中納言家持

かささぎの渡せる橋におくしもの
   しろきをみればよぞふけにける


決まり字:カサ(二字決まリ)
 古代の名族、大伴氏の出身である。太宰帥であった大伴旅人の子である。大伴氏は部門 の家であり、父親は九州の隼人征伐に功があったが、家持は東北地方に向かい、陸奥按察使、 鎮守府将軍などをつとめる。
 百人一首の作者には、政治的敗者も多いが、辺境の地に縁のある作者も多い。そして、辺境 の地に縁のある者としては、旅に生きた漂白の歌人も含まれている。
 家持は、万葉集の選者としても知られ、そういう意味で勅撰集の撰に携わり、百人一首を 選んだ定家としては、先輩歌人として強く意識していたに違いない。
 家持は、東北という辺境の地に赴くという条件にあてはまるが、もう一つ政治的敗者という 点にもあてはまっている。知らぬ人も多いが、死後に官位を剥奪されているのである。
 これは、藤原種継殺害の一味ということでの処分であった。

 この歌は、宮中の御階に霜が降りた様子を歌っているが、かささぎの橋は七夕の時に牽牛と 織女が出会うために渡された橋のことである。これが、転じて宮中の御階のこととして使われる ようになっていた。しかし、七夕の時期は、陰暦では初秋、まだ、残暑もある季節であろう。 その伝説の橋のことを、冬の寒さの歌に使うというのも、この歌の鑑賞のポイントであること だろう。
 人麻呂、赤人というビッグネームのあと、猿丸太夫という謎の人物をはさんで天平期のビッグ ネームの家持が登場する。死後に官位を剥奪されてはいるが、冤罪説もあり、歌人としての評価 は、そのようなことではけっして揺るぐものではない。
 定家は、そのことを意識していたのではないだろうか。

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2008年4月7日  HITOSHI TAKANO