない。」伸び切ったゴムは、それ以上伸ばすと切れてしまう。「それで本望だ。」という生き方もあれば、伸び切る前に余力を残して別の道に進むという生き方もある。どちらの道を行くかは、本人次第である。

  プロの場合、最高の才能の持ち主の集団の中で勝負を続けていくと、斯界のTOPの座に自分がいけるかどうか肌で感じる時があるかもしれない。この時こそが、自分を「畫」る時なのかもしれない。横綱になるために相撲界入りした場合、横綱になれないとわかった時点で角界を去るのが潔さといえるだろうが、プロという生活の基盤が現役でいることにかかっている以上、そう簡単にやめるわけにはいかない。自分の能力と努力の範囲で望める地位を目指したり、今ある地位を守ることに目標が変化する。誰もこれを責めることはできない。引退し、角界に親方として残れば、弟子を取り、後進の指導にあたることになるだろう。こうして力士は再生産される。

  競技かるたは、アマチュアしかない世界だから、生活基盤を他所に求めなければならない。家庭や仕事を省みずに競技に打ち込むことはできない。自分はこれを言い訳にしていないだろうか。家庭や仕事を両立させて、なお、名人である人間がいる以上、言い訳はきかない。ここで、自分自身を「畫」ってしまうわけだ。アマチュアの世界であるがゆえに、名人を目指している人間が名人になれないと悟ったら、競技の世界から潔く身を引くことができる。生活基盤を競技に求める必要はないのだから…。

  このような考えの人間ばかりであれば、競技かるたの人口は激減するだろう。はたして、それが、競技かるた界にとってよいことなのだろうか。普及活動や、自分の能力や努力に見合ったトーナメント成績に目標が変化しても良いのではないか。

  アマチュアゆえに生活基盤は他にあったとしても、精神的な本職は「競技かるた」にあるとしたら、それをプロ意識と言ってはいけないのだろうか。プロ意識があるからこそ、自分を「畫」らなければならない辛さを知るのである。

  意識がプロであれば、プロ意識の中で競技をしようとする人間に対しては、「かなわぬ夢」を見させるのではなく「現実」を知らせなければならないだろう。そういう意味で、親方、師匠、監督、コーチなどと呼ばれる指導者は、見る目がなければならないし、弟子・選手に対して辛い言葉も言わなければならない。「現実」を知ってしまった人間や知らされてしまった人間にとっては、成功者らの言葉は酷だろう。それでも、自分を「畫」らず努力するかどうかは本人の選択である。

  孔子は、晩年、自分の理想を達成するための地位につくことはなかった。しかしながら、彼の死後、彼の教えは後の国家の精神的支柱になるにいたった。「中道而廢」することも、「畫」ることもなかったといえるのかもしれない。

  「言葉」には字義的意味と精神的意味がある。字義的に言えば、「願ってもかなわぬ夢もある」わけだし、「不可能は不可能なゆえに不可能という」わけだが、「言葉」の持つ精神的意味は、また異なる。我々の思いは、この二つの意味の狭間に漂っているだけなのだ。

  最後にもう一回、この言葉の意味を噛みしめたいと思う。

  「今女畫。」(「イマナンジハカギレリ」と。)


参考図書:山田勝美著「全釈 論語」(福音館小辞典文庫)1960年:福音館書店

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