自戦記(1)

Hitoshi Takano Jul/2008

1.はじめに

 将棋好きの私は、将棋の専門雑誌や専門新聞などで、観戦記や自戦記をよく目にする。
 対局の様子を記事にしたものには、大きくわけて、観戦記と自戦記がある。観戦記は、対局者以外 の観戦記者が記事を書き、自戦記は、対局者自身が記事を書くものである。
 観戦記者は、プロ棋士である場合もあれば、専門ライターである場合もある。また、愛棋家の作家 や有名人などが観戦記を書く場合もある。
 以前、ある棋士は「心血を注いで創り上げた棋譜は、観戦記という襤褸(ぼろ)を着せられて捨て られる」というようなことを言ったという。おそらく、その棋士にとっては本音の部分もあったので あろう。しかし、将棋界は対局の観戦記をスポンサーである新聞等に掲載することで、棋戦の契約を おこなっているわけであるから、襤褸であろうがなかろうが、観戦記が存在しないことには、飯のタ ネにありつけないことになるのである。そこは、棋士にとってもいたしかゆしなのではないだろうか。
 将棋を指した本人にとっては襤褸かもしれないが、この棋士の言葉は、今の観戦記者にも知られて いるので、観戦記者のほうも、心血注いで書いていることだろう。
 他人が書く観戦記とは異なり、自戦記は、将棋を指した自分自身が書くのであるから、当時者にし かわからない部分も書かれており、読む側も面白いし、第三者が書くときに生じるような誤解もない だろうと思われるかもしれない。だが、書く側が本音を書くとは限らないという懸念もある。自分の 手の内を対戦相手に教えるようなことをはたして生き馬の目を抜くようなプロが書くであろうかと いうことである。
 しかし、それは、読む側が行間を読んだりしながら判断していくしかない。あまりにも隠し立てす るような自戦記者には、仕事はいかなくなることであろうから…。
 自戦記の場合には、当然、勝った時の自戦記と負けた時の自戦記がある。自戦記はだいたい対局の 前に書くことが決まっているようだが、結構、その場合はプレッシャーにもなるのではないかと思う。 負けた自戦記を書くのは嫌なはずだから、当然、勝ちたいという気持ちが普段以上に働くのではない だろうか。まあ、プロであれば、そんなことに左右されない気持ちの持ちようであるのかもしれない が。
 また、自分の最近の対局から自分自身で選んで自戦記を書くケースもあるだろう。そういう時は、 やはり勝った対局の自戦記を書きたくなるものであろう。だが、負けた対局の自戦記を書く棋士も いる。そして、負けた対局の自戦記に評価の高いものがあったりもする。

 競技かるたの場合、観戦記は「かるた展望」に名人戦やクイーン戦ものが載るくらいであるが、 ダイジェスト版であり、初形図や途中図などが出ることもない。自戦記というのも見た覚えがな い。
 そういうわけで、見たことがなければ、チャレンジしてみようということで、自戦記に挑戦して みたいと思う。

2.序盤

2008年6月7日(土); 於,慶大日吉和室
競技生活30年記念対戦

高野 仁                 Y.A 
甲左下段 甲左中段 甲左上段   乙右上段 乙右中段 乙右下段
 わすら          きみを わたこ
みかの       あらざ やまざ をぐ
やまが         あはれ
うら       たち あはぢ  
うか   なにし     みち  
  たき   やえ    
    たか        
    なにわえ   つく    
    わび   かさ    
  なげき   いに    
ちは       わすれ    
ひさ   この       なにわが
もろ   みせ   よも おと ひとも
しら        ありま    はなの
みかき はるの たま     ながか あさぢ
おおえ  おほけ  きみは     ちぎりき  よのよ 
甲右下段 甲右中段 甲右上段   乙左上段 乙左中段 乙左下段

English of First Form

 この日、午後1時から始まった練習から数えて、3試合となる。1試合目は普通の練習。2試合 目は、私のチームとYAチームと5人ずつわけての団体戦であった。団体戦には、私もYAもキャ プテンとして出場した。結果は、YAチームが3勝2敗で勝利。私が3勝目を取れなかったのが、 敗因といえば、敗因である。
 そして、第3試合は、私とYAの競技生活30年記念対戦。1979年4月13日の初対戦以来 64試合めの対戦となる。大学1年の時に21試合。大学2年の時には20試合。大学4年間では 55試合。卒業後は9試合めとなる。学生時代に多く取っており、卒業後は現役学生たちとの対戦 が優先されているので、あまり対戦数は増えていない。前回の対戦は2005年5月なので3年ぶ りの対戦となる。
 記念対戦ということで、記録(DT)もつくし、審判(NE)もつくという。また、ギャラ リーも多い。
 これだけの舞台装置が整うと、試合が大勢に見られているということを意識せざるをえない。
 気持ちの上で、普段と異なる緊張感の中に自分がいることが、この一戦に微妙に影響を与えたこ とは間違いない。

 初形は、自陣の中段が少々少ないが、バランスはそれ程悪くないと思っていた。上段も10枚。 左上段には置かないのでいわゆる浮き札となる。YAも上段が多いといわれるが、今回は9枚。 双方の上段をどう取るかは、気をつけなければならない。ひっかけなどのお手つきは禁物である。
 YAは、友札はきちんと攻めてくるはずだから、友札の攻めは私自身も意識して攻めなければ ならないと感じていた。また、左下段は、私の自陣は結構抜かれるだろうと覚悟をしていた。その分 を敵陣の左で稼がなければならないという気持ちでいた。
 暗記時間の15分は、否応なく過ぎていく。
 詠みはTOである。個人的には、やや詠みのスピードが早いように感じる詠みである。もう少し、 ゆったりとした詠みのほうがありがたいのだが、条件は相手も一緒である。おそらく相手にとっても、 少々、間をとるのに早い感じがするのではないだろうか。
 詠みが始まった。

(1)「わすら」
 1枚目の「わすら」は私の左下段。YAに抜かれる。敵陣に「わすれ」があるので取られたこと 自体には問題ないが、自分自身の攻めの響きと相手の攻めの響きを比較すると全く響き負けている。 送り札は「あはじ」。「あはれ」と「あはじ」の友札がYA陣に並んであるので、当然の送りである。 私は、「あはじ」を「わすら」を抜かれたあとに置く。定位置であるからだ。「あは」の友札の別れ を意識する。
(2)「あさぼらけう」…空札
 「あさじ」が敵陣にあるが、私は響いていない。言い訳程度にそこに「あさじ」があることを確認 するかのように手を動かす。
(3)「あふこ」…空札
 相変わらず響きは遅いのだが、自陣の右中段の端に「おほけ」、右下段の端に「おおえ」があるこ とに意識があったため、「あふこ」を聞いてはいるのだが、思わず自陣のその2枚を取りにいってし まった。しかも、しっかりと2枚を払っていた。そして、こういうお手つきの時に限って、「おほけ」 (中段)の下辺と「おおえ」(下段)の上辺を触るという縦置きの2枚取りの取り方としては、非常 に有効な器用な取りをしていたのであった。だいたい、こういう取りは、出札の時にはできずにお手 つきの時に限ってできるようなものなのである。皮肉なものである。しかし、どんなうまい取りも、 お手つきはお手つきである。「よも」を送られ、右中段に置く。早くも26枚対23枚と3枚差。 最初の25枚開始の枚数を増やしてしまうというのは、結構、気が重いものである。まだ、開始早々で まだまだ挽回できるのだが、初形の枚数より多く札を持っているということ自体が気分をめげさせる のである。競技者の気の持ちようとしてはよいわけがないのだが、それも、また自分なのだと受け入れ ることにしている。気が重くなろうが何だろうが、まだまだ、始まったばかりである。「今に相手も お手つきしてくれるさ」くらいのことを考え、とりあえず暗記を入れ直すことにする。
(4)「おも」…空札。
(5)「みかき」
 自陣左下段に「みかの」、自陣右下段に「みかき」。左右にわかれた「みか」決まりだが、右の 「みかき」をキープする。試合開始後に1枚を取るとホッとするが、それでも、まだ25枚の開始 枚数のままである。次なる目標は、開始枚数を減らすことである。
(6)「もろ」
 記録をみると「ゆっくり押さえる」とある。相変わらず響いていないのである。相手も響いてい なかったようで遅い自陣右下段の取りで凌げた。やっと開始枚数の25枚からマイナス1枚となっ た。
(7)「きみがためは」
 大山札の敵陣右と自陣右の斜めの別れである。これを取られてもやむをえないという認識であ る。「いに」を送られ、右下段に置く。
(8)「おと」
 敵陣の左中段に端にある札から離れて置いてある札。この札を取るには払う感じではなく突く 感じで取りに行かないと取れないが、理想の手の出し方はできずに守られる。
(9)「はるの」
 記録によるとYAが「きわどいタイミングを制す」との記述。自分なりに響いたと思ったが、 相手の攻めの勢いが上回ったようで、守り切れなかった。送りは「やえ」、右中段に置く。
(10)「みか(の)」
 左下段はYAの草刈り場になってしまうのか。記録には「ジャストミート」とある。しかし、 左下段を抜かれるのは予測された事態であるので、自分自身としてはあまり気にはなっていなかっ た。送りは「かさ」で、右中段に置く。こういう2字の送りは、相手はおそらく取る気まんまんで 送ってきているのだろう。
(11)「ひとも」
 相手の左下段をキープされる。私は、敵陣の左の攻めができていない。
(12)「あまつ」…空札
 7枚連続の出がこれでストップ。しかも相手の5連取。こういうときは、少し空札に続いて もらって、相手に流れている流れを中断してほしいものだ。
(13)「かさ」
 空札に続いてもらいたいという願いも空しく、相手の攻めっ気満点と思っていた「かさ」が 出て、右下段にしっかり取られてしまう。送りは「ありま」。上段「なにし」の左に置く。
(14)「いまは」…空札
(15)「なにわが」
 先に行くも「1枚ズレた」、それを相手は「逃がさない」と記録される。敵陣左の取りが ちぐはぐである。
(16)「なにし」
 「なに」の連続。「なにわえ」も自陣にあるので、分ける前に出てしまった。きっちりと 上段の「なにし」を取られる。送りは「きみがためを」。ここまで相手の8連取。24枚対15枚。 序盤の9枚差は、相当にやばいという意識。相手のミス(お手つき)でもないと流れは変えられそ うにない。とにかく、自分がお手つきしないようにして、辛抱強く取っていくしかない。
(17)「ちは」
 自陣右下段を守る。相手のこちらの右下段への攻めがもっと厳しいかと思っていたが、右中段へ の攻めのほうがのっているようだ。
(18)「あはれ」
 敵陣の右中段に「あはれ」を抜く。記録によると「立て直し」とある。最初のお手つきをして 「おおえ」と2枚で「オー」決まりになっていた「おほけ」を敵陣に送る。この試合最初の送り。 YAは左下段に「おほけ」を置く。「オー」は縦の別れになった。攻め合えば手が交錯する可能 性がある。その時には、先んじていたいものである。
(19)「よのなかよ」
 私の右中段の「よも」と相手陣の左下段の「よのなかよ」。記録によると「縦横無尽」。YA は、攻めて戻れるのだ。それだけ、右中段の攻めがよいのだ。先んじられて、明らかに私は出遅れ ているのだ。
(20)「たま」
 記録によれば「得意の上段」とある。自然に響いて、手が札に対してまっすぐに出た。この取り が敵陣の左の取りで出ればよいのだが…。
(21)「ちぎりき」
 「抜けた?」と記録にある。響いていないのは、暗記が甘いせいなのか。自陣の上段にまっすぐ 出すような手の出し方は全くできていない。手さえ出ないのだから…。相手は13枚。こちらは 21枚。7枚連続の出である。
(22)「ひさ」
 「右下段も抜かせない」との記録。ここが守れるとなるとありがたい。
(23)「おく」…空札
 待望の空札。8枚連続の出でストップ。出の連続も、空札の連続も、リズムにのりづらい。
(24)「うか」
 左下段に「うか」「うら」の2枚並びでの「う」決まり。左下段でも中央寄りなので、YAが 攻めてくるときは、突くようにまっすぐ手を出されるとこちらはお手上げなのだが、あまり響いて いないのか、一字決まりになっているので守られると思ったのか、取れたことは、私にとっては どちらかというとラッキーの感があった。
 私は、左下段の札の間隔を拡げる。
(25)「う(ら)」
 同じ所の同じ音の札が続けて出るというのも、取る側には落とし穴かもしれない。しかし、自陣 の利か、「友札連続キープ」。穴とも言える左下段でのキープは大きい。
(26)「む」…空札
(27)「わす(れ)」
 YA、上段に守る。記録によると「流れ止めるか」とある。YA陣の上段は何枚かは取らなければ 敵陣を取っての送りができない。敵上段をうまく制することは、ひとつのポイントなのだが、随分と 送り札にされてしまった。
(28)「こぬ」…空札
(29)「ゆら」…空札
(30)「いに」
 右下段への厳しい攻め。覚悟していた相手の攻めだ。記録では「会心の一撃」とある。私も敵陣の 右下段を抜かなければ、この苦しい展開の打破は難しいだろう。送り札は「つく」。私は左下段に 置く。

 ここまで、18枚対11枚。高野が「 歌留多攷格」で区分した基準によれば、序盤は詠み約30枚めまでとなる。今回30枚で出札が 21枚。出がいい。ということは、これから出が悪くなるということだ。すなわち、空札が続く時 がある。こういうときがお手つきの危険地帯なのである。
 相手のお手つきがなければ、逆転はなかなかに難しいだろう。とにかく、ギャラリーのことなど 意識せず、札を取ることに集中するしかない。繰り返し暗記を入れて、中盤で差を縮めなければいけ ない。
 こうして中盤に入っていく。さて、中盤については次回。

…… 続 く ……


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