先輩への手紙(V)
Hitoshi Takano May/2017
前略 先日は、父の命日ということで丁寧なご挨拶をちょうだいし、まことにありがとうございました。
いわゆる一周忌という言い方だと仏教の言い方になりますので、キリスト教ではそういう表現はしませんが、
4月30日の命日の前日である4月29日に教会の墓地に納骨をいたしました。
ふりかえりますと、一昨年12月半ばに入院し、約二ヶ月半後の3月初旬に退院、自宅療養が約2ヶ月で、4月下旬に
再度入院し、月末に天に召されました。召天式は5月3日でした。
「あれから一年がたったんだなぁ」というのが、現在の実感です。昨年前半は、あわただしさの中で生活していた
感じです。
今年に入って、母の姉(叔母)が1月8日に逝去しました。身近な血縁者との別れが続きました。叔母は身寄りが
なく、役所関係の手続きのいくつかを行ないましたが、血縁の証明を戸籍謄本等であきらかにするために、役所への
取り寄せなどは、昨年の父の逝去後の手続きを彷彿とさせました。あわただしさの既視感は、さまざまな思いも
呼び起こします。
叔母の納骨も、4月29日に教会の墓地で行ないました。
叔母と母は樺太の生まれです。炭鉱のあった内幌というところにいたそうです。戦後、北海道に引き揚げてきました。
母と父は、北海道で出会っています。
父が北海道にいたころの思い出で、板カルタの話をたびたびしていました。父が百人一首の読み手をするときの
独特の節回しは、どうやらこの板カルタ(下の句かるた)の節回しに影響を受けていたようです。
私自身は、板カルタで正式な下の句かるたを取ったことはありませんが、興味をもって板カルタ自体を入手しました。
朴の木で作られた厚みのある板カルタは、変体仮名で下の句が書かれていて、紙のかるたとはまた異なった重厚感が
あります。
母の弟の叔父は、下の句かるたを取っていたようで、札を取ったあとのにぎやかなパフォーマンスの話も聞きました。
叔父にいわせるとそれは「景気づけ」ということでしたが、どうなのでしょうか。
とりとめのないことを書きましたが、父と叔母の納骨で、昔の記憶がよみがえったので、ついいろいろと
書いてしまいました。
何にしても、どんな形かは異なれど、百人一首という形で親族の共通項があったことは、それはそれで今の私に
つながる「縁」だったのだと思います。
また、練習場でお手合わせ願います。
草々
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