"競技かるた"に関する私的「かるた」論

番外編

身体の制御

〜今を活かす〜

Hitoshi Takano May/2016


1.はじめに

 前回は、「この試合が最後になるかもしれない」という「覚悟」について書いたが、そのきっかけとなったのは、 ひとつには自分自身の「身体」の状況というものを客観視したことによる。
 「競技かるた」のもつ様々な要素の中には、明らかにスポーツ的な要素が含まれる。スポーツといえば、やはり身体的要素の大きさを無視するわけにはいかない。 年齢を重ねるとともに現れる身体的な不都合は、スポーツにとっては大きな負の要素となる。
 とはいうものの、競技を続ける以上は、その負の要素とも向き合わなければならない。
 そう、今の自己の身体を最大限活かす方策を考えなければならないのだ。
 この方策こそが、身体制御であり、今回のテーマである。

 年齢による身体の変化に応じて、考えてみよう。

2.成長期

 一流と言われる選手の中には、小学校のころから競技かるたに接してきた選手も多い。最近では、漫画・アニメの「ちはやふる」を きっかけとして、かるたを始める子供たちも多く、競技で定めた競技線の範囲が、その身体には広すぎる感覚のの子供たちも多い ことだろう。
 こうした選手は、競技開始時期から、身体の成長とともに競技にあった身体の使い方を身につけていかなければならない。
 中学受験で数ヶ月練習を休んでいて、受験が終わって練習を再開したら、構えに違和感を覚えるというようなこともあるだろう。 これは、久しぶりの練習だからというよりも身長が伸びたせいであることのほうが多いのではないだろうか。
 身体の小さなときに、フォームが固まってしまうと、身長が伸びても同じようなフォームで、傍らでみていて妙に窮屈に感じることがある。 おそらく周囲で見ている我々だけでなく本人もなんとなく窮屈だけど、こういうフォームで前はうまく取れていたから「まあ、いいや」程度に 感じているかもしれない。
 しかし、これでは身体の成長というスポーツ的要素においては大きなチャンスをミスミス逃してしまうことになる。
 成長した身体を効果的に使う方法を体得しなければならないのだ。
 自分自身で、このことを認識し工夫できる子はいいが、気づかないで昔のフォームで取り続けている子がいたら、身体の成長の事実と フォームの工夫を指摘してあげる指導役の存在は欠かせないのである。
 成長の度合いも個人差があるので、始めた時期にもよるが、数回は見直しが必要になるだろう。フォームを変えるたびに新しいフォームでの 身体のコントロールを学ばねばならないが、強くなるためには欠かせないことである。
 このときの変化への対応の経験が、のちのち身体の変化への対応に活かされることになるので、この経験を持つ選手はこのあとの変化に強いと考えられる。

3.安定期

   身長を中心に身体的成長が一段落する状態を安定期とした。この期間はフォームとしては一番安定するので、ここでしっかりと身体の制御技術を 身体に染み込ませることが必要である。スポーツ選手としての身体的充実期である。日頃の鍛錬はもちろんだが、適切な体重を維持するための努力 も怠ってはならない。

4.環境変化期

 就職や結婚、女性の場合は出産などで、自分を取り巻く環境が変化すると、身体にも様々な影響がでる。
 体重の増加のほうが体重の減少よりも多いケースだろうし、運動機会の減少は、筋力の衰えなどにも結びつく。
 この時期こそが、競技を離れるきっかけとなる時期といえるだろう。それは身体的な問題だけではない。 生活環境の変化による精神面・経済面・物理面・社会面などの諸要素が混ざり合った影響なのである。
 この時期であっても、競技を続けるならば、身体のコントロール以上に生活における様々なコントロールが必要になる。
 あえて、身体面でのコントロールの必要について言うとすれば、自己体験として、増加した体重を如何にコントロールするかにある。 簡単にダイエットできるならば問題ない。自分の体重をコントロールできないとすれば、競技上の身体活用において、自己の身体を コントロールするしかない。現状(今)を活かすしかないのである。
 まず、体重増加の影響は「膝」に出る。体重が増えた分、体重移動の支点として身体をささえる「膝」への負担は増加する。 対応方法は「座布団」の使用だった。「身体制御論」とのタイトルにも関わらず、お恥ずかしいかぎりであるが、これにより 選手寿命は延びたと感じている。
 次に影響が出たのが「腰」である。「ぎっくり腰」などをしてしまったこともあったが、「腰」への負担増は体重の増加による部分が大きい。 特に相手陣右を取りにいくときがきつくなった。構えで両膝の幅を狭くしてみたり広くしてみたりした結果、安定期と比較し、やや広めにする ほうが腰への負担が軽くなるように感じたので、そのようにしている。しかしながら、明らかに敵陣右下段への取りのスピードは落ちた。 これは、自分の中で優先順位をどうつけるかの問題であると思う。体重移動がうまくいかないことからの"回転取り"(単に"こけた"だけという声もあるが)が 増えたのも原因はここにある。

5.更年期

 一般的には女性の更年期障害などが話題となるが、最近では男性の更年期障害も認知されてきている。 ホルモンバランスの変化によるもので、体調不良を伴うケースが多い。体調不良の場合、「休む」というのも 身体コントロールのひとつの方策だが、競技者としては休んだことで落ちてしまった力を取り戻すための エネルギーよりも、体調不良をありのままに受け入れて、その中でできる範囲で継続して練習をするほうが 少ないエネルギーですむという考え方もある。
 選択は本人次第だが、「今を活かす」というサブタイトルをつけた立場からいうと、「体調不良なりの取り方」を 見つけだすのもよいのではないかと考える。これ以降になると、若いときと比べれば、 体調万全などという時はないのが常態となるのだから。

6.老化期

 加齢にともない、体力をはじめ、様々な能力が低下してしまうのがこの時期である。競技かるたの選手にとっては、 「視力」と「聴力」の低下と「運動機能」の低下は、ゆゆしき事態である。まだ、若いとは思っていても、私の場合、 55歳を超えたころから、身体のどこかしらが痛いというような感じである。
 技術面・理論面でのスキルアップは、経験とともに蓄積されているのだが、それを活かしきる肉体が衰えてきていることを 実感せざるをえない。
 競技者として取り続けるケース以外にも、選択肢はいろいろある。競技から全く離れるケース、 自分では取らずに後輩(若手)への指導に専念するケース、対戦相手をつとめつつ指導に専念するケースなど いろいろあるだろう。どの選択をするにしても、かるたを取り続けるならば、自分の身体の状況を充分に見極めた上で 最大限のパフォーマンスを発揮するような工夫が必要になる。身体に痛みを感じる部分があるならば、痛みを 感じないような取りを工夫する。もちろん、痛みを感じつつもしなければならないプレイもあるかもしれない。 自分の身体の現状をふまえつつ、健康に重篤な影響を与えないように身体をコントロールしなければならない。

7.まとめ

 競技かるたを取り続けるという「覚悟」をしたならば、その時々の自分の身体の現状と向き合わなければならない。 成長の過程であれば、それは進歩に結びつく楽しいものであるだろう。安定期は、練習の努力が試合結果に 結びつくという競技者としては充実の期間であろう。
 しかし、環境の変化は、この世界からのフェードアウトの可能性を秘めている。環境の変化とともに身体的変化が 競技を続けることへのハードルをあげてしまうのである。身体の制御は大事だが、気持ちの持ち方も大事な時期である。
 そして、更年期や老化期の自覚は、身体的不調とともに気力の減退との戦いでもある。若いときは無理をしても、 のちのちの肥やしになるとの思いもあり、プレイすることで身体がきついと感じても競技へのモチベーションは 維持できる。しかし、年齢を重ねてのプレイはこの身体のきつさを感じると「なんでこんなきついことをやっているのだろう。 いっそやめてしまえば身体は楽なのに…。」という思いに直結する。
 身体の制御と気持ちの制御は、大いに関係があるのだ。身体の制御にはしんどい「今」を認めた上で、その中で 気力を萎えさせないような工夫と方策が必要なのだ。
 「今」できるパフォーマンスは、「今」の身体と「今」の気力を超えて発揮することはできない。無理は禁物である。現状として認めざるをえない肉体的条件があるからこそ、その中での最高なパフォーマンスを目指すための工夫が生まれるのである。この工夫することにこそ価値があるのではないだろうか。
 「今」を肯定し「今」を活かすこと、これこそが工夫の原点であり気持ちを維持するための方策である。身体の制御とはここにかかっているのだ。

 そして「今」、私は競技を続ける、、、

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