LETTER-Senpai-06

先輩への手紙(VI)

Hitoshi Takano Nov/2017


前略  母の引越しに際しては、ご丁寧なご挨拶をたまわりありがとうございました。
 1983年の秋からあしかけ35年、父の転勤で私が一人で住んだ時期や、留守宅にしていた時期もありましたが、父の退職後は25年間住み続けた多摩センターの地をついに離れることとなりました。
 売却の準備のために、不要の家財道具の処分とハウスクリーニングの作業を業者さんに依頼しました。物がなくなれば部屋も広く見えて、クリーニングで少しはきれいになれば、築40年近い物件でも買い手がついてくれるのではないかと期待をしております。

 引越しについては、母は以前から希望しておりましたが、昨年4月末に父が逝去し、今年の4月末に納骨をすませて気持ちの整理がついたことで、具体的な引越し先探しということで私のほうに依頼がありました。
 多摩センターから週二回、所属している阿佐ヶ谷のキリスト教会まで通っていたのですが、 老年性の変形股関節症もあり、歩くのに時間がかかるので2時間以上の通いは、相当な負担になっていましたし、教会の礼拝に遅刻してくる様子を見る息子としての思いにも複雑なものがあり、教会まで歩いて通える阿佐ヶ谷への引越しができればと望んでおりました。

 とはいうものの、84歳(現在は85歳になりました)の高齢者の一人暮らしを受け入れてくれる大家さんはなかなかおらず、数週間の不動産屋通いのすえ、入居許可をいただけるところが見つかりホッといたしました。
 無事に引っ越せたのが8月12日で、二ヶ月が過ぎじきに三ヶ月となります。

 この間、様々なことがありました。
 若いときから方向音痴でしたが、すでに3回道に迷い(本人はうち2回は迷っていないと主張しておりますが)、よそさまのお世話になって、私のほうに連絡がありました。夜に携帯電話に見知らぬ番号からかかってくるのは何事か心配しつつ電話にでます。
 夜の遅い時間に、高齢者がステッキをついて、立ち止まり立ち止まり、周囲をきょろきょろ見回しながら歩いていれば、道行く人は心配をしてくださいます。本人は一人でも帰れたと言い張りますが、新しい住所をそらでいえない老人ですから、それは心配されるのは当然のことだと思います。迷子になったときのための緊急連絡先などを書いたカードをカバンにいれているので、私のほうに連絡が来るわけです。(本人が携帯電話を使えないからと言って持ってくれないのも不便ではあるのですが、、、)
 こうした経験で、新住所をやっと覚えた(?)ようですが、記憶力の低下は否めないものがあります。
 私と家内とで、教会に行く際に重さのあるものの買い物をしていったり、こまめに立ち寄るようにはしておりますが、こうしたサポートがなければ一人暮らしはきびしいだろうというのが実感です。
 本人は、阿佐ヶ谷に引っ越すことができてよかったと言ってますが、時としてもっと教会に近いほうがよかったなどとも言います。希望の場所で、高齢者の一人暮らしを認めてくださる物件をさがそうとしたら、何年かかるかわかりません。アクションを起こしてから実質1か月で今の場所が見つかったのは、奇跡といっても過言ではないと思います。

 先日は要支援・要介護認定の申請をし、区役所の方がヒアリングに来ました。家内が立ち会ったのですが、母はスイッチがはいったようで、それはしっかりと受け答えをしていたようです。
 あとは主治医の所見をいただかないといけないのですが、引っ越しをしたため、多摩センターのほうで通っていた内科や整形外科ではもう一度診察に来てくれないと書けないと言われてしまいました。最終診察が1月と6月ということなので仕方がないのかもしれません。現在、阿佐ヶ谷のほうの医院で所見を書いてくれないかと活動中です。健康診断をきちんと受けてその結果をみないと書けないと医師に言われていますが、まず、その健診を受診させるためにも、付き添いでいかないといけないので、休みのとれる日を調整して来院日を告げてやっとこさです。健診を受ければ、若いときに結核で入院した経験がありレントゲンでは必ず影がでます。そうすると総合病院に再検査となります。紹介状をもらって再検査にいくにも、休暇の調整が必要となります。再検査に行っても、当日のCTスキャンの予約がとれずに別の日になったり、検査結果を聞く日の予約を取ったりと、何かと時間がかかります。こんな感じで親の病院通いに付き添っていると、少なくとも親の健康状態は把握できます。胆石の話などは今まで本人からも聞いたことがなかったので、いろいろわかって健康管理の上ではよいこともあります。

 まあ、こんな感じですが、最近は母も新しい生活に慣れてきたようです。高齢ゆえに時間がかかるのはやむをえないことかと思っています。しかし、この慣れてきたと思えるまでの間、いつ迷子の電話がかかってくるかと気が気でない日々がありました。それは、仕事している際にも、家にいる際にも、頭をよぎっていました。もちろん、競技かるたの最中にふと心配になったこともあります。集中しなければならないときに、こういうのはよいことではありません。
 とはいえ、高齢の親を持つということは、そういうことなのでしょう。
 今では、母の生活が家の場所を把握し、夜の外出を避けるようにもなり、生活環境の変化にも適応し、落ち着いてきたと思えてきたこともあり、私自身は日々の生活の中で集中すべきときには集中するようになってきつつあります。こういう気持ちの切り替えは、日常生活の中でも大切ですが、競技かるたの選手として競技をする場合には、必要かつ重要なスキルだと思います。

 近況の報告ではありますが、少し愚痴っぽい内容もあり失礼しました。気持ちは日々前向きなのでご安心ください。

 それでは、また、練習場でお手合わせ願います。
草々


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