"競技かるた"に関する私的「かるた」論

番外編

「ちは」に関する一考察

〜共通の得意札として〜

Hitoshi Takano Jul/2016


 「ちは」がかるた界を席捲している。

 こう書きだせば、何の話題かは、賢明な読者の皆さんはすぐに察しがつくだろう。しかも、「共通の得意札」と いうサブタイトルまで付いている。

 ここ数年の「ちはやふる」人気は衰えを知らない。マンガの連載、アニメ放映、そして今年の映画化。ここ数年、 かるた会の新入会員の数は右肩上がりである。すごいことに今年度は30人を超えた。うちの会では、練習場所の スペースが不足し、ついに二会場制で練習をすることになった。はたして、本年度中にどれだけの新人と初顔合わせの対戦をすませることができるだろうか。(この記事の執筆時で19人)

 そして、この「ちはやふる」に興味を持って、この世界の門を叩いた選手は、だいたいは「ちは」への反応が 他の札に比較して早い。
 初心者への指導で、札の暗記が入らず、音を聞くことと動作の連携ができていない新人が、「ちは」が読まれた時は それまでとうって変わって、すばやく反応する。また、払いがうまくできずに札を押えていたような新人が、「ちは」に 関してはしっかり払えたりするのだ。
 指導する側としては、その他の札への反応とのあまりの差に驚きを禁じえない。
 まあ、ブームの火付け役の主人公の名前の札であるし、ある程度予測はついてはいるものの現実にまのあたりに すると、いやはやその影響の大きさを感じざるをえないのだ。

 新人同士の試合でも、他の札は遅いにも関わらず「ちは」だけは双方ともにレベルの高い取りになるのを 見ていると、今後この世代の選手と対戦する時には「ちは」について戦略をたてる必要があるように 考えてしまう。

 まずは、積極的な考え方で、敵陣に送って抜くべく攻めるという作戦がある。攻めがるた全盛の現代のかるた においては、もっともポピュラーな考え方であろう。
 もう一つは裏積極策とでもいえばよいのかもしれない。相手が攻めてくることを前提に自陣に置いておいて、 ガチガチに守って相手に取らせないという作戦である。相手は得意札を抜きにくる。 取れるつもりの札を取らせないということで、相手の狙いをつぶし、悔しがらせるという考え方である。

 次に消極的な考え方としては、自陣にあっても相手陣にあっても、最初から相手が取ることを前提として、 自分はそれ以外の札を取ることに注力するという作戦である。1枚の札が勝負の行方を左右することはもちろん あるのだが、1試合全体を俯瞰したときに、1枚にこだわることはなく1枚取られても2枚取れるのであれば、 後者を選択するという考え方である。
 消極的とは言ったが、これは「ちは」という札に対しての消極性であって、1試合全体の組み立てに対しては 決して消極的ではない。むしろ「自然体」の考え方と言ってもいいかもしれない。
 自然体であれば、相手が取ることを前提とする事もなく、「ちは」が競技者共通の得意札になる前のとおりの 気持ちで臨めばよいということになる。

 まあ、昔から「いちひき」という三枚札の二字決まりの札は、 攻めかるたの格好のターゲットだったのだ。
 いずれにしても、ここ数年でかるたを始めた選手には「ちは」の早い選手が多いことは事実であろう。 私の知り合いのインド人でさえ「ちは」が好きで「ちは」が得意札だそうだ。 この「ちは」の共通得意札化を戦略を構築する際に考慮に入れない手はないように思える。自然体論もあるには あるが、ぜひ、検討する意義のある事象として捉えて対応を考えてみてもらいたい。

千早振る 神代も聞かず 龍田川
唐紅に 水くくるとは


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