"競技かるた"に関する私的「かるた」論

番外編

座布団論

〜競技者にとっての功罪〜

Hitoshi Takano Jan/2016


 「論」と大仰に構えてみた。
 「座布団」と書いてはいるが、競技かるたをプレイするときに膝の下に敷くタオルなども含めた敷物 についての論考とお考えいただければ結構である。

あなたは競技かるたを取る時に何か敷物を使いますか?

 まずは、これが競技かるたをプレイされる競技者の皆さんへの問いかけである。
 いかがだろうか?。

 (きっぱりと)「使いません。」…(A)
 (微妙に)「使いません。………。でも、膝用のパッド入りサポーターを使っています。これは、敷物では ないですよね。」…(B)
 「使っています。普通のタオルです。」…(C)
 「使っています。バスタオルを折って、適度な厚みにして使っています。」…(D)
 「使っています。座布団です。」…(E)

 だいたいは、この5つくらいの回答がかえってくるのではないだろうか。
 (A)の人は、実に潔い。「足の裏でも音を感じる」くらいの気持ちで 「膝と脛、さらには足の甲で畳を感じたい」と思っているのかもしれない。とはいうものの、短パンや、スカートで、直に接地させて、かるたを取っている人は、極めて少ないであろう。現在は、やはりジャージが主流になりつつある。ジャージも使い込んだものの場合、膝の補修が施されていて、中には特に膝部分をフェルトなどのクッション素材などを使って厚く補強している選手もいる。
 (B)の人の仲間には、パッドのないサポーターの利用者もいる。しかし、サポーター(特にパッド入り)のゴムの締め付けがきつく、膝の裏の血行が悪くなってしまうと、これをはずして、膝をその上に乗せて使用するというケースがある。これは、もう、膝専用の座布団(クッション)を使っているのとなんら変わりない使い方である。このような使い方をしたら、立派な敷物である。
 (C)は、少し薄手な感じがするが、敷物を使っていることには変わりない。公民館などの公共施設だと 畳が傷むので、競技かるたの団体には、割り増し料金を請求し、なおかつ、タオル等を膝の下に敷くこと を義務付けているところもある。(A)タイプの人が、この公民館ルールの遵守のために敷く場合には、この(C)タイプになるのではないだろうか。また、ジャージの傷みの軽減のためにタオルを敷くという人もいあるかもしれない。
 (D)になると、座布団は大げさだからとか、座布団は持ち運びに不便だからという座布団派に近い人がこのような対応をするケースと言えるのではないだろうか。もちろん、(C)派の人が、普通のタオル1枚の物足りなさを感じて、こちらに発展してくることも考えられるだろう。
 (E)は高らかに座布団宣言をしている人たちである。しかし、練習会場や試合会場に適した座布団が あるとは限らない。分厚い銘仙判の座布団があったとしても、構えた時の高さが変わってしまうと取りづらいことはなはだしい。その場所に適当な座布団があるかないかの事前リサーチにより、適切なものがなければマイ座布団を持参するしかないのである。もしも、マイ座布団を持ち運ぶのが荷物になって厳しいというのであれば、(D)方式をとるか、(B)の最後に書いた膝専用の座布団を持ってくしかないのである。
 参考までに、私のマイ座布団と膝専用座布団(クッション)を紹介しておこう。



 左側の「笑点」の座布団が、通常のかるた用マイ座布団である。この座布団カバーをかけたのは、大会会場などで間違われないように目立つようにという趣旨である。たとえ、忘れ物として会場に置いてきてしまったとしても、私の忘れ物だと印象づけやすいし、持ち主がわからなかったとしても「こういう忘れ物に心当たりのある方」と言われたときに、アナウンスしやすい特徴をもっているということもあるのだ。そして、右側の2枚が膝専用のものである。両膝にあてがうので当然2枚となる。これも座布団と私は言ってしまっているが、買ったときの商品名は「クッション」であった。 マイ座布団の持ち運びに難儀するときは、こちらの膝用座布団を持ち運ぶようにしている。

なぜ座布団(or敷物)を敷くのか?

 この問いの前に、敷かない人たちの「なぜ敷物を敷かないのか?」ということを考えてみたい。

 (I) 座布団(敷物)を敷くことで、動いた時の感触が変わるのが嫌だ。
 (II) 座布団(敷物)を敷くことで、構えた時の高さが変わるのが嫌だ。
 (III)座布団(敷物)を持ち歩くのが嫌だ。

 (I)と(II) は、底ではつながっている理屈であると思う。パッド付きサポーターも考慮に入れれば、上記の(B)〜(E)は、それぞれで微妙に高さが変わる。構えた時の高さが変わると、突き手や払い手の角度が変わるので、それぞれ応じた微調整が必要である。特に手首や指先を繊細に使う取りをする選手にとっては、この高さの違いを認識して調整しなおすことは非常に重要なことである。その微調整を厭うのであれば、敷物は敷きたくないという気持ちになるだろう。
 高さ以外の感触の変化は、ジャージなどをはいていて直脚を接触させないという前提において、畳の感触との違いである。一般の家庭用畳と柔道畳でも感触が違うので、柔道畳は嫌だという選手もいるくらいである。何を敷くか、すなわち「座布団」か「タオル」か「折畳んだタオル」かで、感触は随分と異なる。また、タオルの生地の違いでもこの感触の変化は生じる。
 感触の違いは、すべり感、踏ん張り感の違いである。摩擦係数の違いと言ってもよいかもしれない。 実は、これは敷物がなくても畳の目の方向でも異なる。柔道畳を嫌がるのは、札が飛びにくいという要因の他にも、この「すべり感」・「踏ん張り感」の相違にもよるのである。
 (III)は、ただの無精者とも言える。しかし、タオルはともかく、バスタオルや座布団を普通は持ち歩かないように思う。こんなものを持ち歩いているところを競技かるた関係者以外の知人に見られたら、ちょっと説明しづらいではないだろうか。若い子であれば、格好悪いと恥ずかしさを感じるかもしれない。それはそれで、やむをえない理由ともいえないことはない。

 というわけで、今度こそ本題の「座布団」(敷物)派の言い分である。

 (1)動いたときの感触を一定にKeepするため。
 (2)畳を傷めないため。
 (3)ジャージを傷めないため。
 (4)膝の保護のため。

 (1)は、敷物を敷かない派の選手たちへのアンチテーゼである。常に同じ「座布団」なり敷物を使っていると、高さは一定だし、動いたときの感触も一定なのである。もちろん、一般家庭用畳や柔道畳、絨毯(カーペット)の上でかるたを取るとか、床がフローリングだなんだと様々なケースが考えられるが、直脚でそれを感じるよりは、座布団(敷物)があれば、その素材と床素材・畳素材との若干の摩擦係数の違い的なものがあったとしても、はるかに違和感が少ない。畳の目の方向によるすべり感・踏ん張り感の相違を少なくする意味でも、座布団なり敷物を敷くことは意味があることである。
 (2)(3)(4)は、根っこは同じである。(2)については、上記の(C)でも触れたことだが、畳が傷むということは、それを傷めるだけの「傷み」を選手の膝等が同様に受けているということである。生身の体のほうは、その傷みを吸収して自己治癒能力で治癒させているにすぎない。残念ながら、畳は傷んだら自らを修復することができないということである。(3)のジャージを傷めないためというのも同じことで、ジャージの膝にかかる負担は、畳と生身の膝の挟まれての衝撃であり、摩擦は畳と生身の膝の両方に生じているのである。生地の裏表、双方から傷んでいくのである。(2)と(3)を少しでも緩和させるのが、座布団(敷物)の存在なのである。まだ、座布団を使う前、競技かるたの練習による摩擦が原因だろうが、私の脛は脛毛がはえずツルツルであった。練習の間隔が間遠になるとこすれることがなくなったせいか、また脛毛が生えてきた。当然、ジャージの生地も傷む。座布団を使うようになってから二十年以上使っているジャージも、膝の部分(特に右膝)の生地が薄くなりスケスケ状態になっている。当然、座布団のいつも膝があたる部分についても、それなりの「傷み」は生じているのである。もし、座布団を使っていなければ、とっくの昔にジャージの膝には穴があいていたことだろう。(このジャージはジャージ論で退役させたと書いたジャージであるが、いまだに限定的に練習時に使っている。)
 ここまで、(2)と(3)の物の傷みという負担度を書けば、如何に自己治癒能力があるとはいえ、選手の膝にはどれだけの負荷がかかっているかは推測するのに難くはないであろう。
 試合で、座布団や敷物を使わないで、5試合連続、6試合連続でかるたを取った決勝進出選手の膝を生で見れば、どれだけの負担がかかっているかは一目瞭然である。決勝戦ではすでに、膝の痛みに襲われている可能性も高い。
 (4)は、選手生命を延ばす意味でも大事な理由なのである。負荷を減らすには、タオルよりも座布団が効果的である。しかし、選手としての感覚と動きやすさの重視ということで、個人個人が考えた結果が、この敷物の種類のうちどれを選択するかということに反映されるわけである。

座布団の種類

 座布団の種類は、いろいろあるが、これもどれを選ぶかは、選手の個性によるのである。私は、大きさで言えば「銘仙判」を好む。これより小さい「茶席判」などだと両膝の乗せ方の幅を狭くしなければならなくなってしまうのである。逆に大きめの「八端判」などだと多少扱いづらさを感じるし、大きさと共に厚みがしっかりしているものもあるように思う。厚みについては、以下に述べる。
 厚さについては、ふかふか・ぱんぱんの新品では高さが高くなって困るので、中綿が適度に圧力を受けて全体的にプレスされて薄くなったものが好みである。
 以前はウレタンものの軽量タイプも好んでいたが、今では耐久性の問題から使ってはいない。
 練習場等の会場にこれはという座布団があればよいが、ない場合は持参しないとならない。現在は二つ折りにして、キャリーバッグなどで運ぶことが多い。無理な場合は、膝専用の座布団というかクッションを持ち運ぶ。
 私の好みのみを書いたが、愛用の座布団(敷物)は人それぞれである。最初は厚かった座布団も長年使うとペチャンコになって、ちょうどよい厚さになる。ようするに、自分に馴染んでくるのである。物ではあるが、道具として相棒になるのだ。

競技者にとっての功罪

 サブタイトルにつけたくらいだから、功罪に言及しないわけにはいかないだろう。
 「功」でいえば、選手の膝の保護による選手寿命の延長だろう。ある外国人の少年が、固そうな床の上でひとり練習している動画を見た私は、すぐに、なにか敷物を敷くようにアドバイスした。このまま、あのハードな練習をしていたのでは、膝が悪くなるのは目に見えていたからだ。いまは、ちゃんとタオルを敷くようになった。
 一方の「罪」は何か?自己責任で決めることなので、はっきり言って特にないとは思うが、マイ座布団の購入費用と運搬の手間の二つくらいだろうか。
 あとは「罪」をあえて見つけようとすれば、それは畳との間に若干の物理的距離感が生じ、選手ごとに異なる精神的距離感が生じることくらいであろうか。特にそれまでのスタイルを変えたり(敷物なしからタオル使用へとか、タオル使用から座布団使用へとか)、使っている座布団を変えたりすると、ベストポジションを探るという手間がかかる。使用する物に取りが影響されるというのは、あまり好ましいものではないだろう。そういう意味では「罪」なのかもしれない。

 最後に「功罪」をすべて包含した上で、「座布団」(敷物)の利用について自分なりに考えてみていただきたい。長く競技を続けるのであれば、膝をはじめ、身体の保護とメンテナンスは避けては通れない課題だからである。


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