壬生忠見

恋すてふ我が名はまだき立ちにけり
   ひとしれずこそ思ひそめしか


決まり字:コイ(ニ字決まリ)
 百人一首の中で、一番好きな歌は何かと聞かれたら、私はこの歌を撰ぶ。
 この歌は、村上帝の御時の天徳の歌合わせの時に、「忍ぶ恋」(「初恋」という題で あったとも)という題で詠まれた歌である。この歌の一番前の歌「忍れど色に出り恋我 が恋は物や思ふと人の問ふまで」(平兼盛)と合わされている。当時であれば歌詠みの 晴舞台である。ところが、判者に立てられた藤原実頼は優劣をつけられなかった。しか たなく御簾の中の天皇の御気色を伺った所、帝は「忍ぶれど」の歌を口ずさまれたので 判者は、兼盛の歌を勝ちとした。負けた忠見は、傷心の内に病の床につき、まもなく 不食の病で死んでしまう。このエピソードは、尾崎雅嘉の「百人一首一夕話」に出て くる。負けた忠見の悔しさは、いかばかりであったろう。勝負の世界でいつも勝ちと 負けの中にいる私には身につまされる話である。私は、負けることが多いせいか、 この負けたほうの歌が百首の中で一番好きである。

 実はこれは、建て前の理由である。幼い頃、初めて「坊主めくり」ならぬ「かるた」 を知った頃、取札の冒頭に自分の名前の記されている札が目につき得意札になったことが、 真の理由である。そんなわけで、「坊主めくり」専科のころは「参議等(ひとし)」が 好きな札であった。こんな単純な理由がいいのだと私は思っている。
 競技かるたが強くなると「百人一首」で札の好き嫌いがあってはならない。すべて 好きな札(得意札)で、嫌いな札(不得意札)はないというのが、優等生的なコメント だが、私は好き嫌いおおいに結構派である。たしかにこの世界に身を投じると、世間か ら見ると何でも早く取れるのだが、実際は、その中にも得意・不得意の差があるのだ。 そんなことを知って対戦を観賞するとまた試合の見方のおもしろさが増すのである。
 実際、自分の名前の音が上の句や下の句にあるというたわいのない理由で、札が 好きなんて話は多い。理由は気にせず、好きな札をどんどん増やすのが上達への一歩で あると言えよう。

 いつの間にかテーマが、すり替わってしまった。負けて死ぬほどに悔しい思いをする ことが、何よりの上達のパワーである。

        負け続け 悔しき思ひ 噛みしめて
               勝ちへの執念 いや増しにけり


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1995年11月  HITOSHI TAKANO